朝日新聞によると、
2007年生まれの子供の半数は、
100歳まで生きるそうだ。
僕の2人の姪孫は、
平均的に生きれば人生100年時代を生きる。
僕らの年代でも、
10人に1人は100まで生きるそうだ。
それはめでたいばかりと喜んでもいられない。
そこまで生きる蓄えをどうするのか?
ひょっとしたら80歳現役なんて当たり前かもしれない。
大変だ。
翻って僕は、
親父の死んだ72歳が一つの目安だと思っている。
仮にそれ以上生きたとしても、
もう、
隠居ですよ。
毎日のんびり暮らします。
自分が長生きするかもしれないと言う仮定で、
自分の行き方を決めたくない。
自分のこれまでの体への悪行を考えると、
活動的に動けるのは65歳ぐらいまでかなと考えている。
とすればあと十数年だ。
もちろん金は大事だけど、
長生き恐怖症のあまり、
会社にしがみつくなんてみっともないことはしたくない。
世間の懸命な人は、
ほどほどに仕事、
ほどほどに社会貢献、
ほどほどに趣味。
バランスよく生きるのだろうが、
僕は今更そんな賢明にはなれない。
なんて言いながら、
100歳時代、
と大書されると考えてしまう。
そんなに生きるはずないのに。
もういいよ。
やりたいことやって死にたいよ。
100歳まで生きたって、
どうせ死ぬんだから。
万が一想定外に生き延びちゃって、
お金に困ったらその時はその時、
人間は生物学的に55歳が寿命だとも書いてあった。
その後の長生きはもっぱら医学の力。
医学であっちこっち直しながら、
その後の人生も健康に一喜一憂しながら生きるのだ。
何年生きたかではなく、
いかに生きたか。
それは寿命が何年になろうと、
変わらぬ命題だと思う。
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