2009年4月14日火曜日

教訓

携帯電話がないと気づいたのは日曜日の午後のこと。
いつもジャケットの胸ポケットに入れてるのだが、
この日はとても暑かったので脱いで手に持っていた。
どこかで滑り落ちたのかもしれない。

とりあえず直近に行ったじゃず家に戻ったがなかった。
ひょっとすると持って出るのを忘れたのか。
公衆電話で自分にかけてみると、
数回鳴っては留守番電話に切り替わる。
何度やっても同じだ。

帰宅して探したがなく、
どうやら本格的に落としたらしい。
こりゃヤバイと少しだけ焦ったが、
JRに問い合わせるとすでに天満駅に届いていた。
じゃず家に着く直前に落としたらしい。

ほっとする間もなく今度はPCがネットにつながらない。
先日いろいろ操作したのがいけなかったのだろうか。
プロバイダーに問い合わせたら、
ルーターの電源を入れなおすよう言われ、
やってみたらあっさりつながった。

大きな石が頭のすぐ上を2度通り過ぎたような感じだ。
こういう嫌な展開はこれまでも何度かあった。
3度目はきっと直撃だろう。

その時の教訓は?

そうだ、
慌てるな。

●携帯にネット。もはや必需品なのかなぁ。でも財布を落とす方が100倍痛いと思う。ということは…●「WANTED」をレンタルで見る。モーガン・フリーマンやアンジェリーナ・ジョリーは好きだけど、これはねぇ。

2009年4月13日月曜日

目的

人をナイフで刺殺したからって、
ナイフが悪いわけではない。
悪いのはナイフの使い方を誤った人間である。

では、
資本主義も使い方を誤らなければ大丈夫なのか。

その答えのヒントは、
19世紀の経済人類学者カール・ポランニーの次の言葉にあるかもしれない。


「市場経済のもとでは、自由も平和も制度化することはできなかった。というのは、市場経済の目的は利益と繁栄を作り出すことであり、平和と自由を作り出すことではないからである」


資本主義というシステムにとって、
平和や自由の実現は「知ったこっちゃない」のである。
「繁栄」という目的のためであれば、
平和や自由を脅かすこともいとわない。

ここでいう「繁栄」とは、
人間の繁栄ではなく、
資本主義の繁栄なのである。

道具とシステムの違いがここにあって、
道具は人間の使い方次第だが、
システムというやつは、
人間が作り出したものでありながら、
人間をも巻き込んでしまう。

人間が生み出したシステムによって、
人間の命が脅かされる。

戦争と同じようなものだ。


●天満・じゃず家の昼ライブに行く。鈴木道子(Vo)塩本彰(Gt)吹田善仁(Bs)。東京で活躍されている女性ボーカルということで、バック共々素晴らしいステージ。

2009年4月12日日曜日

学説

「資本主義はなぜ自壊したのか」は面白い。
第三章「『悪魔のひき臼』としての市場社会」は、
なかなか勉強になった。

「悪魔…」という言葉は、
19世紀の経済人類学者カール・ポランニーが使った用語だそうだ。
彼は第二次大戦中に書いた「大転換」という著書でこう書いている。


「資本主義とは個人を孤立化させ、社会を分断させる悪魔のひき臼である」


言っておくが彼は社会主義者ではない。
だが市場経済で取引してはいけないものを3つ挙げている。
それは「労働」「土地」「貨幣」だ。

彼は商品の本質は「再生産可能かどうかにかかっている」とする。
人生も土地も再生産不能だ。
だから本来この二つは売り買いされるべきものではないと述べる。

そして貨幣は、
本来取引の手段でしかないものだ。
それが、
金本位制をやめた時点から、
あたかも貨幣そのものが商品のようになってしまった。

こうして資本主義は3つのタブーを犯してしまったがゆえに、
「悪魔のひき臼」として機能し、
本来社会的である人間を粉々にしてしまうと説くのである。

ぼくなりのめちゃくちゃ粗い理解だが、
なるほどと膝を打ちたくなる。

でも百年以上も前にそんな先見の明を持った人がいながら、
なぜ人間はかくも愚かな過ちをしでかすのか。。。

たぶん占いと一緒で、
今を読み解くことができる道具として、
彼の主張が一番しっくりくるということなのだと思う。

きっと今もあまたの経済学者が、
世界経済はかくあるべしとそれぞれの持論を展開しているだろう。
でもそんなこととはお構いなしに事態は進行していく。

その論が正解かどうかが100年たたないと分からないという点が、
なんとももどかしいではないか。

●引き続き読書は続きます●マスターズ。遼クン最後は自滅したけど、大健闘だったと思う●巨人5連勝。嘘みたいだ●久々にjamjamに行けた。普段大阪勤務なので、たまに元町界隈を歩くと、いい気分転換になる●先日のライブに来てくれて、今日、改めて「よかった」と言ってくれる人がいた。本当に嬉しかった。ありがとう!

2009年4月11日土曜日

処世

「資本主義はなぜ自壊したのか」(中谷巌著、集英社インターナショナル)が売れている。
新自由主義の旗振り役だった経済学者が、
自らの長年の主張に反省を加えた書だ。

まだ少ししか読んでいないのだけど、
これだけの格差社会を日本に生み出した肩棒を担いでいながら、
いまさら「転向」して「いやあれは間違いでした」と言われても、
「誠実」というよりは「何なんだ」という感が強い。
彼らの主張のおかげで一体どれだけの人が経済的苦境に立たされ、
ある時は命まで奪っていったというのに。
どうせこの本の印税も彼の大きな収入になるのだ。

こういうのは長期的なマッチポンプである。

結局いわゆる「専門家」といっても、
確かに情熱もあり頭も良いかもしれないが、
所詮自分の専門領域でしか世界を見ることができず、
その結果大きな誤りを犯すのだ。
いわんやワイドショーの「コメンテーター」の類の意見は、
まったく信用できない。

そんな時に母が珍しく大阪の橋本知事に腹をたてている。
母曰く「自分の言い分が通らないとスネるし、すぐに泣く」のが気に入らないらしい。
一介のお年寄りのそんな直観は、
きっと世の中の「権威」や「権力」よりよほど的を得ているのかもしれない。

とはいうものの、
本書は経済にど素人のぼくには参考になる。
最初の部分で印象的なのは、
民主主義といっても結局、
最新情報にアクセスできる人間がそうでない人を搾取するという構図だ。
かつての日本社会、
あるいは「自己責任」色が強いアメリカでさえかつては政治にバランス感覚があって、
弱者を救わねば結局国全体が衰退するということをわかっていた。
「中流」が分厚い国はやはり安定しているのである。

この10年ほどの世界はそういうことを忘れ、
制御不能のマネーゲームが「金融工学」などの美名のもとに喧伝され、
経済を自由放任にさせすぎたのだ。

これからしばらく世界は保護主義的色彩を強めるだろうと見られているが、
不況を脱する一番の特効薬は「戦争」であることは忘れてはなるまい。

派遣切りやネット難民なんてのが当たり前の世の中で、
やたら最近「革命」という言葉が目につくのが気になる。

●石川遼17歳。マスターズで奮闘している。彼は本物だ●PCハードディスク領域問題が再燃していて、ついにCドライブとDドライブの領域割合を変更するという荒業に挑戦した。本屋で日経PC21を買ってきて、おっかなびっくりの作業だったが、何とか成功した。これでまたしばらくはしのげる。

2009年4月10日金曜日

墨汁

子どものころ書道を習っていたぼくは、
通っていた流派の書き初め大会に出席するため、
家族とともに東京・日本武道館に向かった。

その数年前に開かれた東京五輪の柔道で、
神永とヘーシンクが闘った「伝説の場所」に行くというだけで、
幼いぼくには十分緊張すべき出来事だった。
新幹線に乗ったのもたぶんその時が初めてだったと思う。

広いフロア一面に何百人という子供たちがいて、
親は子どもの「晴れ姿」を観客席からドキドキしながら眺めている。
一面に漂う墨汁の匂い。
「よいこ」という3文字を書くためだけに上京するというのも、
今思えばどーかとも思うが、
とにかく家族一同非常に興奮していた。

ハイテンションの中で書き始めたぼくは、
「よい」のところで無性にトイレに行きたくなった。
さっさと「こ」を書けばいいものを、
我慢できなかったぼくは中座してトイレに走った。
たぶん人に尋ねたり迷ったりしたのだろう。
かなりの時間がかかったようだ。

驚いたのは観客席の親で、
別の場所にいた姉に気をとられている間にぼくがいなくなっていて、
いつまでたっても戻ってこない(実際には10分もかかってないと思うが)。
今なら誘拐騒ぎになっていたかもしれない状況だ。

そんな親の心配をよそに、
用を足してスッキリしたぼくは何とか自分の場所に戻り、
心を込めて「こ」と書き終えたのだが、
あとから親にこっぴどく叱られたのは言うまでもない。

今にして思えば、
「よいこ」と一気に書けなかったのは、
その後の人生を暗示していたのだ。


●その時の「よいこ」の書は、なぜか叔母の家にあるという●マスターズが開幕した。遼クンがどれほどのものか、楽しみだ。

2009年4月9日木曜日

一変

国は15兆円もかけて、
何が何でも国民に車や家電を買わせ、
見かけだけでも景気よくしたいらしい。

高速道路を土日1000円にして、
エコカーを買えば最大25万円補助しますだって!
環境に配慮するなら、
買い替えるより乗らないのが一番だ。
エアコンもつけないのが体にもよい(らしい)。
車を手放した僕にこそ交通費を補助するべきだ(笑)。

第一この国が直面している問題は、
最低限の暮らしさえできない人がどんどん泥沼化する、
「貧富の拡大再生産」にあるのであって、
車やエアコンやテレビの買い替えを検討できるような層は、
とりあえず放っておけばいいのである。

つまり自民党による選挙向けの甘い罠だ。
じきに高速料金は元に戻り、
消費税は10%になり、
完全地デジ化でNHKの受信料収入ははねあがる。
だって払わないと映らなくできるんだから。

CMが頭打ちになる民放も追随するだろう。
番組ごとに課金する時代だ。
ちょうど今の「BS○○」みたいなのが普通になる。
テレビショッピングは無料で見れても、
金のかかった番組は有料という具合に。

きっと格差社会を埋める気など、
この国の指導者たちにはないのだ。
超高齢化社会に向けて、
あえて社会を二層化したいのかもしれない。

ちょうど2011年。
地デジ完全移行あたりから、
この国はガラリ様変わりしそうな気がする。

●巨人好調、というか横浜弱すぎ●ぼくにも定額給付金のお知らせが届いた。実質もう使っちゃったけどね。

2009年4月8日水曜日

絶唱

越智順子さんの追悼アルバムを聞いた。
東京・吉祥寺のライブハウス「SOMETIME」で、
2007年10月に行われたライブ録音だ。

この店にはひとかたならぬ思いがあるということは以前にも書いた。
大学生で上京し、
当時好きだった女の子と始めて行った店だ。
確かオープン間がないころだったと思う。

4年前から一年間東京に出向していた時も何度か行き、
越智さんのライブも聞いた。
このアルバムの演奏は、
その約一年後に行われたものだ。

彼女の歌を聞いて改めて思うのは、
情感が本当に豊かだなぁということだ。
ピアノとベースをバックに、
伸びやかに、
そして包容力たっぷりに歌う。

技巧をこらすというより、
自分のハートと声とバックを信頼し、
会場のすべての人と同じ空気を共有しているという感じだ。

追悼アルバムだからだと先入観を持っているからだろうか、
「Bye Bye Blackbird」の「Bye Bye」の繰り返しと、
恐らく彼女のであろう口笛が胸を打つ。

さらに、
最後を締めくくる曲が「Goodby-Goodby」に見え、
聞いて初めて「Goody-Goody」だと気づいた。

素敵なエンディングだと思った。

遺志

30日は親父の13回忌だ。 あーそんなになるのか、 と言うのが率直な感想。 親父が亡くなる直前、 僕は酒を辞めた。 復職して最初のボーナスが出た日、 入院していた病院に行って報告した。 もう親父はかなり弱っていて、 ほとんど喋れなかった。 でも...