出産が命がけということは、
一般論としては知っていたけど、
これまで身近な人は安産ばかりで、
正直、
それほど危険なものという実感はなかった。
今日初めて、
命がけで出産した知り合いに話を聞いた。
医学的なことは良く理解したとは言えないけど、
大変だったことは伝わってきた。
何より彼女が一連の試練の中で味わった感覚、
体をチューブに繋がれ、
一体自分はこれからどうなってしまうのだろうという、
それまで味わったことのない不安の中で、
それまで彼女が仕事で接してきた人の気持ちが初めて分かった、
という話は印象深かった。
彼女と知り合ったのは11年前になる。
その頃僕は心身ともにボロ雑巾のようで、
まさに五里霧中だった。
その姿を彼女も見ていた。
そのころの僕のことを思い出したと言ってくれた。
そしてその後の僕もずっと見ていてくれた。
だから自分もなんとかやっていけるとも思ってくれたそうだ。
誰かの人生に自分ごときが影響を与えるなんて、
気恥ずかしいのだけれど、
多少なりともお役に立てたのなら、
僕の七転八倒も全くの無駄ではなかったわけだ。
そういう体験をしても、
僕も彼女も一目で何か変わったことは多分ない。
でも確実に内面は深まったと思う。
僕の場合、
深まったからといって、
急に人間性が向上したわけではないけれど。
ただ僕が変わったのは、
自分は自分の価値観で人生を生きるけど、
その価値観は自分のものであり、
他人には他人の価値観があることを許容するということだ。
それは、
まさに自分の力ではどうにもならない状況に置かれて、
なんとか這い上がった中で生まれた。
と言ってもね、
本当の本当の、
自分の核心みたいなものは変わっていないのも事実。
その核をむき出しではなく、
柔らかなクッションがついたような感じかな。
それにしても女性は強い。
彼女の独身の後輩が、
行き遅れの会なんてあっけらかんと自称している。
人間、
立場を超えて垣間見る人間性に触れた時、
なんとも言えない絆を感じる。
11年の宝物だ。
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