2018年3月18日日曜日

現場

福島原発事故を検証するNスペを見た。

改めて思うけど、

本当にあの時、

福島原発では全電源喪失という未曾有の事態が起きていて、

東電や政府、

言ってみれば国中の機関があれこれ考えて対応していたけれど、

肝心の福島原発では、

吉田所長ただ一人が責任者として現場の指揮をとっていたということだ。

テレビ会議であらゆる要望、

指示が出されるのだが、

吉田所長が対応していたのは、

原発対応だけではなかった。

作業員の被曝管理、

食料、

そのた諸々の数え切れない問題が同時多発に起きていて、

その対応に忙殺され、

ほぼ不眠不休で陣頭指揮に当たっていたということ。

そこには判断ミスもあったに違いない。

感情的になってしまったこともあっただろう。

何せ現場は生死がかかっていた。

東京の連中はああでもないこうでもないと指示してくる。

それに対応するのは人間業ではない。

そもそも原発で何が起きているのかさえ、

誰も正確にはわからなかったのだ。

全ては全電源喪失という事態を招く設計だったことだし、

それが起きた場合にどう対応するかという、

マニュアルがなかったことに尽きる。

せめて吉田所長の負担を軽減できる体制があればとも思うが、

仮にいたとしても、

そんなに有効な対応は取れなかったかもしれない。

一つはっきりしていることは、

福島原発事故の経緯は7年たった今でも、

わからないことだらけだし、

当然、

次に起きたらどうすべきかの回答も出ていないということだ。

そんな状況でよくも再稼働を進められるものだ。

津波にさえ耐えられる補強をすればいいんでしょ。

揺れに耐えるように耐震補強すればいいんでしょ。

そういう問題だけか?

現状では原発で想定外の壊滅的事故が起きたら、

やっぱり迅速に収集できないということはよくわかる。

それに、

もう一歩対応を誤っていれば、

東日本全体が人間の住めない地域になっていた可能性があったし、

そうならなかったのは恐らく不幸中の幸いだ。

たまたまだ。

上層部の無理な要求に振り回される現場。

日本社会でありがちな理不尽の究極が、

あの時の福島原発事故だったのだと思う。




0 件のコメント:

コメントを投稿

遺志

30日は親父の13回忌だ。 あーそんなになるのか、 と言うのが率直な感想。 親父が亡くなる直前、 僕は酒を辞めた。 復職して最初のボーナスが出た日、 入院していた病院に行って報告した。 もう親父はかなり弱っていて、 ほとんど喋れなかった。 でも...