2014年8月2日土曜日

改造

名前は有名だけど観ていない映画が多い。

キューブリックの「時計じかけのオレンジ」が、
たまたま録画されていたので初めて観た。

無軌道の限りを尽くし、
ついに殺人まで犯してしまった少年が、
犯罪者更正の新しい科学実験のテスト台になる。

暴力や性犯罪の映像をひたすら見せることで、
暴力行為を行いそうになるだけで、
嫌悪感を催すようになるというようなものだ。

つまり、
衝動は消えないけれど、
衝動が起きると同時に苦痛もわき起こり、
結果的に暴力行為が行えない体に「改造」されるわけだ。

犯罪抑止という観点からは効果的なのだけど、
それは本来の更正とは全く異なるものだ。

この実験に反対する牧師は、
「彼は自分で善を選んでいるのではない」と言う。

なかなか深い話しだ。

内面からわき起こる欲求に、
理性でブレーキをかけてこそ意味があるのか。

たとえば、
煙草を吸えば猛烈に吐き気がする薬があったとして、
その薬を飲むことで禁煙した人は、
全然評価に値しないのだろうか?

もちろん、
その薬を飲むという決定を自分でしたのなら、
その決定はその人の意志なのだから、
評価されるだろうけど。

強制的に飲まされたのであればどうか?

本人は本当は煙草が吸いたい。
でも、
飲まされた薬のせいで吸いたくても吸えない。

それは非人道的行為だろうか?

考えさせられちゃった。

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