2014年8月7日木曜日

誤記

3時から会議なので、
間に合わせて出社したのに、
会議室は閉まったまま。

聞いてみたら、

「明日やで」



やっちまったか。

いや、
しかし、
昨日は手書きのメモをもらって、
すぐまいふぉんのカレンダーに入力したのだが、、、

ぼくが間違えたのだろう。
その可能性が99%だ。

でも、
あのメモには確かに「6日」と書かれていたと、
自分を信じたい自分もいる。

さりとて、
そのメモは捨ててしまったし、、、

今さら証明はできない。

いかんいかん。

こう暑いと、
頭がおかしくなってくる。

2014年8月6日水曜日

栄光

理研の笹井氏の自殺には驚いた。

自殺そのものというより、
その手段。

再生医学の世界的権威が、
職場の階段の踊り場で首つりって。

人間だれしも、
追い込まれたら何するかわかんないな。

笹井氏といえば、
iPS山中氏が出てくるまでは、
あの分野でノーベル賞に最も近い日本人だったわけでしょ。

ライバルとも言えないほど、
立場は大きく違ったのに、
一夜にして逆転。

焦ったのか?

焦ったんだろう。

小保方さんへの遺書には、
「STAP細胞を再現して下さい』
と書かれていたとか。

小保方さんを信じた挙げ句、
栄光の座から転落してしまった男の遺言。

小保方さんが背負った荷物は限りなく重い。




2014年8月5日火曜日

共鳴


今日会社に行く途中、
ふいに頭の中で鳴ったのがコレ。















なんでか分からないけど、
エゴラッピン。

ちょうど電車に乗っている時で、
YouTubeでこの動画を探し、
つづいてiTunesで購入。

あとエゴラッピン続きでコレも。















どっちも同じボーカルですよ。

これらの曲を聞くと、
必ず思い出す風景がある。

それは決して心地よいものではないけれど、
紛れもなくぼくの人生の一部分である。

でも、
なぜ今日この曲なのか?

全くわからない。

人間って不思議だな。

2014年8月4日月曜日

爆笑

最近、
爆笑なんかすることなかったけど、
このサイトは笑った。

Bokete player

写真とキャプションだけなんだけど、
ハマるやつは爆笑。

これ、
アプリもあって、
電車の中でスマホ見ていたら、
思わず吹き出しそうに。

写真が面白いわけではなく、
キャプション自体が面白いわけでもない。

二つがかみ合った時に生まれる面白さ。

こういうの考えつく人って、
本当にすごい才能だなぁと、
感心する。

落ち込んだ時に是非どうぞ。

2014年8月3日日曜日

瞑想

ひっさしぶりにチョコパ食べたわ。

5か月ぶり。

溜まってたツケを一気に払って、
財布すっからか〜ん!

ちょうど神戸で花火やってたんやね。

奇遇やわ。

思い出すことありすぎ。

ちょっと雰囲気変ってたかな?

変ったのはぼくの方かもしれないけれど。

それより前、
ベッドに横になりながら、
巨人戦をテレビで見ていたら、
4番の阿部がカッツーンってホームラン。

阿部のこんな感じの一発、
ずいぶん久しぶりな気がする。

それでも巨人は首位にいる。

それって原采配がすごいっていうこと?

ちょっとオーダーいじり過ぎな気もするけれど。

話しは元へ。

やたら声の大きい人がいてさ。

まぁいいんやけど。

騒音一歩手前って感じ。

やっぱり聞いてる人がいるわけで、
言いたい事何でも言っていいわけでもなかろう。

いやいや、
そういうことを含めて、
あそこは勉強になるのよ。

ぼくにとっては瞑想の場っていう感じなんだよ。

2014年8月2日土曜日

改造

名前は有名だけど観ていない映画が多い。

キューブリックの「時計じかけのオレンジ」が、
たまたま録画されていたので初めて観た。

無軌道の限りを尽くし、
ついに殺人まで犯してしまった少年が、
犯罪者更正の新しい科学実験のテスト台になる。

暴力や性犯罪の映像をひたすら見せることで、
暴力行為を行いそうになるだけで、
嫌悪感を催すようになるというようなものだ。

つまり、
衝動は消えないけれど、
衝動が起きると同時に苦痛もわき起こり、
結果的に暴力行為が行えない体に「改造」されるわけだ。

犯罪抑止という観点からは効果的なのだけど、
それは本来の更正とは全く異なるものだ。

この実験に反対する牧師は、
「彼は自分で善を選んでいるのではない」と言う。

なかなか深い話しだ。

内面からわき起こる欲求に、
理性でブレーキをかけてこそ意味があるのか。

たとえば、
煙草を吸えば猛烈に吐き気がする薬があったとして、
その薬を飲むことで禁煙した人は、
全然評価に値しないのだろうか?

もちろん、
その薬を飲むという決定を自分でしたのなら、
その決定はその人の意志なのだから、
評価されるだろうけど。

強制的に飲まされたのであればどうか?

本人は本当は煙草が吸いたい。
でも、
飲まされた薬のせいで吸いたくても吸えない。

それは非人道的行為だろうか?

考えさせられちゃった。

2014年8月1日金曜日

売店

ここ数年、
出勤日にはほぼ必ず寄っていた、
梅田地下街のキオスクが、
今日で閉店した。

ここで買うものは必ず、
タバコとガム2個。

たまにライター。

店員は何人かいるけど、
ぼくが行く時間帯は、
たいてい決まった女性だった。

今日も立ち寄り、
最後の買い物をして、
お世話になりましたと、
あいさつをした。

ぼくの日常を形作ってきたものが、
次々になくなっていく。

それはぼくの一部分がなくなることであり、
ぼくは生きていく以上、
変わらなければならない。

寂しくても、
仕方ないことだ。

遺志

30日は親父の13回忌だ。 あーそんなになるのか、 と言うのが率直な感想。 親父が亡くなる直前、 僕は酒を辞めた。 復職して最初のボーナスが出た日、 入院していた病院に行って報告した。 もう親父はかなり弱っていて、 ほとんど喋れなかった。 でも...