2018年12月20日木曜日

何故

ジャズを曲がりなりにもやっていると、

1960年あたりのニューヨークシーンを意識せざるを得ない。

麻薬や酒に溺れ、

にも関わらず歴史的名盤を作ってきた時代。

時代が違うのでだから果たせぬ夢なんだけど、

多くの人がその頃の演奏をお手本にしている。

でも時代は21世紀だ。

あの頃と同じような演奏をすることは不可能なんですよ。

生活習慣や社会制度、

何よりテクノロジーの進歩。

50年経った今となってあの頃の演奏をすることは、

現代人が時代劇を演じるようなもので、

真似はできても心底同じ演奏などできるわけがない。

僕らは彼らより半世紀後の世界に生きていて、

彼らが知らなかった世界を知ってしまったし、

暮らしも全然違う。

世捨て人ならともかく、

現代に生きる人間に当時の音は出せない。

先日、

ニューヨークで友人がミュージシャンを連れて録音をしてきた。

ドラムを録音するだけでマイク12本をたてたそうだ。

半世紀前なんかだと絶対にあり得ないことだ。

録音方法も演奏も現代的にソフィスティケートされて、

テクニックもうまい。

で問題なのは、

そうやって録音した演奏が人の心を打つかどうか。

半世紀前にお手本を求めるなら、

きっと物足りないものになるだろう。

でも彼らは現代のジャズを演奏している。

違う観点で聞かなければならない。

ただ、

そういう視点で聞いたとしても、

肝心なのは人の心を動かすかどうかだ。

うまい下手ではない。

なぜか劣悪な環境でボロボロのヤク中が演奏した録音が、

21世紀の僕らの心を捉えてやまないのはなぜだろう。

その辺は不思議な話だと思う。

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