2014年11月19日水曜日

生死

高倉健が死んでた。

一週間も前に。

驚き。

そんなことができるなんて、
健さんの周囲はよほど信頼できる人ばかりだったんだ。

妙なところで感心してしまう。

今日言いたいのはそういうことではない。

この一週間、
ぼくは高倉健が死んだと知らなかった。

ということは、
この一週間、
高倉健はぼくの中で生きていたということだ。

もともと、
映画以外にメディアに出ることがほとんどない人。

なんか、
このまま何年かたって、
そういえば、
高倉健の映画って最近ないな?

みたいに思って、

あれ、
健さんって死んだんだっけ?

てなことを言いそうな気がする。

健忘症ということではなく。

例えば、
森繁久彌なんて、
いまだに生きている気しない?

要するに、
死んだと知らなければ、
その人にとっては生きているわけで、
ことさら知る必要がなければ、
知らなくて、
ずっと生きていると思っていていい。

報じられるまでの一週間、
ぼくの中で高倉健は生きていたとは、
そういう意味だ。

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