我が家は、
最寄駅の駐輪場に、
一台分の枠を借りている。
そこには昨年末亡くなった父の名前が、
マジックで書かれたシールが貼ってあり、
死後もそのままにしていたのだが、
おととい利用しようとしたら、
そのシールがはがされ、
ただの番号に変わっていた。
周囲もすべてそうなっていた。
個人情報保護法の影響だろう。
借主が女性だと、
確かに深夜などに不安を覚えても不思議ではない。
社員名簿や学校の連絡網を作らない動きも広まっている。
社会は確実に匿名化を強めている。
そして別の側面では、
街中いたるところに監視カメラが設置され、
携帯で位置確認することも容易だ。
匿名社会と監視社会は表裏一体なんだと思う。
誰か分からないから怖い。
だから監視する。
しかし、
個人に目を向けると、
「世界にひとつだけの花」とばかりに個性が尊重され、
「自分探し」、
「自分磨き」がますます盛んだ。
かつては特別な人だけがアプローチできた、
さまざまなノウハウを、
ぼくたちも気軽に手に入れることができる時代だ。
結局、
ぼくがそうなんだけど、
誰かに自分を認めて欲しいんだと思う。
そういう人はぼくだけでもないだろう。
その気持ちと匿名社会というのは、
明らかに矛盾している。
そのひずみは既に現われているのではないか。
また小理屈になってきた。
話を戻そう。
ただぼくは、
たかが名前のラベルとはいえ、
こうしてまた一つ、
父が存在した証が、
フッと消えてしまったことが、
寂しい。
●このあたりは、今日読み終えた「決壊」(平野啓一郎著、新潮社)のせいもある。この本のことはいずれ書くことになるだろうけど、いろいろ考えさせられた。いろんな意味で疲れる作品だ●確かに父の死後、様々な名義書き換えや遺品の整理を行ったけど、特段支障のないものは残してある●梅田のアズールで山口有紀さんのボーカルを聞いた。「ブラジリアンナイト」ということで、知らない歌がほとんどだった。きっとジャズに不案内な人がジャズライブを聴いたらこんな感じかなと思った。
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