2015年3月12日木曜日

四年

4年たった。

あの日、
出勤前のテレビで見た映像、
出社途中の地下街で、
のんびり歩く人らに向かって、
心の中で叫んでいたこと。

今でも覚えている。

あの日のことは、
阪神大震災の時のことと同じように、
死ぬまで忘れることはないだろう。

当時録画したテレビ番組のいくつかは、
今でも消さずにおいてある。

時々見返す。

一方で、
被災地の人たちは、
あんまり当時のことを話さなくなったと、
テレビで言っていた。

思い出すのが辛いから。

阪神の時もそうだったように思う。

それは人間として当たり前の反応だと思う。

来る日も来る日も思い出していては、
身が持たない。

だからせめて年に1度、
311や117に思いっきり思い出す。

そのたびに、
当時のことの捉え方が、
少しずつ変って行く。

そうして心の整理をつける。

ただ、
絶対に整理しちゃいけないこともある。

東日本大震災でいえば、
原発事故のことだ。

4年たっても、
溶けた燃料の状態すら把握できていない。

総理大臣は完全にコントロールできている、
などと大ウソを繰り返す。

電力会社は虎視眈々と、
再稼働を狙っている。

原発ゼロでもう何年も、
日本は電力不足にもならず、
やっていけているというのに。

忘れない、
といいながら、
片や忘れさせようとする。

流されてはいけない。


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