以前乗っていたスカイラインを買って2日目のこと。
嬉しさのあまり夜中に2階の窓を開けて、
家の前のピカピカの新車を眺めようとした。
その瞬間、
あろうことか、
窓の網戸がレールから外れて、
真下の車に向かってヒラヒラと落下した。
その時の心の動きは今も覚えている。
どうか水平に車に覆いかぶさるように落ちてくれ、、、
でも残念なことに、
と言うか最悪なことに網戸は斜めに角からボンネットに当たった。
階段を駆け下りて車を見たら、
ボンネットに数センチの傷がしっかりついていた。
ショック。
すぐにディーラーを呼んで修理したけど、
数万円かかった。
で。
ジムニーくんは今のところ無傷だ。
でもいずれ傷つくことがあるだろう。
その時僕はあの時のようなショックは受けない。
傷ついても数ヶ月もすれば受け入れることが分かっているからだ。
だがそのことは良いことなのだろうか?
大人になるにつれて喜怒哀楽にバリアが張られてしまった。
それはある意味心の安定であり、
大人の落ち着きということなのだろう。
形あるものはいずれ壊れるし、
生きていれば喜びも悲しみも苦しみもある。
でも、
いずれ時が感情を薄れさせる。
それが分かっているから、
何があっても必要以上に心をかき乱されることはない。
ただそれは言い換えれば、
感情の鈍化と紙一重だ。
バリアが張られた感情には、
真の喜怒哀楽は訪れない。
自己防衛反応がいつの間にか自分の感情を鈍化させている。
それは本当に良いことなのだろうか。
これは不可逆的なもので、
もう20代の頃のようなむき出しの感情は現れないのだろうか。
バリア。
埃。
錆。
心を覆ったものは、
もう取り除くことはできないのだろうか。
穏やかな人。
それは褒め言葉なのだろうか。
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