2018年1月8日月曜日

百年

朝日新聞によると、

2007年生まれの子供の半数は、

100歳まで生きるそうだ。

僕の2人の姪孫は、

平均的に生きれば人生100年時代を生きる。

僕らの年代でも、

10人に1人は100まで生きるそうだ。

それはめでたいばかりと喜んでもいられない。

そこまで生きる蓄えをどうするのか?

ひょっとしたら80歳現役なんて当たり前かもしれない。

大変だ。

翻って僕は、

親父の死んだ72歳が一つの目安だと思っている。

仮にそれ以上生きたとしても、

もう、

隠居ですよ。

毎日のんびり暮らします。

自分が長生きするかもしれないと言う仮定で、

自分の行き方を決めたくない。

自分のこれまでの体への悪行を考えると、

活動的に動けるのは65歳ぐらいまでかなと考えている。

とすればあと十数年だ。

もちろん金は大事だけど、

長生き恐怖症のあまり、

会社にしがみつくなんてみっともないことはしたくない。

世間の懸命な人は、

ほどほどに仕事、

ほどほどに社会貢献、

ほどほどに趣味。

バランスよく生きるのだろうが、

僕は今更そんな賢明にはなれない。

なんて言いながら、

100歳時代、

と大書されると考えてしまう。

そんなに生きるはずないのに。

もういいよ。

やりたいことやって死にたいよ。

100歳まで生きたって、

どうせ死ぬんだから。

万が一想定外に生き延びちゃって、

お金に困ったらその時はその時、

人間は生物学的に55歳が寿命だとも書いてあった。

その後の長生きはもっぱら医学の力。

医学であっちこっち直しながら、

その後の人生も健康に一喜一憂しながら生きるのだ。

何年生きたかではなく、

いかに生きたか。

それは寿命が何年になろうと、

変わらぬ命題だと思う。

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