2019年11月11日月曜日

即位

学生の時、

天皇制には懐疑的、

というか反対だった。

ちょうど昭和から平成に変わる時だった。

昭和天皇の戦争責任もさることながら、

人の上にやんごとなき方を頂いていることが、

気に食わなかった。

日の丸に罪はないけど、

君が代には抵抗があった。

天皇という家系が連綿と続いてきていることは貴重だから、

重要無形文化財的に京都あたりで暮らすのならいいとは思ったが。

第一彼らはとても大変そうだ。

あれから30年を経て、

少し考え方は変化した。

平成天皇はひたすら平和を願い実践して、

被災地に足繁く通った。

それは想像を絶する心身の苦労があったはずだ。

そうやって自分の責務を全うする姿に、

人間として尊敬を覚える。

天皇制以前に。

今度の皇后は僕とほぼ同い年だ。

大変な苦労で心を病み、

でも立場を放棄することもできず、

ただひたすら我慢して今日のパレードを迎えた。

その気持ちも想像する。

情けない政治を見るにつけ、

皇族の一貫した姿勢には感銘を覚える。

この国は彼らがいるから安定している面は確かにある。

ただ、

平和の象徴としての今の存在は絶対的なものではない。

やんごとなき方が再び戦争の支柱になることは十分にありうると思う。

彼らが日本人の心の拠り所であればあるほど、

平和ではない方向に向かった時に、

いとも簡単に別の方向への精神的支柱になるかも知れない。

だから本当は、

やっぱり京都で歴史ある一族として穏やかに過ごせばいいのにという思いは拭えない。

男子一系とかも、

ある一族の問題であれば文句はない。

国の象徴であるからこそその時代遅れなこだわりが問題になるのではないか。

政教分離だってそう。

何より彼らの重荷を考えると気の毒だ。

それに、

天皇制がなくなれば、

国民の政治への目線がもっと厳しくなるように思う。

この国の民主主義が成熟するためにも、

ぜひ京都でお過ごしいただきたいと改めて思うのである。

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