2019年11月16日土曜日

教訓

電車とか街中で、

ビールや酎ハイを片手に飲んでいる人を見かけると、

それは危ないよと心の中で言葉をかける。

それはかつての自分だ。

そういうこと自体、

異常なのだということに当時の僕は気づかなかったし、

多分彼らも気づいていない。

今日のNHKドキュメント372時間は、

銀座の酒店を取り上げていた。

次々にやってきては有料の試飲して帰る客。

休みだからと言って何種類も飲んで帰る若い男性。

ジンが好きって言ってたっけ。

でも、

彼らがみんなアル中になるわけではないとは思う。

僕がいけなかったのは、

仕事柄、

昼間っから翌日明け方まで飲むような生活をしていたことは大きいかな。

9時5時で働くような生活なら、

自ずと飲む時間は限られる。

今の生活でもそうだ。

でもあの当時は夜勤もあって明けの日なんかだと、

同僚と昼間から繰り出して何限もはしごして、

挙句にタクシーで帰宅なんていうのはざらだった。

そうでもしないと仕事のストレスが発散できないというのは言い訳で、

別に飲まなくても仕事をしている人はいた。

そういう世界で仕事をして、

そういう飲み方をするのが当然だと思っていた。

何の疑問も抱かなかったし、

それでアル中になるなら本望だぐらいに思っていた。

アル中の本当の苦しさも知らず。

だから若い後輩には言う。

酒なんて本当は40歳ぐらいからで十分だよと。

僕は酒の飲み方を間違えたまま一生分すでに飲んでしまった。

彼らには本当に酒を味わい楽しめる40代ぐらいからにして、

それまではもっと自分を磨くことに時間を使って欲しいと思う。

まぁ当時は酒を飲むことが自分磨きだと僕は思っていたわけだが。

身をもって知ったことを若い人に伝えたいとは思いつつ、

背伸びしたい彼らの気持ちもわかるんだよなぁ。

●ペンギンさん一日遅れでハッピーバースデー。

2019年11月15日金曜日

修復

アル中になって会社を休職して、

会社人生が事実上終わった時、

僕は仕事以外に何か生きがいを見つけようとした。

それがジャズシンガーだった。

とにかく声がいいですねではなく、

確かな発声法を身につけたいと先生を探し、

今も継続してレッスンを受けている。

決して思うようには上達しなかった。

毎日毎日12年間練習していても、

どうしてもわからず、

もうダメだと思ったことも一度や二度ではない。

でも僕にはこれしかなかったし、

あの時の決意を捨てる気にはならなかった。

石の上にも三年というが、

僕の場合は10年はゆうにかかった。

でも諦めずに続けてきたことが今のライブにつながっているし、

その縁でゴルフを始めることにもなった。

そのゴルフも十年は続けようかなと思い始めている。

歌に比べてゴルフが良いのは、

とにかく毎日少しは進歩していることが実感できることだ。

まだ半年だけど、

明らかにクラブを振る筋力は付いてきたし、

確実性は上がっている。

上達が実感できるということは素晴らしい。

歌の時は本当に何年も何年も、

自分のやっていることが正しいのか、

根本的に間違っているような不安感が拭えなかった。

これは苦しかった。

断酒についてはどうだろう。

再び飲むという選択はなかったけど、

三年ぐらいはとにかく社会の落伍者だという負い目が消えなかった。

五年を過ぎた頃からかな。

少しずつそいういう負い目は消えて、

少なくとも毎日考えるようなことはなくなった。

十年を過ぎてからは、

人前で平気に自分はアル中だと公言できるようになった。

それでも、

昔を知っている会社の上司らの僕への態度の中に、

一歩距離を置かれていることを感じる。

必要最低限の事務的なやりとりしかしない。

まぁ僕の方がバリアを張っていることが大きいのかも知れないが。

彼らも僕がここまで辞め続けるとは思ってもみなかったのだろう。

今更親しく付き合うことはこっちも意地でもしない。

これは会社を辞めるまで付きまというだろう。

今は昔を知らない若手と仕事をしていることが楽しい。

はっきり言って飛ばされて来た部署だったけど、

そこで僕はある意味生き返った。

周りにそういう意味で接しにくい人はいない。

距離を置く人もいない。

ありがたいことだ。


2019年11月13日水曜日

相性

職場でいわゆる共演NGが増えて困っている。

数十人の部署だから、

互いに気が合わないということはあるだろう。

でも、

はっきり一緒に仕事するのは嫌だと言われてしまうと、

それでなくても厳しい勤務ダイヤがつけられない。

正直そこまで気を配ることは無理だ。

先日もうまくいかない二人がいて、

急遽配置換えをすることに。

本当に一難去ってまた一難。

個人的な感触だけど、

どうやら女性同士の方がNGとはっきり言う傾向にある。

男性はたとえ合わなくてもなんとか折り合いをつける。

それに時間が経てばなんとなく元どおりになるケースも多いようだ。

一方女性は一度ダメとなると回復が難しいみたいだ。

本質的にはみんな良い若手に見えていたし、

実際そうだろうけど、

僕の知らないところで様々な思惑や不満が溜まっている。

良きにつけ悪しきにつけはっきり主張する。

それがイマドキなのか。

その前にとりあえず仕事に一途に取り組んで欲しいのだが。

やれやれ。

2019年11月12日火曜日

若目

先日、

北新地から会社までタクシーに乗った。

歩いても10分ほどの距離だけど、

急いでいたからだ。

年配の運転手はこう言った。

お客さんそこでっせ、

お若いのにこんな近い距離を車で?

僕、

いやいや急いでるもんで。

それにそんなに若くもないんで。

運転手、

そうですか?

お若い感じですけど。

僕、

いくつぐらいやと思います?

運転手、

さぁ二十五、六、、、

僕、

そりゃないわ。

その親父ぐらいの年齢です。

運転手、

えっ、

そないでっか。

暗いし良く見えまへんねんけど、

なんとなく雰囲気で、、、

1年前は電車で席を譲られそうになり、

風俗の呼び込みにはお父さんと言われ、

今度は20歳代か、、、笑

まぁそれがベテラン運転手のおべんちゃらだとしても、

僕はその時の気持ちから悟った。

たとえ口から出まかせであっても、

ありえないほど若く言われても、

決して悪い気はしないということだ。

このおっさん何考えとんねんと思ったとしても、

悪い気はしないもんだなぁ。

これからは明らかに嘘でも他人の年齢は当てにいかず、

とりあえずうんと若く言おう笑

2019年11月11日月曜日

即位

学生の時、

天皇制には懐疑的、

というか反対だった。

ちょうど昭和から平成に変わる時だった。

昭和天皇の戦争責任もさることながら、

人の上にやんごとなき方を頂いていることが、

気に食わなかった。

日の丸に罪はないけど、

君が代には抵抗があった。

天皇という家系が連綿と続いてきていることは貴重だから、

重要無形文化財的に京都あたりで暮らすのならいいとは思ったが。

第一彼らはとても大変そうだ。

あれから30年を経て、

少し考え方は変化した。

平成天皇はひたすら平和を願い実践して、

被災地に足繁く通った。

それは想像を絶する心身の苦労があったはずだ。

そうやって自分の責務を全うする姿に、

人間として尊敬を覚える。

天皇制以前に。

今度の皇后は僕とほぼ同い年だ。

大変な苦労で心を病み、

でも立場を放棄することもできず、

ただひたすら我慢して今日のパレードを迎えた。

その気持ちも想像する。

情けない政治を見るにつけ、

皇族の一貫した姿勢には感銘を覚える。

この国は彼らがいるから安定している面は確かにある。

ただ、

平和の象徴としての今の存在は絶対的なものではない。

やんごとなき方が再び戦争の支柱になることは十分にありうると思う。

彼らが日本人の心の拠り所であればあるほど、

平和ではない方向に向かった時に、

いとも簡単に別の方向への精神的支柱になるかも知れない。

だから本当は、

やっぱり京都で歴史ある一族として穏やかに過ごせばいいのにという思いは拭えない。

男子一系とかも、

ある一族の問題であれば文句はない。

国の象徴であるからこそその時代遅れなこだわりが問題になるのではないか。

政教分離だってそう。

何より彼らの重荷を考えると気の毒だ。

それに、

天皇制がなくなれば、

国民の政治への目線がもっと厳しくなるように思う。

この国の民主主義が成熟するためにも、

ぜひ京都でお過ごしいただきたいと改めて思うのである。

2019年11月9日土曜日

拳闘

井上尚弥のボクシングの試合を昨晩見た。

相手は5階級制覇のレジェンド・ドネア。

とはいえ36歳。

伸び盛りの井上は遅くても3ラウンドまでにKO勝ちすると、

もっぱらの評判だった。

でも勝負事はやってみないとわからないもんだ。

井上が早いラウンドで右目まぶたを大きく切って、

勝敗の行方は分からなくなった。

モンスター井上も人間だった。

試合は死闘の展開となった。

早いラウンドでKO勝ちを続けてきた井上にとっては、

未知の戦いとなった。

壮絶な打ち合いは最終12ラウンドまで続き、

よもやの判定にもつれ込んだ。

井上はダウンを奪っていたこともあって勝ったけど、

素人目には価値を下げたように思えた。

でもそんなことは当人同士には些細なことだった。

互いの健闘をたたえ抱き合う二人。

他人には分からないリスペクトが二人には生まれていた。

後日談がある。

子供にトロフィーを持ち帰ると約束していたドネアが、

井上にトロフィーを貸してくれと頼んだのだそうだ。

井上は快諾してドネアは井上の名が刻まれたモハメドアリトロフィーを、

子供に見せたそうだ。

井上は12ラウンドを戦う体力と闘志という新たな自信を得たと語る。

井上の圧勝を期待し、

長引いた試合に少々がっかりしていた自分がいかに浅はかだったか。

ボクシングは単なる殴り合いではない。

そんな大切なことを思い知らされた。

2019年11月8日金曜日

脱出

12年前、

酒浸りの末期症状のとき、

それは苦しかった。

手が震え文字さえまともに書けなかった。

それでも酒が切れるといたたまれず、

死んでしまうのではないかと大げさではなく思っていた。

そんなところからなぜピタッと止めることができたのか。

正確にいつ最後の酒を飲んだのか正直覚えていない。

ただ言えるのは、

このまま飲み続ければ死ぬなと実感したことは大きかった。

死にたくない。

そう思ったとき、

不思議なほどピタッとやめられた。

要は精神的なものだったのかもしれない。

だっていわゆる禁断症状的なものはなかったのだから。

どん底で悟る。

それは僕の典型的な性格だ。

同時に逆説的に弱い部分でもあるように思う。

確信的にアル中の道に踏み込みながら、

結局その道を行ききることなく、

死ぬかも知れないと思った途端、

怖くなって引き返したとも言える。

本当に覚悟があったなら、

そのまま死んでいただろう。

その優柔不断さに救われた。

なかなかやめられなかった僕だが、

やめてからは一度も再飲酒はしていない。

多くの人は止めては飲み、

また止めては飲むの繰り返す。

僕は止めるまでは通院しながらも1日たりとも飲まない日はなかった。

なのに止めた後はピタッと止めて今日に至る。

アル中になる道は大体皆同じだけど、

止め方には人それぞれの道があるもんだ。

僕は恵まれていた。

そのことについてはまたいずれ。

遺志

30日は親父の13回忌だ。 あーそんなになるのか、 と言うのが率直な感想。 親父が亡くなる直前、 僕は酒を辞めた。 復職して最初のボーナスが出た日、 入院していた病院に行って報告した。 もう親父はかなり弱っていて、 ほとんど喋れなかった。 でも...