2019年11月29日金曜日

遺志

30日は親父の13回忌だ。

あーそんなになるのか、

と言うのが率直な感想。

親父が亡くなる直前、

僕は酒を辞めた。

復職して最初のボーナスが出た日、

入院していた病院に行って報告した。

もう親父はかなり弱っていて、

ほとんど喋れなかった。

でも僕が報告すると、

ベッドの上で両手を上げて拍手してくれた。

死ぬ直前に何とか立ち直る兆しを見せられて良かった。

その親父の最後の願いが、

お袋を頼むだった。

親父と入れ替わるように僕は実家に戻り、

以来ずっとお袋と暮らしてきた。

一応親父との約束を守っているつもりだ。

この間、

1日たりとも親父のことを思い出さない日はない。

ちょっと盛っているけど笑

まぁでも大体思い出すな。

親父ならどうするだろう。

親父なら何と言うのかな。

そう問いかけ続けた。

72歳で逝った親父には。

もうすこし、

せめて80歳まで生きていて欲しかった。

でも最後の瞬間を見届けられた僕は幸せかもしれない。

最後の呼吸をするまで、

懸命に生きようとした姿は忘れようがない。

何を考えて闘っていたのかは聞けなかったけど、

その姿は一生僕の指針になるだろう。

これからも親父と会話を続けながら生きていくだろう。

●金曜日に元町に参ります。よろしくお願いします。

2019年11月27日水曜日

解約

生命保険を解約した。

医療保険と死亡保険共に。

両方とも15年ほど前に営業マンだった友人の勧めで入ったのだが、

その後友人は独立。

でもそのままにしていたけど、

後任の営業はたまに印刷したハガキを送ってくるだけで、

一度も会うこともなく時だけがすぎた。

今年に入って改めて考えてみた。

死亡保険については、

この年齢でしかも独身で、

葬式を出すぐらいの金はある。

医療保険にしたって昨今は長期入院もさせてもらえないと言うし、

まぁ余程の高度医療を受けるのでなければ、

あるいはそうなったとしても、

今や保険に頼らなくても大丈夫だと判断した。

そもそも入った時は僕は結婚していた。

今は金を残す人も必要もない。

それより毎月ただ引き落とされる数万円が惜しい。

それがあれば美味しい外食が月一で楽しめる。

将来の不安より今の幸せに使った方が、

この年齢では正しいのではないか。

もし考えが変わったらネット保険にでも入ればいい。

と言いながらズルズル解約を引き延ばしていたのだが、

ある事が背中を押した。

解約すると電話した途端、

しきりに営業が会いたがってきたのだ。

なんども電話してくるし、

それが鬱陶しい。

今更なんだよ。

今日書類を郵送した。

スッキリした。

2019年11月26日火曜日

変化

スマホ中毒がけしからんというけれど、

活字中毒はどうなのか。

電車の中で皆がスマホを触っている光景は、

異常なようにも思うけど、

皆が本を読んでいても何とも思わないだろう。

スマホでゲームをしていたとしても、

週刊漫画を読んでいるのとどう違うのか。

新聞の代わりにスマホでニュースをチェックしている人もいるだろう。

要はスマホを悪者にしすぎのような気がする。

スマホ首だのスマホ指などと言うけれど、

何十年かしたら体がそのように「進化」するかもしれない。

進化はそう言う風にして起きるものだ。

まぁ、

スマホの時代もあと十年かそこらで、

もっと別の情報端末が流行っているだろうけど。

電車に乗ったら皆が3Dゴーグルをつけているかもしれない。

まぁとにかく、

変化を悪く言わないことだ。

社会は変化を続けて発展する。

良い変化も悪い変化も含めて、

変化しながら発展する。

自分がそれに付き合うかどうかは別として、

他人の変化は非難しないこと。

それは大事だと思う。

2019年11月25日月曜日

実感

友人らとのゴルフラウンド2回目。

スコアは前回より多少良いだけだったけど、

自分の中では出来ははるかに良かったと思っている。

半年前から毎日続けてきた成果がはっきりと現れていると、

実感できたからだ。

何事も継続することが大事だ。

ゴルフって練習場でいくら良くても、

コースではボロボロとくのがこれまでの僕のパターン。

でも今回は違った。

練習して自信のある部分については概ねうまく行った。

失敗したのはアプローチやパットなど、

日頃あまり練習していないことばかり。

普通は練習でうまく行っても本番で嘘のようにボロボロを繰り返してきたので。

だけど今回はどうではなかった。

もちろん用意周到に朝

6時過ぎに起きていつもの練習場にも行った。

最大限の努力をしてきたんだから結果は二の次だと思えるようんになった。

同時に今の自分に足りないものも明確になった。

これからは身につけたものを維持発展させながら、

苦手を克服していかなきゃならない。

何が何だかわけがわからないまま終わった前回との、

決定的な違いはそこだ。

前回の悔しさをバネにこの半年、

続けてきた甲斐があった。

辛口の友人もこの出来には驚いたようで、

褒められたのは嬉しかった。

次回は1月31日だそうで。

それまでまた連日練習の日々が続く。」

2019年11月22日金曜日

練習

ライブもゴルフも近づき、

今日は練習に次ぐ練習、

ゴルフ、

歌、

そしてライブでギターを弾いてもらう会社の後輩とリハ。

それから会場のbuddiesを紹介。

ちょっとオーバー遊びかな。

それでも遊びも真剣にやらないと面白くない。

全力を尽くして結果が失敗しても納得できる。

でも、

こうして忙しくしていると、

自己洞察がおろそかになる。

二律背反。

でも、

後輩との話で酒で失敗した過去や、

それからどう言う気持ちで音楽をやってきたか、

一通り話した。

これでは自己洞察は不十分だろうか。

多忙な中で過去を忘れない工夫では足りないのだろうか。

2019年11月19日火曜日

流浪

もといちの日の集まりが、

また受難の時を迎えている。

恒例の会場にしてきた居酒屋のりをが閉店してしまったのだ。

その前のありがた家に続いたまたしも。

毎年同じ場所でと思っているのに、

飲食業界は厳しいらしい。

だから早急に次の場所を決めないといけないんだけど、

これがなかなか難しい。

条件は、

6時ぐらいから12時まで使えること。

15人ぐらいの座席はキープしたいけど、

メンバーは三々午後集まると言うこと。

おまけに来年2月1日は土曜日ときた。

こんなわがままな条件をのんでくれる店が、

しかも甲子園口駅界隈にあるだろうか。

行きつけの居酒屋があるなら無理も聞いてもらえそうだが、

僕にはそれがないのが弱み。

会のやり方は絶対に変えたくない。

いい場所はあるだろうか。

2019年11月17日日曜日

信用

沢尻エリカの合成麻薬で逮捕された。

お騒がせ女優だった彼女が、

何年もかけて信頼を取り戻し、

ようやく大河ドラマのレギュラーを獲得した矢先だった。

これで振出しに戻る以上、

全てを台無しにしてしまった。

僕が酒をやめてから12年の間には、

多くの人がまた酒を飲み、

振出しに戻っていった。

もう一度頑張っている人もいるが、

その道は険しい。

何より社会の見る目が変わる。

とにかくやめ続けることでしか信用を取り戻す手段はない。

脱落していく人の話を聞くたびに、

この道はサバイバルだなと思ってきた。

言い方は悪いけど、

誰かが脱落するたびに、

自分は落ちないと決意を新たにする機会にしてきた。

ウミガメの赤ちゃんのようなもんだ。

無事に海にたどり着いても、

多くの困難があって生き残れるのはほんの、

ほんの一握り。

それぐらい断酒の道は狭い。

沢尻エリカがいつかまたドラマや映画に出ることはあるかもしれない。

でも、

彼女への信頼が戻るには再び十年、

いや二十年の時間は覚悟しなければならない。

その間、

周りの疑いの目にさらされ耐え抜くことができるのか。

僕には他人事に思えない。

2019年11月16日土曜日

教訓

電車とか街中で、

ビールや酎ハイを片手に飲んでいる人を見かけると、

それは危ないよと心の中で言葉をかける。

それはかつての自分だ。

そういうこと自体、

異常なのだということに当時の僕は気づかなかったし、

多分彼らも気づいていない。

今日のNHKドキュメント372時間は、

銀座の酒店を取り上げていた。

次々にやってきては有料の試飲して帰る客。

休みだからと言って何種類も飲んで帰る若い男性。

ジンが好きって言ってたっけ。

でも、

彼らがみんなアル中になるわけではないとは思う。

僕がいけなかったのは、

仕事柄、

昼間っから翌日明け方まで飲むような生活をしていたことは大きいかな。

9時5時で働くような生活なら、

自ずと飲む時間は限られる。

今の生活でもそうだ。

でもあの当時は夜勤もあって明けの日なんかだと、

同僚と昼間から繰り出して何限もはしごして、

挙句にタクシーで帰宅なんていうのはざらだった。

そうでもしないと仕事のストレスが発散できないというのは言い訳で、

別に飲まなくても仕事をしている人はいた。

そういう世界で仕事をして、

そういう飲み方をするのが当然だと思っていた。

何の疑問も抱かなかったし、

それでアル中になるなら本望だぐらいに思っていた。

アル中の本当の苦しさも知らず。

だから若い後輩には言う。

酒なんて本当は40歳ぐらいからで十分だよと。

僕は酒の飲み方を間違えたまま一生分すでに飲んでしまった。

彼らには本当に酒を味わい楽しめる40代ぐらいからにして、

それまではもっと自分を磨くことに時間を使って欲しいと思う。

まぁ当時は酒を飲むことが自分磨きだと僕は思っていたわけだが。

身をもって知ったことを若い人に伝えたいとは思いつつ、

背伸びしたい彼らの気持ちもわかるんだよなぁ。

●ペンギンさん一日遅れでハッピーバースデー。

2019年11月15日金曜日

修復

アル中になって会社を休職して、

会社人生が事実上終わった時、

僕は仕事以外に何か生きがいを見つけようとした。

それがジャズシンガーだった。

とにかく声がいいですねではなく、

確かな発声法を身につけたいと先生を探し、

今も継続してレッスンを受けている。

決して思うようには上達しなかった。

毎日毎日12年間練習していても、

どうしてもわからず、

もうダメだと思ったことも一度や二度ではない。

でも僕にはこれしかなかったし、

あの時の決意を捨てる気にはならなかった。

石の上にも三年というが、

僕の場合は10年はゆうにかかった。

でも諦めずに続けてきたことが今のライブにつながっているし、

その縁でゴルフを始めることにもなった。

そのゴルフも十年は続けようかなと思い始めている。

歌に比べてゴルフが良いのは、

とにかく毎日少しは進歩していることが実感できることだ。

まだ半年だけど、

明らかにクラブを振る筋力は付いてきたし、

確実性は上がっている。

上達が実感できるということは素晴らしい。

歌の時は本当に何年も何年も、

自分のやっていることが正しいのか、

根本的に間違っているような不安感が拭えなかった。

これは苦しかった。

断酒についてはどうだろう。

再び飲むという選択はなかったけど、

三年ぐらいはとにかく社会の落伍者だという負い目が消えなかった。

五年を過ぎた頃からかな。

少しずつそいういう負い目は消えて、

少なくとも毎日考えるようなことはなくなった。

十年を過ぎてからは、

人前で平気に自分はアル中だと公言できるようになった。

それでも、

昔を知っている会社の上司らの僕への態度の中に、

一歩距離を置かれていることを感じる。

必要最低限の事務的なやりとりしかしない。

まぁ僕の方がバリアを張っていることが大きいのかも知れないが。

彼らも僕がここまで辞め続けるとは思ってもみなかったのだろう。

今更親しく付き合うことはこっちも意地でもしない。

これは会社を辞めるまで付きまというだろう。

今は昔を知らない若手と仕事をしていることが楽しい。

はっきり言って飛ばされて来た部署だったけど、

そこで僕はある意味生き返った。

周りにそういう意味で接しにくい人はいない。

距離を置く人もいない。

ありがたいことだ。


2019年11月13日水曜日

相性

職場でいわゆる共演NGが増えて困っている。

数十人の部署だから、

互いに気が合わないということはあるだろう。

でも、

はっきり一緒に仕事するのは嫌だと言われてしまうと、

それでなくても厳しい勤務ダイヤがつけられない。

正直そこまで気を配ることは無理だ。

先日もうまくいかない二人がいて、

急遽配置換えをすることに。

本当に一難去ってまた一難。

個人的な感触だけど、

どうやら女性同士の方がNGとはっきり言う傾向にある。

男性はたとえ合わなくてもなんとか折り合いをつける。

それに時間が経てばなんとなく元どおりになるケースも多いようだ。

一方女性は一度ダメとなると回復が難しいみたいだ。

本質的にはみんな良い若手に見えていたし、

実際そうだろうけど、

僕の知らないところで様々な思惑や不満が溜まっている。

良きにつけ悪しきにつけはっきり主張する。

それがイマドキなのか。

その前にとりあえず仕事に一途に取り組んで欲しいのだが。

やれやれ。

2019年11月12日火曜日

若目

先日、

北新地から会社までタクシーに乗った。

歩いても10分ほどの距離だけど、

急いでいたからだ。

年配の運転手はこう言った。

お客さんそこでっせ、

お若いのにこんな近い距離を車で?

僕、

いやいや急いでるもんで。

それにそんなに若くもないんで。

運転手、

そうですか?

お若い感じですけど。

僕、

いくつぐらいやと思います?

運転手、

さぁ二十五、六、、、

僕、

そりゃないわ。

その親父ぐらいの年齢です。

運転手、

えっ、

そないでっか。

暗いし良く見えまへんねんけど、

なんとなく雰囲気で、、、

1年前は電車で席を譲られそうになり、

風俗の呼び込みにはお父さんと言われ、

今度は20歳代か、、、笑

まぁそれがベテラン運転手のおべんちゃらだとしても、

僕はその時の気持ちから悟った。

たとえ口から出まかせであっても、

ありえないほど若く言われても、

決して悪い気はしないということだ。

このおっさん何考えとんねんと思ったとしても、

悪い気はしないもんだなぁ。

これからは明らかに嘘でも他人の年齢は当てにいかず、

とりあえずうんと若く言おう笑

2019年11月11日月曜日

即位

学生の時、

天皇制には懐疑的、

というか反対だった。

ちょうど昭和から平成に変わる時だった。

昭和天皇の戦争責任もさることながら、

人の上にやんごとなき方を頂いていることが、

気に食わなかった。

日の丸に罪はないけど、

君が代には抵抗があった。

天皇という家系が連綿と続いてきていることは貴重だから、

重要無形文化財的に京都あたりで暮らすのならいいとは思ったが。

第一彼らはとても大変そうだ。

あれから30年を経て、

少し考え方は変化した。

平成天皇はひたすら平和を願い実践して、

被災地に足繁く通った。

それは想像を絶する心身の苦労があったはずだ。

そうやって自分の責務を全うする姿に、

人間として尊敬を覚える。

天皇制以前に。

今度の皇后は僕とほぼ同い年だ。

大変な苦労で心を病み、

でも立場を放棄することもできず、

ただひたすら我慢して今日のパレードを迎えた。

その気持ちも想像する。

情けない政治を見るにつけ、

皇族の一貫した姿勢には感銘を覚える。

この国は彼らがいるから安定している面は確かにある。

ただ、

平和の象徴としての今の存在は絶対的なものではない。

やんごとなき方が再び戦争の支柱になることは十分にありうると思う。

彼らが日本人の心の拠り所であればあるほど、

平和ではない方向に向かった時に、

いとも簡単に別の方向への精神的支柱になるかも知れない。

だから本当は、

やっぱり京都で歴史ある一族として穏やかに過ごせばいいのにという思いは拭えない。

男子一系とかも、

ある一族の問題であれば文句はない。

国の象徴であるからこそその時代遅れなこだわりが問題になるのではないか。

政教分離だってそう。

何より彼らの重荷を考えると気の毒だ。

それに、

天皇制がなくなれば、

国民の政治への目線がもっと厳しくなるように思う。

この国の民主主義が成熟するためにも、

ぜひ京都でお過ごしいただきたいと改めて思うのである。

2019年11月9日土曜日

拳闘

井上尚弥のボクシングの試合を昨晩見た。

相手は5階級制覇のレジェンド・ドネア。

とはいえ36歳。

伸び盛りの井上は遅くても3ラウンドまでにKO勝ちすると、

もっぱらの評判だった。

でも勝負事はやってみないとわからないもんだ。

井上が早いラウンドで右目まぶたを大きく切って、

勝敗の行方は分からなくなった。

モンスター井上も人間だった。

試合は死闘の展開となった。

早いラウンドでKO勝ちを続けてきた井上にとっては、

未知の戦いとなった。

壮絶な打ち合いは最終12ラウンドまで続き、

よもやの判定にもつれ込んだ。

井上はダウンを奪っていたこともあって勝ったけど、

素人目には価値を下げたように思えた。

でもそんなことは当人同士には些細なことだった。

互いの健闘をたたえ抱き合う二人。

他人には分からないリスペクトが二人には生まれていた。

後日談がある。

子供にトロフィーを持ち帰ると約束していたドネアが、

井上にトロフィーを貸してくれと頼んだのだそうだ。

井上は快諾してドネアは井上の名が刻まれたモハメドアリトロフィーを、

子供に見せたそうだ。

井上は12ラウンドを戦う体力と闘志という新たな自信を得たと語る。

井上の圧勝を期待し、

長引いた試合に少々がっかりしていた自分がいかに浅はかだったか。

ボクシングは単なる殴り合いではない。

そんな大切なことを思い知らされた。

2019年11月8日金曜日

脱出

12年前、

酒浸りの末期症状のとき、

それは苦しかった。

手が震え文字さえまともに書けなかった。

それでも酒が切れるといたたまれず、

死んでしまうのではないかと大げさではなく思っていた。

そんなところからなぜピタッと止めることができたのか。

正確にいつ最後の酒を飲んだのか正直覚えていない。

ただ言えるのは、

このまま飲み続ければ死ぬなと実感したことは大きかった。

死にたくない。

そう思ったとき、

不思議なほどピタッとやめられた。

要は精神的なものだったのかもしれない。

だっていわゆる禁断症状的なものはなかったのだから。

どん底で悟る。

それは僕の典型的な性格だ。

同時に逆説的に弱い部分でもあるように思う。

確信的にアル中の道に踏み込みながら、

結局その道を行ききることなく、

死ぬかも知れないと思った途端、

怖くなって引き返したとも言える。

本当に覚悟があったなら、

そのまま死んでいただろう。

その優柔不断さに救われた。

なかなかやめられなかった僕だが、

やめてからは一度も再飲酒はしていない。

多くの人は止めては飲み、

また止めては飲むの繰り返す。

僕は止めるまでは通院しながらも1日たりとも飲まない日はなかった。

なのに止めた後はピタッと止めて今日に至る。

アル中になる道は大体皆同じだけど、

止め方には人それぞれの道があるもんだ。

僕は恵まれていた。

そのことについてはまたいずれ。

2019年11月7日木曜日

他山

田代まさしがまた覚せい剤で逮捕された。

過去に何度も逮捕されて、

それでも8年ぐらいやめていて、

NHKの番組にまで出るほどに信用を取り戻しつつある矢先だった。

正直、

そんな驚きはなかったけど、

ほんの少しは期待していただけに、

もう芸能人としては終わりだなと思った。

酒も一緒かもしれないけれど、

覚せい剤はきっと、

やったらすごい快楽なんだろう。

酒はね、

ものすごい辛いの。

だからもう2度と戻りたくないという歯止めがある。

覚せい剤にはその歯止めが、

結局、

逮捕とか社会的信用の失墜ということであって、

やっぱり快楽は忘れられないのかなと想像する。

ただ一度でもやっちゃえば逮捕されるということは、

あまりに大きい。

とはいえ世間的には酒も覚せい剤も一緒。

何年、

何十年やめていても、

いつかやるかもしれないという目で一生見られる。

この12年、

酒でもやめては繰り返す人を何人も見てきた。

そのたびに、

僕は生き残ってみせると思ってきた。

言い方は悪いけど、

誰かが脱落すればするほど自分はしないと強く思った。

でも、

綱渡りをしているという意味では同じ。

僕もいつ、

どんなタイミングで元の木阿弥にならないとは限らない。

今回の件で再びその思いを強くする。

同時にまたしても自分は生き残るという思いを新たにする。

そして、

田代まさしには、

芸能界かどうかはともかく、

もう一度やり直して欲しいと思う。

それがなくなったら心底終わりだから。

それにしても悲しいニュースだった。

2019年11月6日水曜日

公言

今日はひょんなことからプロゴルファーの練習を目の当たりにした。

長年ゴルフはテレビで見てきたけど、

プロの生のスイングは初めて。

いうまでもないけど、

凄まじいスイングと弾道に飛距離。

そりゃプロだから当たり前かもしれないけど、

度肝を抜かれた。

それだけならまだしも、

なんとそのプロが僕に教えてくれた。

まぁ見るに見かねたんだろうけど、

すごい気さくで、

でも問題点をビシッと指摘してくれた。

言っていることはわかったけど、

それを実践できるかどうかは別だけど。

でもとても感動したし嬉しい一日だった。

その後大阪で食事をしながら話をした。

一緒にいた友人が僕がアル中で死にかけたことを、

あれこれ話すもんだから、

仕方なく当時のひどかった頃についてひとくさり話した。

以前は僕に酒を飲め飲めと言っていた友人も、

断酒10年を越した頃から言わなくなった。

むしろ長年の断酒を評価しているような感じも伝わってくる。

僕もそういう話になれば包み隠さず話すようにしている。

自分がアル中であることを話すのは、

以前は抵抗があったけど最近はそれはない。

断酒を続けてきたからこそなのかもしれない。

言っとくけど、

今の僕は酒を飲むことはないしその気も全くない。

酒をやめたことで唯一のマイナスは、

女性に気軽に話しかけられなくなったことだけど、

それを除けば良いことしかない。

何よりあの酒に支配された日々に戻ることは考えられない。

10年経っても痛みを忘れないのは、

ずっと話したり書いたりしてきたからだ。

だからペンギンさんの言葉は正しいと思う。

人間は嫌な思い出は忘れたい。

時が苦しみを癒すという面は決して悪いとは思わないが、

ことアルコール問題については、

かさぶたをはがすように、

常にヒリヒリするような痛みを感じ続けることが大切なのだと教わった。

僕はそれをPTSD療法と勝手に呼んでいるが、

とにかく人間は忘れやすいので、

忘れないことが唯一酒をやめ続ける方法なのだそうだ。

でもそれも辛いもんで、

特に劣等感が常につきまとう。

自分はダメな人間だと日々思い起こしながら、

上を向いて積極的に生きるのは難しい。

どうしても下を向きがちだ。

だから対外的には隠そうとする。

自然、

同じ仲間同士が集まって体験を語り合う。

そういう形になりがちだ。

自分の方から世間に背を向けがちだ。

その辺のバランスは難しいと思う。

最近のように、

どう思われようと私はアル中なんですと公言することは一つの手だ。

最近はそういうことに理解が進んでいるのでそれは救いだ。

プロゴルファーはピンときていないようだったけど。

無理もない。

あの状況や苦しさを理解できるのは、

やっぱり当事者しかいないからだ。

2019年11月5日火曜日

生還

ここところ、

このブログの読者0が続いている。

名実ともにメッセージインアボトルだ。

でもそれでもいい。

これは自己観察の記録。

誰に読まれようと読まれまいと、

書き続けることに意義がある。

アル中で死ぬかもしれなかった12年前には、

こんな充実した日々が来ることなど、

想像もできなかった。

僕は実は、

酒を最後に飲んだ日の記憶がない。

気づいたら飲まなくなっていた。

酒がないと死んでしまうとまで思っていたのに、

これは実に不思議なことだ。

必死で耐えたということはなかった。

ただ、

気づいたら辞めていた。

最後の一杯の記憶ももちろんない。

アル中は病気だとされる。

だけど薬を飲んで安静にしていれば治るというほど生易しいものではない。

多くの人が辞めてはまた飲んでを繰り返す。

なのに僕はなぜ。

それは思うに死にたくなかったからだと思う。

これ以上飲み続けたら本当に死んでしまう。

そう悟った時に、

怖くなってしまったのだろう。

要するに中途半端なやつなのだ。

正真正銘のアル中ならそのまま死んでもいいから飲み続けたかもしれない。

でも僕は違った。

覚悟が足りなかった。

覚悟が足りないから辞めたとも言える。

僕はそういう性格だ。

この性格は一生治らないと思う。

だからこそ、

辞め続ける以外に道はないのだ。

2019年11月4日月曜日

追求

今の部署に来た5年前は、

若い後輩に対する要求は低かった。

給料はうんと安いし、

合格点が取れていればそれでよしと思っていた。

でも、

彼らも経験を積み、

普通の仕事なら難なくできるようになった。

そこで向上心がある人はいいのだけど、

もうそれでいい。

早く片付けてさっさと帰りたい。

これ以上仕事に頭を使いたくない。

これだけできてれば十分でしょ。

そんな風に見える人が出てきた。

それでも良いといえば良い。

昔の僕はそうだった。

でも、

そこからもう一歩先に進んで欲しいと思うようになってきた。

この仕事は奥が深い。

たった1文字の助詞の使い方。

もっと良い表現があるのではないか。

そんなことを突き詰めたらゴールはないと言ってもいい。

その領域に踏み込んで欲しい。

だからついつい重箱の隅を突くようなことを言ってしまう。

もちろん言い方は気をつける。

ここはこうした方がいいんじゃないかな?

もっと良いのがあるんじゃない?

例えば僕はこんな風なんかも良いと思うけど、

君はどう思う?

手を変え品を変え、

次のステージに上げようと試みる。

給料なりに働けばいいというのはやっぱり違う。

この仕事をする以上、

ベストを尽くして欲しい。

この部署を強い組織にするためには、

中堅の彼らがワンランク上がることが必要なのだ。

この仕事を愛し苦しみ追求して欲しい。

そんな風に思う最近である。

2019年11月3日日曜日

沖縄

燃えてしまった首里城。

一度だけ行ったことがある。

当時はすでに酒浸りで、

空港についてレンタカーを借りたけど、

当然のごとく飲酒運転。

途中にショッピングモールに立ち寄った時も、

まずどこに酒が売っているか確認して、

それから連れに何かと理由をつけては別行動をとり、

一目散にそこに行ってビールを一気飲み。

ビーチに行ってもとにかく理由をつけて海の家に一人で行き、

そこでビール。

ホテルの部屋は確か10階だった。

ビールのある売店は1階。

タバコが切れたと行っては一人で一階に行ってビール。

連れが風呂に入っている隙にまた一階に降りてビール。

一体何本のオリオンビールを飲んだだろう。

今思えば滑稽極まりないんだけど、

当時はもう必死なわけ。

酒が切れることが恐怖以外の何ものでもなかった。

そもそも飛行機に乗る時でさえ、

薬の小瓶にジンを入れ、

その瓶を3本ぐらいポケットに入れていたのだ。

アル中というのはそういう生き物。

行動の全てがアルコールに支配される。

もちろんそんなことは本人も苦しい。

はっきり行って観光なんて二の次だった。

炎上する城の映像を眺めながら、

あの頃を思い出した。

2019年11月2日土曜日

現状

はや11月。

今年はとにかく仕事が忙しかった。

会社に入って30年超になるが、

恐らく一番忙しかったという感覚がある。

もう辞めてやろうかとかなり本気で考えていた矢先に、

責任のあるポジションに就くことになり、

そうなると投げ出すわけにも行かず、

そのまま怒涛の毎日だった。

会社はうまいこと考えるものだ。

そんなわけで旅行にも行けなかったが、

それに変わる挑戦が二つあった。

一つは車。

もう一つはゴルフ。

どちらも刺激的で、

今年はこの二つの挑戦ができたことは満足だ。

もちろん歌も続けている。

ここではあんまり書かないけど、

この10年以上、

まぁ毎日欠かさず1時間は歌というか発声練習に費やしている。

深夜に帰宅して、

風呂上がりから寝る前まで。

今日も帰宅して風呂に入って少し録画を見て歌の練習をして、

一息ついたらもうこんな時間だ。

やれやれ。

石の上にも3年というが、

10年続けてやっと見えてきたものがある。

どんだけ不器用やねんと呆れるが、

こればかりはやめられない。

必ずものにしてみせる。

来年はオリンピックがある。

そのどさくさで会社も世間もガラッと変わる予感がする。

できればオリンピック後に30年休暇をとって、

どこか海外に行きたい。

でもとりあえずの問題は年末年始の勤務ダイヤ作りだ。


2019年11月1日金曜日

兆候

このブログが滞っていることは危険な兆候だそうだ。

久しぶりに会ったペンギンさんに厳しく指摘された。

ひと月前に会った時は普通だったのに、

今日は本当に不機嫌だった。

自分としては公私ともに絶好調とは言わないが、

まぁまぁ充実していると思っていただけに、

この突然の不機嫌、

僕にとってはスカイダイビングの突然のクビに匹敵する衝撃だった。

その意味を考えてみた。

このブログは本来、

自分観察の意味合いが強い。

それはきっと鳥の羽ばたきのようなものなのかもしれない。

約10年、

ほぼ毎日僕は羽を動かしてきたわけだ。

だからそれなりの高度の空を飛び続けられた。

でもブログがい1日空き、

3日空き、

もっと空く日も出てきた現状は、

これまでの高度があるからまだ空を飛んでいるけど、

いずれどんどん高度を下げ、

ついには墜落する。

そんな未来がプロのペンギンさんには見えるのだと思う。

自分が好調だと思っているのに、

実は危険な道を進んでいたというのは、

スカイダイビングと同じだ。

あれも然るべき時にビシッと叱責されたのは、

このままでは命に関わる事故を起こすと判断されたからだった。

言われた僕は寝耳に水だったけど、

冷静に考えればプロの目は正しいのだと思う。

自己観察を怠るな。

それがペンギンさんの言いたかったことなのだろう。

確かに忙しい。

10年経ってある種の達成感があったのも確かだ。

でもそれは言い訳だ。

このままではいずれ墜落するんだろう。

いいタイミングで言ってもらえたことに感謝せねば。

新しいパソコンと共に、

改めて初心に戻る努力をしないとなと思った。

余談だが、

懐かしい恩人の近影を見せてもらった。

変わらぬ誠実そうな姿。

あぁ、

あの人は何年経っても初心を忘れてないんだな。

遺志

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