2008年7月28日月曜日

越智順子さん

東京・吉祥寺に「SOMTIME」という、
とっても素敵なジャズバーができたと、
19歳のぼくは雑誌で知り、
当時好きだった女の子を誘ったことがある。

バスに乗って、
地下にある、
壁がレンガで覆われた、
ちょっと外国の倉庫風の店は、
上京してほどないぼくには、
別世界のようだった。
ましてや隣には好きな女の子。
何を聞いたかなんて全然覚えてない。

時は流れ、
数年前、
1年間だけ東京に住む機会があった。
住まいを中央線沿線の荻窪に決めたのは、
吉祥寺にも新宿にも近いからだった。

SOMETIMEにも何度か行った。
店のレンガ、
大きな丸い掛け時計。
いい音を吸った何十年か分、
より素敵な店になっていた。
敬愛するジョニー・ハートマンも、
ここでライブ盤を録音した。

何人かの歌を聞いた。
中でも格別な思い出があるのが、
関西出身の越智順子さんだ。

それまでも何度か聞いたことはあったし、
数年通っていたジャズスクールで講師をしてらしたから、
素の状態で見かけたこともある。

ぼくはSOMETIMEで越智さんに、
とんでもないことをお願いした。


「1曲歌わせてください。恥はかかせません」


どうか信じて欲しいけど、
ぼくは宝くじに当たるより可能性はないと思っていた。
それほどうぬぼれは強くない。
でも、
その時それを言わないと、
絶対に後悔するような気がものすごくしたのだ。

越智さんは一瞬困ったような顔をして、
それでも共演者や店の人に一応話をしてくれた。
結果は「ごめなさい」だったのだが、
ぼくは120%満足だったし、
本当は二つ返事で「あほか」と言うべきところを、
ぐっとこらえてくれたであろう越智さんに、
感謝したものだ。

その越智さんが、
亡くなった。

ガンだったそうだ。

闘病中なのはHPで知っていたが、
今日、
武庫之荘・Mクアトロのセッションに行く車のラジオで知った。
43歳だったという。

女性に失礼だけど、
ぼくより年上だと思っていた。

それほど包容力のある、
姿であり、
笑顔であり、
歌声であった。

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