2018年7月9日月曜日

死刑

麻原彰晃らオウム真理教の7人が死刑になった。

僕らの世代にとってあの事件は、

本当に大きなインパクトがあった。

大学生の頃、

ああいう新興宗教の勧誘が大学周辺で活発に行われ、

生協には麻原の空中浮揚の写真が表紙の本が売られていた。

胡散臭いと思って買うことはなかったけど、

もし買って読んでいたら、

その世界に引き込まれたかもしれない。

出家するような度胸はなくても、

ある程度深入りする可能性は正直あったと思う。

他の団体に誘われたこともあった。

大学近くのマンションについて行って、

彼らのビデオを20巻くらい見たこともあった。

最後に思いとどまったのは、

ただ僕が宗教的なものを信じていなかったからに過ぎない。

誰かの教えを絶対的なものとして崇める、

そういうことが嫌だった。

僕がもう少し素直だったら、

あの死刑囚の中に僕がいた可能性はゼロではない。

あの頃麻原はテレビでももてはやされていて、

上祐とか青山なんかしょっちゅうテレビに出ていた。

社会人になって坂本弁護士一家殺人に関与していた疑惑が持ち上がり、

そして阪神大震災のあった1995年に地下鉄サリン事件が起きた。

村井幹部がマスコミの面前で刺殺された。

そして上九一色村のサティアンに捜査が入り、

一気に展開した。

平成時代の最大の事件だったと思う。

マスコミを賑わした幹部が一挙に7人死刑になって、

一気にあの頃の記憶が蘇った。

それにしても何故高学歴の彼らが、

あそこまでの大事件を引き起こしたのか、

あるいは引き起こすことができたのか。

そのことを我々はちゃんと直視できたのだろうか。

今もオウム真理教を継ぐ団体には出家者が後を絶たない。

ただ彼らがいかれているだけなのだろうか?

本当に大きな事件だったと今更ながら思う。

死刑は区切りだけど、

彼らが残した問題に区切りがついたわけではない。

●月曜日に元町に参ります。よろしくお願いします。

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