2008年7月9日水曜日

スピード・レーサー

ヤクルトの古田敦也・前監督が以前、
自分の性格は、
捕手という現役時代のポジションに大きく影響されていると言っていて、
その時は、
「そりゃそうだろ」としか思わなかったが、
今日、
映画「スピード・レーサー」を観終わって、
その事を思い出した。

映画はあの、
「マトリックス」シリーズを手掛けたウォウシャウスキー兄弟。
日本製アニメ「マッハGoGoGo」を実写化した作品だ。
「インディー」よりはこちらを先に見たかったのだ。

未来のカーレースのお話なんだけど、
セリフで、
「レースは人が作るのではなく、レースが人を作る」みたいなのがあって、
これも古田の話と同じというか、
野球が人を育てるというように、
「そりゃそうだ」と片付けることもできるけど、
少し立ち止まって考えてみた。

やっぱり10年、20年とある職業についていれば、
ある物事が起きたときの咄嗟の脳内回路の動き方というか、
回路そのものがある種の特性を持ってくる。

いい悪いとか、
深い浅いとかではなく、
とりあえず「そう言う風」にしか動かなくなってくるはずで、
それは致し方ないともいえるし、
プロであればあるほど、
それは顕著になる。

一般に思考が柔軟だというような人でも、
「柔軟な思考の仕方」という回路が出来上がっているわけで、
恐らく想定内のことになら柔軟であれても、
ひとたび想定を外れると、
途端に融通が利かなくなる場合があるのではなかろうか。

警察官、
新聞記者、
主婦、
大学教授、
医者、
教師、
音楽家、
翻訳家。。。

ぼくらの年齢になれば、
それぞれの立場でしか頭は初動しなくなるし、
家庭環境、
経済的状況、
健康状態など、
ほかの要素が加われば、
フリーハンドの余地はさらに狭まる。
たぶん若者にとってぼくたちは、
十分に融通の利かないオヤジなんだろう。

しかしながら、
先の「レースが人を作る」というのは、
こういう当たり前のことだけを言っているのではないように思われる。

例えば3日付の読売新聞で、
映画ライターの寺田正廣氏は、
「理不尽な世界を外から変えようとするより、世界に合わせて自分が変わること。つまり、怒りや見栄を捨て、利権で強固に組み上がった社会システムに入り込み、できることに専念する。(略)そんな動きが束になれば、変化は必ず起こる」として、
主人公スピードを、
マトリックスのネオに重ね合わせる。

しかし、
このとらえ方は、
楽観的すぎるようにも感じるし、
第一「だから文句言わず働け」と言われているようで、
組織内人間としてはちょっとつらいな。

確かに、
おかれた状況に精通したとき初めて見える次の世界があることはわかる。
でも、
大抵はそれ以前に状況=自分と化して、
状況の次元そのものへの疑問は抱けなくなるもので、
それはぼくが高校生の時から感じている不安だ。

その不安を持ち続けているということは、
まだぼくが状況と同化しきれていないわけで、
いわゆる、
未熟ということなのかもしれないな。

それもまたぼくということだ。



●宿直勤務の帰りに梅田で観たのだけど、この映画に限らず今の映画はなかなか人気作が多いようで、若い人でいっぱいだった。「花より男子」「インディー」「告発の行方」。。。雨が多いせいもあるかな?●NHKの「SONGS」は絢香。とても心地よい声だ。ただ、20歳のやる気に、ちょっとついて行けない自分を感じた。

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