2008年7月31日木曜日

自転車

「自転車見つかりました」とメールがあったのは、
26日の夕方だった。
母に電話すると、
場所は阪神久寿川駅だという。

甲子園の隣の駅だというから、
盗られたJRの駅からは結構な距離がある。
逆に言えば、
その距離だから自転車を盗もうと思ったのか。

警察が見つけてくれたのか?
そんな訳ないよな。

そう思いながら帰宅すると、
案の定、
放置自転車の保管場所への案内状が届いていた。

乗り捨てられた自転車が、
たどりついた先だ。

引き取りには1800円必要とのこと。
そりゃ放置した人はそうだろうが、
盗まれたぼくが払う必要などあるはずがない。
そう思っていたら、
近所の自転車屋のおじさんも、
ただで返してくれると言う。

仕事を終えた今日の午後、
乗り慣れない阪神電車で久寿川駅へ向かった。

こんなことでもなければ、
一生この駅で降りることはあるまい。
駅から5分ほどの保管場所へ向かった。
午後3時を回っていたが、
まだまだ暑い。

係員に用件を伝え、
はがきと警察への盗難届番号を渡して、
自転車のもとへ。

カギを買って帰らないとなと思っていたのだが、
意外にも、
カギは壊されておらず、
ビニール傘や、
そのほか、
ほぼ無傷なことに驚いた。

あとは窓口でサインと判子を押せば、
自転車が戻ってくる。
見捨てず待ったかいがあった。
よかったよかったと思ったのもつかの間、
係員から予期せぬ事を言われた。


「手数料1800円を払ってください」


押し問答が始まった。。。


●この話は続きます●三宮「グレート・ブルー」へたなかりかさんのライブ。今日は越智順子さんの告別式があり、満員の観衆も雰囲気が固い。そんな中、たなかさんは越智さんのことに一切触れることなく、2ステージを終えた。でも誰でも分かった。「Never Let Me Go」と歌うときの表情を、声を。

2008年7月30日水曜日

鉄砲水

久しぶりに目にした言葉。
治水が行き届き、
油断していたら、
こんなに身近で4人も犠牲に。
目撃証言や監視カメラ映像から、信じられない急変だった事が分かる。
ぼくならまず助からなかっただろう。
助ける事だって絶対無理だ。

親水公園だったから、
よけいに痛ましい。
どうぞ遊んでと誘っておいて、
予測出来なかったでは済まない。行政責任が問われるべきだ、

一寸先は闇。
ますますその感が強くなる。

この一日を大切にせねばと、
月並みだけど、
切実に思う。

2008年7月29日火曜日

かけがえのない人間

カラオケで満点を連発するおばあちゃんがいて、
テレビで紹介していたのだが、
縁側で鼻歌まじりで口ずさんでるっていう感じなのに、
本当に次々満点が出るから驚いた。

どだい、
歌を採点するという行為自体に無理があるわけで、
それも機械的に行うのだから、
そんな「穴」もあるのだろう。

魅力に点数は似合わない。
ある人がその人の主観で魅力を点数化することはできても、
客観的に人や芸術の良し悪しの採点はできない。

そんなことは誰でもわかっているのだけど、
いまの日本人は、
他人の評価にあまりにも振り回されていると、
「かけがえのない人間」(上田紀行著、講談社現代新書)は言う。

この本をぼくなりに解釈すると、
特に若い人は、
良い評価を得ること自体が目的になってしまい、
人間関係において「いかに嫌われないか」に、
最大限の労力を払っているみたいだ。

「暗い」と評価されることは、
彼らが最も避けたいことらしく、
とにかく「明るい」「面白い」
そう思われることに腐心し、
本当に思ってないことでも周囲に合わせようとする。

「KY」という流行語が象徴しているのは、
自分をひた隠しにしてでも周囲に同調し、
良い評価を得ることが目的化してしまった現代そのものだ。

「一人一人がかけがえのない人間」という認識は素晴らしいけど、
だからといってその根拠のない「かけがえのなさ感」を守るために、
あえて深く他人とかかわらい、
一見クールでローリスクな生き方は、
ぼくは根が浅いように思う。

著者は、
自分のたどってきた人生(これが相当なもの)を振り返りながら、
もっと社会と関わり、
愛されるのを待つより愛せ、
そして怒るときには怒れと説く。
自信がついてから行動するのではなく、
自信は行動する中からこそ生まれるものだと。

何か甘い宗教本のように思われるかもしれないが、
そんなんじゃない。
ぼくはこの本を断然勧める。
立ち読みでいいから、
手にしてみて欲しい。

2008年7月28日月曜日

越智順子さん

東京・吉祥寺に「SOMTIME」という、
とっても素敵なジャズバーができたと、
19歳のぼくは雑誌で知り、
当時好きだった女の子を誘ったことがある。

バスに乗って、
地下にある、
壁がレンガで覆われた、
ちょっと外国の倉庫風の店は、
上京してほどないぼくには、
別世界のようだった。
ましてや隣には好きな女の子。
何を聞いたかなんて全然覚えてない。

時は流れ、
数年前、
1年間だけ東京に住む機会があった。
住まいを中央線沿線の荻窪に決めたのは、
吉祥寺にも新宿にも近いからだった。

SOMETIMEにも何度か行った。
店のレンガ、
大きな丸い掛け時計。
いい音を吸った何十年か分、
より素敵な店になっていた。
敬愛するジョニー・ハートマンも、
ここでライブ盤を録音した。

何人かの歌を聞いた。
中でも格別な思い出があるのが、
関西出身の越智順子さんだ。

それまでも何度か聞いたことはあったし、
数年通っていたジャズスクールで講師をしてらしたから、
素の状態で見かけたこともある。

ぼくはSOMETIMEで越智さんに、
とんでもないことをお願いした。


「1曲歌わせてください。恥はかかせません」


どうか信じて欲しいけど、
ぼくは宝くじに当たるより可能性はないと思っていた。
それほどうぬぼれは強くない。
でも、
その時それを言わないと、
絶対に後悔するような気がものすごくしたのだ。

越智さんは一瞬困ったような顔をして、
それでも共演者や店の人に一応話をしてくれた。
結果は「ごめなさい」だったのだが、
ぼくは120%満足だったし、
本当は二つ返事で「あほか」と言うべきところを、
ぐっとこらえてくれたであろう越智さんに、
感謝したものだ。

その越智さんが、
亡くなった。

ガンだったそうだ。

闘病中なのはHPで知っていたが、
今日、
武庫之荘・Mクアトロのセッションに行く車のラジオで知った。
43歳だったという。

女性に失礼だけど、
ぼくより年上だと思っていた。

それほど包容力のある、
姿であり、
笑顔であり、
歌声であった。

2008年7月27日日曜日

似てる

テレビを見ていた母。


「あっ亀田や」


「それはエグザイルの……」


「こんなとこに出てるわ」


「だからエグザイルのリーダーやって」


「そうか。でも似てるやん」


「似てるけど違うの」


「嫌いやねん」


どっちがや!


●速報、自転車発見。詳細は後日●iPod実物を始めて触った。魅力的な商品だけど、テレビで見た印象以上のものではなかった。電話としては使いにくそうに感じた。しばし様子見。

2008年7月26日土曜日

ここ数カ月、
髪を短くしてきたが、
そろそろ飽きてきた。

伸ばしたいんだけど、
ひとつきぐらいに山が来る。

中途半端に伸びて、
おさまりが悪い。
でもここで切れば永遠に短いままだ。

我慢してひとつき半ぐらいになった先日、
駅近くのコンビニで、
ぼくの担当の美容師君にでくわした。

月一で来ていたぼくが、
店を変えたと思ってるのではと気になったので、
かくかくしかじか説明しながら、
なんで罪悪感を覚えているのだと不思議になった。

「また行くから」とか言ってるし。

そはれはともかく、
美容院に予約の連絡を入れ、
担当は誰それでよろしいですかときかれて、
いえ別の人になんて言える人っているのだろうか?

ぼくは無理だ。
では店は気に入ってるけど担当がやな場合、
どうするでしょうか?

幸いぼくの担当君は、
とても素直ないい人で、
とってもラッキー。

本当に。

2008年7月25日金曜日

2007年12月24日

「立て札」


何年かぶりに歩く道すがら、
公園の花壇に立て札が。


心ない人へのせつない呼びかけか?


すると、
すぐに別の立て札。


窃盗罪という言葉に「おぉ」と思う。
数歩先には、


逮捕されますって。。。
この間わずか10メートルほどか。
「愛してください」から「逮捕されます」への三段跳び。


明らかに同一人物の字だけど、
立て札3枚書く間に、
どんな心境の変化があったのかしらん。


●以上は昨年12月24日に、ぼくの別のブログに書いたものだ。我ながら面白いと思うので、ここに再掲してみた。ちなみに、今でもこの立て札はあります。

2008年7月24日木曜日

怪しいのは

ダメージ加工のジーンズをはき、
黄緑色のタンクトップに、
淡い花柄とペイズリー模様のシャツ。
K-SWISSのスニーカーは、
すこし真面目って感じ。

度付きサングラスをかけ、
黒のバックパックを背負い、
保冷剤をくるんだタオルを首に巻いて、
依然見つからぬ愛車の代わりに、
母の電動アシスト自転車をこいで駅に行く。

電車に乗っても汗は引かず、
保冷剤はそのまま、
バックから父の扇子を取り出してせわしなくあおぎ、
ウォークマンでを音楽を聴きながら、
その扇子の絵はどうやら地引網を引いている昔の人らしいと気づく。

電車内に怪しげな人はいるまいかと、
最近のことだからふと気になって、
周囲を軽く見渡しても、
どう考えても、
自分以上に怪しげな奴はいないと確認する。

そう思うと、
自分の動作の一つ一つが他人に怪しまれていまいかと気になりだし、
思わず扇子をしまい、
バッグをきちんと膝の上に置いて、
背筋ものばしてじっとしている。

などとしている間に大阪駅に着いた。


●大阪のパギー・クラブで2曲歌わせてもらった。この日のピアノ・河原志信さんに今年のGWのすぐ後、じゃず家で弾いてもらう機会があり、その時に声をかけていただいていた。だいぶたってしまったから「何の事?」と言われやしまいか心配だったが、すぐに「楽譜持ってきた?」と問われて、安心した。セッションではなく、トリオ演奏の間に歌ったのだけど、いや本当にいい経験をさせてもらいました。

2008年7月23日水曜日

1+1=

2

疑っても始まらない。
というか無意味。
なぜなら、
算数ってのは、
これから始まっているんだから。

人にとっての1+1=2って何だろう。

とにかく生きること?
金持ちになること?
有名になること?
博識になること?
何かを残すこと?
幸せになること?

そうだよな。
形は違っても、
人はそれぞれ「幸せ」になりたいと思ってる。
少なくともそれだけは信じたい。

でも、
「秋葉原」以来、
夕べの八王子の事件までの不穏な連鎖を見ていると、
「幸せ」になりたいっていう、
あらゆる人に共通しているはずの、
言いかえれば、
裏切ったり、
悪口を言ったり、
はたまた、
戦争したり、
殺人を犯したりしたって、
やっぱり人を支えてきた最後の砦みたいなのが、
壊れ始めている気がする。

「決壊」(平野啓一郎著、新潮社)。
しばらく前に読み終えたけど、
感想を書きあぐねていた。

でも今、
書いとかないとと思う。

1+1=3
そう言う人は、
算数なら答えを間違えるだけだけど、
地球に生まれ、
現に存在する人が、
生きている意味は「幸せ」ではないと言い出したら。。。

そういう人を、
この時代、
社会が生んでいるとしたら。

想像しただけで、
底のない暗黒を覗きこんだような、
一瞬で目をそむけたくなるような気分だ。

世界中の人がよって立つ絶対的壁。
その「決壊」を目の当たりにしているのかなぁ。

特殊な人の特殊な事件だと思ってはいけない。
翻ってこの暗黒は、
ぼくの中にも実はあって、
見えないだけなのかもしれないではないか!

そんなことをふと感じさせるところが、
「決壊」の特筆すべき点だ。


●昨日のブログは携帯から書き込んでみた。やっぱり感じが違うところが面白い●じゃず家のセッション。最初の2曲は緊張して大失敗。3曲目は自分では現時点で納得のいくものだった。聞いていた人はどうだったか知らないけど。

2008年7月22日火曜日

暑い

暑すぎる。
昨夏、
ぼくはこのころから一月入院していたから、
申し訳ないないほど快適で、
それだけにコタエル。

今日は保冷剤をタオルに巻いて、首から下げ、
裸の大将状態になったが、
見かけはどうでもいい。
命が大事だ。

ショーウインドウはそろそろ秋物が並び出してるけど、
全く興味なし。

あと一月は続くんだな。
覚悟しよう。

エアコンがないと間違いなく体を壊すに違いない。

みなさんはどうお過しですか?

このままでは干物になっちゃうよ。

あとはなけなしの根性頼みしかない。

期待薄いけど。

2008年7月21日月曜日

ノーマン

いやぁ驚いた。

グレッグ・ノーマンが、
クリス・エバートと結婚していたなんて!

じゃなくて、
全英オープンゴルフ3位タイの方。

タイガー・ウッズらが台頭する前の最強プレーヤーだけど、
もはや「昔懐かしい」範疇。
53歳だよ。
シニアツアーなら「若手」かもしれないけど、
バリバリのメジャー大会で、
しかも4日目前半までは単独トップだったのだから、
半信半疑で応援していた。

ゴルフはお年寄りでも楽しめるスポーツだ。
アマチュアなら、
70歳が30歳を負かすことも可能だろう。

体力もさることながら、
技術、
精神力、
そしてコースマネジメント能力が高く求められるからだ。

一方で、
世界のトップレベルでは、
タイガー・ウッズみたいな超人が、
うようよしのぎを削っている訳で、
とてもとても、
53歳が最後までまともに戦えるとは思わなかった。

優勝してれば、
すべてのメジャーで最高齢記録になるはずだった。
ノーマン自身、
15年前の全英が最後のメジャー優勝だ。
38歳の時だ。

最近はもっぱら実業家として、
活躍していると何かで見たけど。

もちろん、
最新のトレーニング理論に基づいて、
肉体改造したんだろうが、
やっぱり、
3週間前の結婚が一番の原因だろうな。

愛の力恐るべし。
あっぱれ53歳。
ビバ中年。

希望がわいてきた。


●それにしても全英のリンクスコースはいつ見ても強烈だ。日本のような山がない代わりに、海風と信じられないほど背の高いラフ、タコつぼのようなバンカー。同じスポーツとは思えない●昨晩のNHK「解体新ショー(?)」で、息が上がるのと肺活量は関係ないと紹介していた。マラソン選手は、走っている時、ろっ骨を広げて、換気能力を高めているそうだ。驚異の人体!参考になりました。

2008年7月20日日曜日

勝負

定跡にこだわり過ぎると、
新しい手が見えなくなる。

将棋の羽生善治・永世名人は言う。

この間のNHK「プロフェッショナル」は、
先の将棋名人戦を取り上げていて、
非常に興味深かった。

小学4年からのライバル、
森内×羽生対決は、
しばしば前人未踏の局面に入った。
誰も触れられない、
二人だけの頭脳戦。
アニメみたいだけど、
将棋盤を挟んだ二人だけが、
宇宙にポワンと浮いているように感じられた。

羽生の言葉はその番組の中でのもので、
なるほど、
その棋風が「マジック」と称される天才の言うことは違うと、
子供のぼくなら、
ただ感心しただろう。

今ならもう少し深くわかる。

そうか、
大事なのは定跡なんだな。
革新は伝統の延長線上にしかないんだな。

でもね、
売れれば勝ちの世間では、
他人を欺くトリックスターばかりが幅を利かせ、
ぼくには、
本物を見抜くことなんてできやしない。
何でも鑑定団を見て笑えないんだから。
本当に。

だからこそ、
真剣勝負に魅せられる。

記録より、
勝敗より、
勝負する姿そのものに。


もうすぐ北京五輪だなぁ




●ゴルフ全英オープンでノーマンが、あのノーマンが頑張ってるじゃないか!それにしてもすごい風●蚊取り線香の匂いは嫌いじゃないけど、昼間の熱気でむっとした玄関でたかれると、梅干しを見た口の中のように、汗がわいてくる。

2008年7月19日土曜日

マット・デイモン

マット・デイモンってアメリカの俳優は、
ハーバード出で、
グッド・ウィル・ハンティングでアカデミー脚本賞も獲って、
文句なしの知性派なんだけど、
ぼくには以前から、
「悪がき」にしか見えない。
ブラッド・ピット以上にそうだ。

の割には、
知性的、
あるいはセンシティブな役を振られていることが多いのはなぜ?
ぼくの思い込みかな。

実際の彼は知性派だとしても、
スクリーンの中でそう見えなきゃ、
しょうがないじゃないのかなぁ?
まさかメガネをかければ知性的に見えると信じているわけでもあるまい。

どうみても悪役顔の俳優が、
善人役を演じるミスマッチが奏功する事もあるかと思うけど、
どうやら彼の場合は違って、
本人も、
周囲も、
彼が知性的に「見える」と本気で思ってるのかも。
いや知性派なんだけど、
見た眼もそうだと。

アメリカ人との感性の差かなぁ。

「ボーン・アルティメイタム」(2007)は、
アイデンティティー、スプレマシーに続く第3弾。
ジェイソン・ボーン(名前がすでに知性的に響かない)という、
彼の演じる役は、
CIAが養成した殺人マシーンで、
記憶障害に陥っているという設定だ。

練りに練られた設定。
さすがにこれは許容できる。

実際の任務についている人も、
きっとこういう感じなのかもしれないなと思わせる「リアル」がある。
アメフトのQBみたい。
頭より体力!
つべこべ言わず、
さっさと動け!

内容は、
十分に楽しめた。
これで終わりかと思ったけど、
まだまだ続きそう。
大ヒットしてるんだから、
当然か。

これが彼の「ハマリ役」になるのかなぁ。

それだったらちょっと残念だ。


●人の声には胸声と頭声とその中間があって、心地よい歌声を出すには、その3つの声区をスムーズに移行させなければならない。理屈はわかるんだけど、これが大変。今はネットがあるから、知識だけは簡単に仕入れられるけど、肝心の「感覚」まではわからない。一番問題なのは、自分の声がどう響いているか、自分ではよくわからない点にある。誰かに判断してもらう必要があるのだ。それも、極めて耳のいい人に!

2008年7月18日金曜日

充実した日々

近所のゴミ集荷場の管理は、
そこを利用する家庭の持ち回り制だ。

最近、
カラスがゴミ袋をぐちゃぐちゃにする被害が多いというので、
次に当番を務める母は秘策を考え付いた。

といっても、
不用になったCDに糸をつけて、
ぷらぷらさせるだけなのだが、
早速試したらしい。

針金を細工して、
よりちゃんとぷらぷらするように金網に設置。
これでカラスも近寄れまいと満足して家に帰った。

しばらくして様子を見に戻ってみると、
金網にとまった一羽のカラスが、
ぷらぷらするCDの横で、
「かぁ」と鳴いていたとか。

「あんまり恥ずかしいから、すぐにはずして持って帰ってきたわ」

悔しそうな母。

ぼくは基本的に夜型で、
母が日中何をしているのかよく知らないのだが、
結構、
充実した日々を過ごしているようだ。


「やっぱり案山子やな」


早くも次のプランを練ってるし。


●母がこの話を始めたのは、NHKがお昼の番組で、アワビの紹介をしていて、その殻が映し出された時だ。虹色に光る殻の内側の映像を見て、「昔は鶏小屋のスズメよけにあれを置いといたんや」と言いだしたのがきっかけだった。ゴージャスな鶏小屋だ。

2008年7月17日木曜日

溝口恵美子さん

のどに小さなポリープができているということで、
MCなしという異例の展開となった、
溝口恵美子さんのライブ。

そんな暗雲を吹き飛ばして、
コーナー・ポケットの夜は熱かった。
マスターの一周忌ということで、
13日から6日間、
ゆかりのミュージシャンが日替わりでステージをつとめている。

2008年7月16日(水)

溝口 恵美子 Vocal

中村 真   Piano

西嶋 徹   Bass

小前 賢吾  Drums

とにかく、
引きずり込まれた。
彼女の歌の世界に。
上手いのは当たり前だけど、
それ以上に、
この歌を届けたいという真摯な想いに打たれた。

バックのメンメンも、
クールにホットに、
それぞれのスタイルで今の想いをぶつけていた。

ステージの合間に、
真っ赤なドレスを着た彼女が、
店の前の歩道の縁石に座り、
一人物想いにふけっていた。

熱いステージとは対照的に、
そこには、
静かに時が流れていた。


●きょうから夏休み前半戦4日間が始まったって別に戦いじゃないけど、とにかく3日間はコーナー・ポケット通いです。歌うこと、音楽を演奏することがどういうことなのか、感じさせてくれそうです。

2008年7月16日水曜日

朝。

玄関先の土の上に、
蝉が一匹。

近くに抜け殻と、
そこから出てきたであろう穴が開いている。
羽はうすい黄緑色で、
どうやら羽化したばかりらしい。

しかしよく見ると、
羽が片方しかない。
どうやら、
何かの間違いが起きたようだ。

そっとつまみあげて、
近くの木にとまらせてやろうとしたが、
すぐに地面にポトリ。

しかたない。
好きにすればいい。
蝉は土の上をもぞもぞと動いていた。

夕方。

蝉がいたところを見て驚いた。
仰向けになった蝉は、
蟻に全身を覆われ、
真っ黒になって手足を動かしている。

あまりに可哀そうなので、
拾い上げ、
手で蟻を払い落そうとするが、
数が多すぎて、
埒が明かない。

仕方なく、
バケツの水に漬けて、
ようやく蟻から解放してやり、
自転車の前かごに置いてやった。

翌朝。

蝉は死んでいた。


これは母の体験である。

ぼくは最初、
ふーんふーんと聞いていたが、
蟻に覆われた蝉のあたりで、
「カワイソウニ!」と思わず声に出した。

地中で何年も生きたものの、
ついに、
一度も鳴くことなく死んでしまった蝉。


わが身を重ねたのか。


●じゃず家のセッションで、ピアニストの押領寺さんとその友人の方と立ち話。友人の方がぼくの声を「小林桂に似てますね」とおっしゃるので、自分の声は彼のようにハスキーだったっけと、押領寺さんに尋ねると「郷ひろみに似てるんじゃないですか」と言われた。どちらも身に余る光栄だけど、小林桂と郷ひろみの両方に聞こえる声って???●生まれて初めて自転車を盗まれた(はず)。そう、あの駐輪場から。ショック。

2008年7月15日火曜日

旅立ちの唄

怖がらないで
手当たり次第に灯り点けなくても
いつか 一人ぼっちの夜は明けていくよ
転んだ日は はるか遠くに感じていた景色も
起き上がってよく見ると なんか辿り着けそうじゃん

君の大好きだった歌 街に流れる
それは偶然が僕にくれた さりげない贈り物

Ah 旅立ちの唄
さぁ どこへ行こう? また どこかで出会えるね Ah
とりあえず「さようなら」
自分が誰かわからなくなるとき君に語りかけるよ
でも もし聞こえていたって返事はいらないから…

大切なものを失くして また手に入れて
そんな繰り返しのようで その度新しくて
「もうこれ以上 涙流したり笑いあったりできない」と言ってたって
やっぱり人恋しくて

今が大好きだって躊躇などしないで言える
そんな風に日々を刻んでいこう
どんな場所にいても

Ah はじまりを祝い歌う最後の唄
僕は今手を振るよ Ah
悲しみにさようなら
疲れ果てて足が止まるとき 少しだけ振り返ってよ
手の届かない場所で背中を押してるから

Ah 旅立ちの唄
さぁ どこへ行こう? また どこかで出会えるね Ah
とりあえず「さようなら」
自分が誰か忘れそうなとき
ぼんやり想い出してよ
ほら 僕の体中 笑顔の君がいるから
背中を押してるから
でも返事はいらないから

(Written by Kazutoshi Sakurai)

2008年7月14日月曜日

Amazon

Amazonって素敵だ。
「欲しい」と思ったらすぐ探して、
注文できる。

先日テレビで見た演奏が印象的で即注文した、
STEVE REICH「MUSIC FOR 18 MUSICIANS」
が届いた。

Amazonって素敵だ。
一気に注文した品は、
一括して送ってくれる。
送料もただだ。

RWICHの「DIFFERENT TRAINS」、
kurt elling「THIS TIME IT'S LOVE」もあるある。


あれ、
なんだこれは。



「琴古流尺八 山口五郎」


あー。


確かに注文しました。
なんか発声の事を考えていたら、
尺八の音の出る仕組みに興味が湧いて、
「尺八」で検索したんだっけ。

何日もたってないのに、
もう忘れてた。


Amazonって。。。

●でも聞いてみるといいんだ。これが。よく寝れる●セッションで知り合ったボーカル・池島里佳さんのライブを聴きに阪急曽根のアレサに行ってきた。ミクシーで知り合った仲間とバンドを作って練習したのだそうで、とってもフレンドリーで新鮮だった。彼女、歌っているときもそうでないときも、いつもとっても楽しそうで、こっちまでいいことがありそうな気がしてくる。それだけで◎でしょ。

2008年7月13日日曜日

出身地

あなたの出身地はと聞かれると、
一瞬ためらって、
「生まれたのは三重ですけど」と始める。

確かにぼくは四日市市で生まれ、
3歳までそこで育ったのだけど。

「でもまぁ兵庫ですね」

「出身地」って一体どこのことなのだろう。
純粋に生まれたところ?
実家のあるところ?
それは父母どちらの?
一番長く住んできたところ?

物ごころついてから、
大学に入るまで住んだ、
そして今もまた舞い戻って住んでいる、
この西宮が、
ぼくにとっては「出身地」にとりあえずふさわしい。

でも、
生まれたのがNYだったら、
たとえ生後半年で離れていたとしても、
「出身地はNY」って威張るんだろうな。

この前の「探偵ナイトスクープ」で、
松村邦洋が、
御堂筋を行ったり来たりしながら、
通行人の出身地を手当たりしだいに尋ねて歩いていた。

意外というか、
当然というか、
東北6県と答えた人がいなかった(はず)。

こんなに狭い日本で、
こんなに交通が発達した現代で。

確かに、
北海道に行こうとは思っても、
山形へ行こうとはあんまり思わないし、
距離的にも、
精神的にも、
東北は関西人には縁遠い。

両親が東北と九州出身で、
自分は大阪の生まれ育ちなら、
「出身は大阪。でも実家は東北と九州です」ってなるのかな。

母の実家は西宮で農業をしているからはっきりしてるけど、
そういや父ってどこ出身だったっけ?


●2日続けて、生後間もない子猫を見た。今、そういう時期なんでしょうか。かわいいんだけど、絶対触らせてくれないんだな、親猫が。めっちゃ警戒して。そのくせ人通りの多い道の端にいるのは何で?やっぱり猫はよく分からない。

2008年7月12日土曜日

いるもいないもない








この写真は、
今年の元日、
つまりぼくの誕生日に、
近所の武庫川で撮った。

年末に父が死に、
その不在について思いめぐらせていた時だ。

寒中見舞いで使ったから、
知っている人もいるだろう。
ぼくのお気に入りの一枚だ。
このPCのバックスクリーンもこれだ。


堤防を走る一台の車は、
ぼくかもしれないし、
だれかかもしれない。

その先の空は、
未来を暗示しているのかもしれない。

手前の赤信号は、
もはやあの車とは並走できないということか。

手前右へと下る道は、
ぼくの行くべき未来なのか。
二つの道は、
二度と交わることはないのか。

だれも知らない。

感じ方は自由だ。


一緒に「いる」ことは確信できるけど、
一緒に「いない」ことは確信できない。

ならば、
「いない」ことを悲しむ必要はない。

「いる」と信じ続けられれば、
いつか、
本当は心の中に「いる」ことが分かるだろう。

偶然の出会いや、
突然の別れなど、
目に見えることは重要じゃない。

すべては、
心の置き場所だ。


●ついに発売されたiPhone。ニュースを見て、その操作性に母までが驚いていた。70歳のお年寄りをも引き付ける魅力。こんなことは「ホームレス中学生」以来だ。そりゃ売れるわ。

2008年7月10日木曜日

名前

我が家は、
最寄駅の駐輪場に、
一台分の枠を借りている。

そこには昨年末亡くなった父の名前が、
マジックで書かれたシールが貼ってあり、
死後もそのままにしていたのだが、
おととい利用しようとしたら、
そのシールがはがされ、
ただの番号に変わっていた。
周囲もすべてそうなっていた。

個人情報保護法の影響だろう。
借主が女性だと、
確かに深夜などに不安を覚えても不思議ではない。
社員名簿や学校の連絡網を作らない動きも広まっている。

社会は確実に匿名化を強めている。

そして別の側面では、
街中いたるところに監視カメラが設置され、
携帯で位置確認することも容易だ。
匿名社会と監視社会は表裏一体なんだと思う。
誰か分からないから怖い。
だから監視する。

しかし、
個人に目を向けると、
「世界にひとつだけの花」とばかりに個性が尊重され、
「自分探し」、
「自分磨き」がますます盛んだ。
かつては特別な人だけがアプローチできた、
さまざまなノウハウを、
ぼくたちも気軽に手に入れることができる時代だ。

結局、
ぼくがそうなんだけど、
誰かに自分を認めて欲しいんだと思う。
そういう人はぼくだけでもないだろう。
その気持ちと匿名社会というのは、
明らかに矛盾している。
そのひずみは既に現われているのではないか。

また小理屈になってきた。


話を戻そう。

ただぼくは、
たかが名前のラベルとはいえ、
こうしてまた一つ、
父が存在した証が、
フッと消えてしまったことが、

寂しい。


●このあたりは、今日読み終えた「決壊」(平野啓一郎著、新潮社)のせいもある。この本のことはいずれ書くことになるだろうけど、いろいろ考えさせられた。いろんな意味で疲れる作品だ●確かに父の死後、様々な名義書き換えや遺品の整理を行ったけど、特段支障のないものは残してある●梅田のアズールで山口有紀さんのボーカルを聞いた。「ブラジリアンナイト」ということで、知らない歌がほとんどだった。きっとジャズに不案内な人がジャズライブを聴いたらこんな感じかなと思った。

2008年7月9日水曜日

スピード・レーサー

ヤクルトの古田敦也・前監督が以前、
自分の性格は、
捕手という現役時代のポジションに大きく影響されていると言っていて、
その時は、
「そりゃそうだろ」としか思わなかったが、
今日、
映画「スピード・レーサー」を観終わって、
その事を思い出した。

映画はあの、
「マトリックス」シリーズを手掛けたウォウシャウスキー兄弟。
日本製アニメ「マッハGoGoGo」を実写化した作品だ。
「インディー」よりはこちらを先に見たかったのだ。

未来のカーレースのお話なんだけど、
セリフで、
「レースは人が作るのではなく、レースが人を作る」みたいなのがあって、
これも古田の話と同じというか、
野球が人を育てるというように、
「そりゃそうだ」と片付けることもできるけど、
少し立ち止まって考えてみた。

やっぱり10年、20年とある職業についていれば、
ある物事が起きたときの咄嗟の脳内回路の動き方というか、
回路そのものがある種の特性を持ってくる。

いい悪いとか、
深い浅いとかではなく、
とりあえず「そう言う風」にしか動かなくなってくるはずで、
それは致し方ないともいえるし、
プロであればあるほど、
それは顕著になる。

一般に思考が柔軟だというような人でも、
「柔軟な思考の仕方」という回路が出来上がっているわけで、
恐らく想定内のことになら柔軟であれても、
ひとたび想定を外れると、
途端に融通が利かなくなる場合があるのではなかろうか。

警察官、
新聞記者、
主婦、
大学教授、
医者、
教師、
音楽家、
翻訳家。。。

ぼくらの年齢になれば、
それぞれの立場でしか頭は初動しなくなるし、
家庭環境、
経済的状況、
健康状態など、
ほかの要素が加われば、
フリーハンドの余地はさらに狭まる。
たぶん若者にとってぼくたちは、
十分に融通の利かないオヤジなんだろう。

しかしながら、
先の「レースが人を作る」というのは、
こういう当たり前のことだけを言っているのではないように思われる。

例えば3日付の読売新聞で、
映画ライターの寺田正廣氏は、
「理不尽な世界を外から変えようとするより、世界に合わせて自分が変わること。つまり、怒りや見栄を捨て、利権で強固に組み上がった社会システムに入り込み、できることに専念する。(略)そんな動きが束になれば、変化は必ず起こる」として、
主人公スピードを、
マトリックスのネオに重ね合わせる。

しかし、
このとらえ方は、
楽観的すぎるようにも感じるし、
第一「だから文句言わず働け」と言われているようで、
組織内人間としてはちょっとつらいな。

確かに、
おかれた状況に精通したとき初めて見える次の世界があることはわかる。
でも、
大抵はそれ以前に状況=自分と化して、
状況の次元そのものへの疑問は抱けなくなるもので、
それはぼくが高校生の時から感じている不安だ。

その不安を持ち続けているということは、
まだぼくが状況と同化しきれていないわけで、
いわゆる、
未熟ということなのかもしれないな。

それもまたぼくということだ。



●宿直勤務の帰りに梅田で観たのだけど、この映画に限らず今の映画はなかなか人気作が多いようで、若い人でいっぱいだった。「花より男子」「インディー」「告発の行方」。。。雨が多いせいもあるかな?●NHKの「SONGS」は絢香。とても心地よい声だ。ただ、20歳のやる気に、ちょっとついて行けない自分を感じた。

2008年7月8日火曜日

柄物

予定まで30分ほど時間があったので、
通りすがりのベネトンのセールに飛び込んだ。
シャツが欲しいと思っていたので、
店員さんに選んでもらって試着することに。

ぼくはポロシャツ一枚だったから、
その上から羽織ってみたら、
ピピッときたのがあった。

「この着方でもいけますよね?」
「そーですね。少し斬新ですけど」
「じゃ買います」

ということで、
ぼくはポロシャツの上にシャツという、
「斬新な」レイヤード姿で大阪を歩き、
目的の難波「845」のセッションに向かった。

このセッションは、
ボーカルの太田雅史さんが主催していて、
前半は彼のパフォーマンス、
後半はセッションというかたちで月一で開かれている。

彼の特徴はボーカリーズ。
まぁスキャットなんだけど、
声を楽器として、
歌詞のない曲でも「ダバダバ、ドゥビッ」と「歌い」こなしてしまう。

ピアノは赤松真理さん。
とても品と落ち着きのある音を出される方で、
今年に入って何度かいろいろな場所で聞かせてもらっている。

その赤松さん。
ぼくのシャツを見るなり、
「かわいいですね」とほめてくれた。
お世辞でも嬉しいもので、
「よしよし、いい買い物をした」と、
自己満足して帰宅した。


早速、
母に「ええやろ」と自慢すると、

「・・・・・・」

「かわいいって言ってくれる人もいたんやで」

「・・・・・・」

「おかしい?」

「だって花柄やん」

「あんた柄物着いへんやん」


そうだ。
ぼくが柄物の服を買ったのは、
10年ほど前のアロハシャツが最後だ。

買ったシャツは淡い色ながら、
ペイズリーと花の柄だ。
母が違和感をもったのも、
ある意味無理もない。

鏡で見なおしてみた。
重ね着はともかく、
シャツ自体はやはり悪くない。
でも、
さっきまでの自信はない。

なんでこれを買ったのか、
自分でも少し不思議に思えてきた。

やっぱり「いい」と思えたのは、
赤松さんが先に褒めておいてくれたからだ。

ありがとう。
赤松さん。


●今朝は5時半まで付き合いました。ウィンブルドン。あんないい試合されては、途中で寝れないよ。本当に歴史が繰り返したから、びっくりした。

2008年7月7日月曜日

死闘

1979年7月、
ビヨン・ボルグはウィンブルドン5連覇をかけ、
ジョン・マッケンローとフルセットを戦っていた。

同じ時、
高校1年のぼくは、
期末試験の準備に追われていた。

世界最高の技術と、
世界最高のハートを持つ二人が、
世界最高の名誉を前に見せる、
神業的プレーの応酬と、
名誉の重さゆえに時折見せる心技体のほころび。

そんな状況を、
生中継しているのに、
試験勉強などしておられようか。
翌日は、
すごいものを観た感動と、
睡眠不足プラス、
勉強ゼロの頭だけが残った。

そして、
29年がたち、
今、
ロジャー・フェデラーが6連覇をかけ、
ラファエル・ナダルと死闘中だ。
ただでは済まない予感の中、
果たして、
ナダルが2セット連取。
2度のチャンピオンシップ・を握りながら、
フェデラーがタイ・ブレークで2セット取り返し、
フルセットにもつれ込んだ。
今は、
この試合2度目の雨天中断中だ。

どれだけ追い詰められても、
とことん沈着冷静な王者と、
野性的挑戦者。
あの時と同じ構図だ。

ちなみにボルグは5連覇は果たしたものの、
翌年はマッケンローがこれまたフルセットの死闘で雪辱を果たした。

歴史が繰り返すなら、
ナダルが歓喜の初優勝を遂げるはずだ。

さぁ、
雨は上がったようだ。

歴史を目撃しよう。

2008年7月4日金曜日

ピアフ

ジャズで言えばビリー・ホリデー。
オペラならマリア・カラス。
演歌はもちろん美空ひばり。

ジャンルは異なれど、
歌にはそれぞれのディーバがいる。

「エディット・ピアフ」(2007年、仏、英、チェコ合作)を観た。
お名前と「愛の讃歌」だけはよく存じ上げておりますのオホホ、
みたいな存在だったが、
まぁ、
そりゃ、
波乱万丈を画に描いたような人生だ。

貧しい家庭に生まれ、
売春宿に預けられる幼年時代。
大道芸人の父と暮らしながら、
シャンソンに目覚める少女時代。
街頭で歌っているところを一流クラブのオーナーに認められ、
大スターへの階段を駆け上がる絶頂期。
身を焦がす不倫と死別、
酒とモルヒネ中毒でボロボロになる晩年。。。

2時間20分によくぞまとめたもんだ。
映画のサイトで、
「エピソードを詰め込みすぎてドラマ性が希薄」という評価もあるけど、
ぼくとしては、
この映画を観て、
小節でいう行間というか、
映像化されていない部分を想像で埋められない人は、
たぶんこの映画を6時間にしても、
彼女の人生は永遠に理解できないと思う。

そういう意味で、
この映画のすごいところは、
エピソードの羅列ではなく、
各場面間に、
彼女の人生という水を、
たっぷりたたえている点にある。

脚本や編集もすごいが、
主演のマリオン・コティヤールに尽きる。
この映画の魔法は、
彼女の演技によってかけられた。

ちなみにピアフはビリー・ホリデーと同じ年生まれとか。
晩年の映像はどう見てもおばあさんだが、
享年47歳だった。


●NHK「美の壺」。きょうはバラがテーマだった。古来様々な品種改良がされてきたが、青いバラだけはできなかったことから不可能の代名詞にもなった、という解説に、母が一言「青インクにつけたらええやん」。OK。ハッピーだ。今70歳だが100歳クリアは間違いない。NHK芸術劇場でライヒ特集「18人の演奏家のための音楽」をやってる。このループサウンドを生でやってるのが面白い。楽譜めくってるし。

2008年7月3日木曜日

セコい奴

探していた本を書店で見つけたものの、
カバーが少しよれていたり、
折れ曲がったページがあると、
買うのをあきらめてしまう。

別にブックオフで売る時の事を考えてとかではなく、
やっぱり最初だけはピシッとした姿でいて欲しい、
その思いは子供のころから変わらない。

先日、
西宮北口のジュンク堂で、
「M/D マイルス・デューイ・デイヴィスⅢ世研究」(菊池成孔、大谷能生著、Esquire Magazine)を買った時のこと。
何冊かある中から慎重に選び、
早速ドトールに入って少し読もうと、
袋を椅子に置いたつもりが、
ドサッという音。

何せ776ページもある大著である。
厚みは7センチほどあり、
壮丁もガッチリしている。
立派すぎて椅子から滑り落ちたのだ。

恐る恐る袋から取り出すと、
背表紙の角が見事にへしゃげていた。

かわいそうに、
僕の手に取られてから、
わずか10分ほどで、
見事に変形させられた「M/D マイルス・デューイ・デイヴィスⅢ世研究」。

ショックで言葉も出なかった。
何度も見返しては、
間違いなくへこんでいることを確認し、
その度ごとに胸が痛んだ。
周囲の人に気づかれないようにしていたつもりだが、
きっと顔はひきつっていただろう。
だって4700円もしたんだ。。。

ヤケクソ気味に、
一気に読んだ。
やたら面白かった。
そう、
中身が良ければそれでいいんだ。
そうだよ。
問題なのは内容だ。

それでも今日、
紀伊国屋で、
「決壊」上下巻(平野啓一郎著、新潮社)と、
「ザ・ロード」(コーマック・マッカーシー著、早川書房)
を買う時、
何冊も見比べてしまった。
何も変わってない。

レジの店員の本の扱いもすごく気になる。
乱雑にカバーをかけられるぐらいなら、
「自分でするから紙をくれ」っと言いたくなるほどだ。

自分のセコさを実感する時である。


●そういえば学校の教科書も、新学期早々はめっちゃ大切に扱って、表紙の折れ具合まで気にするたちだった。かといって勉強するわけでもなく、すぐにボロボロになっていったっけ。

瓶詰めの手紙

少し前に、
13年前に少女が風船で飛ばした手紙が、
カレイの背中(?)に張り付いた状態で魚網にかかったというニュースがあった。
ほんまかいなって思ったもんだ。

そういえば、
映画「タイタニック」で、
ローズのヌードを描いたジャックの鉛筆画が、
引き上げられた金庫の中から見つかるシーンがあったっけ。

このブログは公開されているけれど、
たいてい書くのは夜なべ作業で、
時として他人に読まれることを前提としていない独り言のようになっていることがある。

というか、
ほとんど瓶詰めの手紙という感じ。
読まれるあてはないけれど、
でもその希望だけは持てるみたいな。

ところが昨日、
ちゃんと読んでくれている人がいることが分かりびっくりって、
驚くのもどうかと思うけど、
嬉しいやら恥ずかしいやら、
こちらも、
ほんまかいなってな感じがした。

だからといって肩肘張ることもないんだけど、
やっぱりちゃんと書かないとな、
せめてテニオハぐらいは間違えないようにしないとなどと、
少しばかり気合が入った。

とにかく、
ありがとう。


●三宮のサテン・ドールへ森川奈菜美さん(vo)のライブを観に。大友孝彰君のピアノとのデュオで、いい感じでした。森川さんは先日のじゃず家のセッションに遊びに来ていて、たぶんライブの後だったのだと思うけど、バイ・バイ・ブラックバードが見事で、それがライブに行くきっかけででした。

2008年7月2日水曜日

買い替え

2011年にテレビのアナログ放送が終了するので、
我が家もテレビを買い替えようかと何度か話題にしながら、
いつもまぁそれはまた考えようとなって、
延び延びにしていたら、
4年に1度、
オリンピックの年ごとにテレビを買い替えるおばあさんの話を、
知人から聞いた。

次まで生きているか分からないから、
いいテレビでこのオリンピックを観たいということらしいんだけど、
まったくその話には驚いた。

年齢は聞かなかったけど、
普通、
年配になればもったいない精神が沢山あって、
テレビなど壊れるまで使うという先入観があったけど、
なるほど年をとると、
こういう潔さも身につくのか。

決して浪費家ではなく、
きっとほかの部分では倹約して暮らしている方なんだと思う。
スポーツ観戦が好きで、
だからこそいい映像、
音声で臨場感たっぷりに味わいたいんだな。

ちなみに、
このおばあさん、
古いテレビは、
他人にあげてしまうらしい。
といっても4年落ちだ。
知り合いになりたい。

って、
何だか、
とってもみみっちい自分に、
笑えてきた。

遺志

30日は親父の13回忌だ。 あーそんなになるのか、 と言うのが率直な感想。 親父が亡くなる直前、 僕は酒を辞めた。 復職して最初のボーナスが出た日、 入院していた病院に行って報告した。 もう親父はかなり弱っていて、 ほとんど喋れなかった。 でも...