2018年12月7日金曜日

変化

僕は飲酒をやめて11年になる。

この11年で僕は、

僕の生き方は変わったのだろうか?

確かに酒は飲まなくなった。

夜毎飲み歩いていた日々とは縁がなくなり、

毎日が家と会社の往復で、

趣味といえば少しの読書と映画鑑賞とジャズの勉強。

それだってただ暇をつぶす程度の成果しかあげていない。

ただそれだけだ。

確かに健康にはなった。

二日酔いでフラフラになることもない。

が、

恋人は一人もできず、

日々会話するのはお袋と会社の同僚、

そして気のおけない友達。

何より、

酒を飲んでいた時のような活力が失われた。

根拠のない無敵感みたいなものだ。

真面目になったと言われればそうだ。

自分が社会的にダメな人間だと痛感したことで、

他人に対する見方が寛容になった。

他人の痛みが少しはわかるようになった。

そんな変化はあったけど、

果たして人間として良い方向に変わったのか。

この11年僕は、

世間に顔向けできないような人間だと強く思い、

誰に対しても臆病になった。

それを良くなったと言う人もいるだろう。

でも自分では自信がない。

妻も子供もおらず、

50歳をとうに超え、

子孫を残すという、

生物としての営みすらできなかった。

子育ても子育てを通して得られるものも。

そんな僕を善き方向に向かっていると励まし続けてくれる人もいる。

ありがたいことだ。

でもこのまま波風のない人生を送って死ぬのなら、

一体自分はなんのために生まれてきたのかとも思う。

酒は欲しいとは思わない。

でも酒のない人生を11年歩んできて、

一体どうだったのだろう。

もちろん、

あの時やめていなければ、

とっくに死んでいただろう。

生きながらえた。

きっと今だに酒に未練があるのだ。

飲酒していたからとて、

別に大したことができたわけじゃない。

ただもう少し人間関係において充実していたように思う。

ただ酒をやめているだけではダメなのだ。

酒か否かではなく、

生き方がこれでいいのか否かなのだ。

素の自分に自信が持てないということだ。

素の自分の姿を鏡で見る勇気がないということだ。

11年経っても、

僕は酒をやめて第二の人生を見つけましたと、

胸を張って生きていると言い切れないのだ。

それほどに酒のある生き方に浸ってきた。

酒を覚せい剤のように言う人がいる。

それならば、

世の中の多くの大人は犯罪者だ。

人間は品行方正に生きることが唯一の善き生き方なのか。

こいつ飲みたがっていると思われても仕方がない。

僕は飲み方を間違えた。

取り返しがつかない間違いを犯した。

でも酒というものが、

時として人間に良いものであることも信じたい。

禁酒法が正しいとは思えない。

また考えよう。

それよりライブだ。

トナカイの衣装を着て、

タンバリンを叩いて歌おうじゃないか。

素敵な1日になりますように。


0 件のコメント:

コメントを投稿

遺志

30日は親父の13回忌だ。 あーそんなになるのか、 と言うのが率直な感想。 親父が亡くなる直前、 僕は酒を辞めた。 復職して最初のボーナスが出た日、 入院していた病院に行って報告した。 もう親父はかなり弱っていて、 ほとんど喋れなかった。 でも...