高倉健が死んでた。
一週間も前に。
驚き。
そんなことができるなんて、
健さんの周囲はよほど信頼できる人ばかりだったんだ。
妙なところで感心してしまう。
今日言いたいのはそういうことではない。
この一週間、
ぼくは高倉健が死んだと知らなかった。
ということは、
この一週間、
高倉健はぼくの中で生きていたということだ。
もともと、
映画以外にメディアに出ることがほとんどない人。
なんか、
このまま何年かたって、
そういえば、
高倉健の映画って最近ないな?
みたいに思って、
あれ、
健さんって死んだんだっけ?
てなことを言いそうな気がする。
健忘症ということではなく。
例えば、
森繁久彌なんて、
いまだに生きている気しない?
要するに、
死んだと知らなければ、
その人にとっては生きているわけで、
ことさら知る必要がなければ、
知らなくて、
ずっと生きていると思っていていい。
報じられるまでの一週間、
ぼくの中で高倉健は生きていたとは、
そういう意味だ。
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