2014年1月19日日曜日

壮行

今日は姉一家がやってきて、
南米旅行の壮行会となった。

生ものは食べるな。

危険な場所に行くな。

姉や母の言うことは、
ありきたりの、
でも、
当然の心配の言葉オンパレード。

二人の姪は、
ひたすら「いいなぁ」

どっちかというと、
うらやましがられる方が嬉しい。

でも、
ぼくが逆の立場だったら、
とにかく元気で帰ってこい、
と言うだろう。

若い姪には是非、
世界一周でもしてもらいたいのだけれど、
社会人となった今となっては、
もはや金はあっても時間はない状態。

本当は、
時間はあるけど金がない学生の時に、
「行きたい。でも金がない」と言ってくれてれば、
いつでも資金援助する気持ちでいた。

でも、
そのころの姪らは、
部活動に忙しく、
とても世界一周などと、
悠長なことを考える余裕はなかった。

だから、
というわけではないけれど、
おじさん奮起したわけだ。

考えてみれば、
若い人に夢を託すのは、
まだ早いのかもしれない。

まだまだ自分で夢をかなえなきゃ。

いずれ退職するかクビになるか、
とにかく会社を去ったあかつきには、
今度こそ本当に自分で世界一周してやろう。

それにはまず、
このささやかな南米旅行を無事に終え、
周囲からの信頼を得なければならない。

その点でも、
学生時代のアメリカ一周は役に立っている。

あれが出来たんだから。

姉でさえ、
いまだにそう言ってくれる。

その信頼にも応えなければならない。

それはそうと。

明日から15日間の慰労休が始まるのだが、
会社の人間は結局最後まで、
この休暇をどう過ごすのか、
誰一人きいてこなかった。

海外渡航は報告義務があるので、
自主的に上司に伝えただけ。

だれも僕はこのような旅に出るとは、
想像だにしていないのだろう。

あるいは、
まったく関心がないか。

あるいは、
アイツまとめて15連休とか、
マジふざけてるし、
と思われてるか。

どうでもいいけど。

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