名前は有名だけど観ていない映画が多い。
キューブリックの「時計じかけのオレンジ」が、
たまたま録画されていたので初めて観た。
無軌道の限りを尽くし、
ついに殺人まで犯してしまった少年が、
犯罪者更正の新しい科学実験のテスト台になる。
暴力や性犯罪の映像をひたすら見せることで、
暴力行為を行いそうになるだけで、
嫌悪感を催すようになるというようなものだ。
つまり、
衝動は消えないけれど、
衝動が起きると同時に苦痛もわき起こり、
結果的に暴力行為が行えない体に「改造」されるわけだ。
犯罪抑止という観点からは効果的なのだけど、
それは本来の更正とは全く異なるものだ。
この実験に反対する牧師は、
「彼は自分で善を選んでいるのではない」と言う。
なかなか深い話しだ。
内面からわき起こる欲求に、
理性でブレーキをかけてこそ意味があるのか。
たとえば、
煙草を吸えば猛烈に吐き気がする薬があったとして、
その薬を飲むことで禁煙した人は、
全然評価に値しないのだろうか?
もちろん、
その薬を飲むという決定を自分でしたのなら、
その決定はその人の意志なのだから、
評価されるだろうけど。
強制的に飲まされたのであればどうか?
本人は本当は煙草が吸いたい。
でも、
飲まされた薬のせいで吸いたくても吸えない。
それは非人道的行為だろうか?
考えさせられちゃった。
0 件のコメント:
コメントを投稿