2019年3月12日火曜日

星空

震災の夜、

被災地には満天の星空が広がったそうだ。

8年が過ぎて、

早くも風化が心配されている。

メディアの扱いも徐々に分量が減っている。

新しい「ネタ」がないらしい。

そんなこと言わず、

毎年、

あの頃の報道やドキュメントを繰り返し流せばいいと思う。

政府は復興が進んでいると言う。

確かに土地のかさ上げや新しい建物、

除染もそれなりに進んでいるようだ。

被災者の心にも少し変化が出ているように報じられる。

でも僕はあの日のことを昨日のことのように覚えている。

自宅のテレビで津波を見て、

出勤の途中、

梅田を楽しそうに歩く人たちを見て、

今大変なことが起きているんだぞと、

心の中で言い続けた。

怒涛のような仕事が続いた。

はっきり言って、

あんまり何をしたのか覚えていない。

そして原発が爆発した。

その衝撃は物凄かった。

年月がたてば人の記憶は薄れる。

悲しみや痛みも徐々に薄らぐだろう。

それは人間の生存本能として当然かもしれない。

あの時のショックをずっと持ち続ければ、

おそらく精神を病んでしまう。

忘れることは個々人にとっては必要なことかもしれない。

でもだからこそ、

年に一回は国民みんなが思い出さないといけない。

東日本大震災が風化するようでは、

熊本地震も西日本豪雨も北海道地震も、

あっという間に忘れられてしまう。

被災者の皆さんには辛いかもしれないけど、

毎年、

あの津波や原発の爆発の映像は流すべきだと思う。

何と言っても南海トラフ地震が迫っているのだ。

あの年の秋、

被災地に行っておいて良かった。

荒涼とした名取市閖上地区で、

ふとみたグーグルマップ。

そこに映ったのは、

住宅や商店が立ち並ぶ確かな町だった。

それが跡形もなく消えていた。

一瞬にして町が消えてしまったのだと思い知った。

あの空気を吸っておいて本当によかった。

そして、

あの頃思った気持ち。

生き残った者の義務。

僕はその義務を果たしているだろうか。

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