山際淳二のノンフィクションを読んでいて、
現代は死の実感が乏しい、
生の実感も乏しいのだ、
みたいな記述があって、
なるほど、
と思った。
死と背中合わせの冒険家は、
だから同時に生を強く実感しているんだと。
もちろん、
ぼくらの日常だって、
家にいてもセスナが墜落してくるわけで、
死は背中合わせにいるんだけれど、
実感としてはない。
何度も書いたけど、
震災のような大災害が起きて万単位で人が死んでも、
マスコミはひとりの死体すら映さない。
身内が死んで遺体を焼いても、
煙すら出ない。
現代日本において、
死はとことん濾過される。
それと平和は別問題だ。
最近はテレビカメラに映ってしまった人の顔を、
徹底的にモザイクで消すようになった。
あれを見ていると、
まるで世界の中でぼくらの存在は、
モザイクをかけられた、
誰だかわかんない存在として扱われている気がする。
それとプライバシーは別問題だ。
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