2019年11月15日金曜日

修復

アル中になって会社を休職して、

会社人生が事実上終わった時、

僕は仕事以外に何か生きがいを見つけようとした。

それがジャズシンガーだった。

とにかく声がいいですねではなく、

確かな発声法を身につけたいと先生を探し、

今も継続してレッスンを受けている。

決して思うようには上達しなかった。

毎日毎日12年間練習していても、

どうしてもわからず、

もうダメだと思ったことも一度や二度ではない。

でも僕にはこれしかなかったし、

あの時の決意を捨てる気にはならなかった。

石の上にも三年というが、

僕の場合は10年はゆうにかかった。

でも諦めずに続けてきたことが今のライブにつながっているし、

その縁でゴルフを始めることにもなった。

そのゴルフも十年は続けようかなと思い始めている。

歌に比べてゴルフが良いのは、

とにかく毎日少しは進歩していることが実感できることだ。

まだ半年だけど、

明らかにクラブを振る筋力は付いてきたし、

確実性は上がっている。

上達が実感できるということは素晴らしい。

歌の時は本当に何年も何年も、

自分のやっていることが正しいのか、

根本的に間違っているような不安感が拭えなかった。

これは苦しかった。

断酒についてはどうだろう。

再び飲むという選択はなかったけど、

三年ぐらいはとにかく社会の落伍者だという負い目が消えなかった。

五年を過ぎた頃からかな。

少しずつそいういう負い目は消えて、

少なくとも毎日考えるようなことはなくなった。

十年を過ぎてからは、

人前で平気に自分はアル中だと公言できるようになった。

それでも、

昔を知っている会社の上司らの僕への態度の中に、

一歩距離を置かれていることを感じる。

必要最低限の事務的なやりとりしかしない。

まぁ僕の方がバリアを張っていることが大きいのかも知れないが。

彼らも僕がここまで辞め続けるとは思ってもみなかったのだろう。

今更親しく付き合うことはこっちも意地でもしない。

これは会社を辞めるまで付きまというだろう。

今は昔を知らない若手と仕事をしていることが楽しい。

はっきり言って飛ばされて来た部署だったけど、

そこで僕はある意味生き返った。

周りにそういう意味で接しにくい人はいない。

距離を置く人もいない。

ありがたいことだ。


0 件のコメント:

コメントを投稿

遺志

30日は親父の13回忌だ。 あーそんなになるのか、 と言うのが率直な感想。 親父が亡くなる直前、 僕は酒を辞めた。 復職して最初のボーナスが出た日、 入院していた病院に行って報告した。 もう親父はかなり弱っていて、 ほとんど喋れなかった。 でも...