太陽の塔の内部が48年ぶりに公開されて、
結構話題になっているけど、
僕は当時、
あの内部に入って見た記憶がある。
今50歳の人じゃ当時は2歳だったわけで、
ほとんど記憶はないだろう。
そういう意味で、
当時の記憶があるほぼ最後の世代ではなかろうか?
率直に言って、
当時はしょうもないと思った。
生命の樹に沿って、
恐竜やらゴリラやらが枝に乗っているだけで、
岡本太郎の深遠な想いなど感ずる事もなく、
落胆はしないまでも、
子供心に、
ああこんなもんかと思った。
それより、
僕の興味は三菱未来館であり、
アメリカ館の月の石だった。
確か、
アメリカ館には入れず終いだったと思うけど。
で、
万博が終わって48年。
今でも残っているのは太陽の塔だった。
70メートルの威容は、
半世紀経っても変わることのない存在感で屹立している。
お祭り広場の大屋根は丹下健三の設計で、
当初は太陽の塔のは構想になかったとか。
もしそのママだったら、
ただの大屋根だったら、
僕らの世代の万博の印象は、
今とはまるで違っただろう。
大屋根を突き破ってそびえ立つ太陽の塔は、
紛れもなく万博のアイコンだった。
今、
大人になって思うのは、
よくもあんな塔を建てることを、
しかも計画の途中から発想して周囲を説き伏せて実現させたな、
ということ。
だって丹下健三の建築をまさにぶち抜くわけで、
そんな破天荒なアイデアを実現させたのは、
やっぱり当時の熱気だったのかなと思う。
2020東京五輪や、
実現すれば2025年の大阪万博で、
あれほどの篦棒なことをやれる人間がいるのか。
それを許容する国であるのか。
そう思うとき、
改めて岡本太郎の偉大さと時代の熱気について、
考えさせられる。
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