2009年5月14日木曜日

姿勢

柴崎友香「ドリーマーズ」(群像6月号)の冒頭、
終電車内でケッタイな格好で寝ている男が出てくる。

 車両の真ん中のシートのその真ん中に、黒いスーツの男が座っていた。正確には「座る」からはほど遠い姿勢だった。座席からはずり落ちて、ひざを床に着き、そこから上の体を弓なりに反らせて肩の少し下をシートに載せて絶妙なバランスを保ち、上を向いたまま眠っていた。両腕は床に向かってぶら下がり、手はちょうど彼自身のかかとの隣にあった。頭と顎の重みが反対方向にかかって、口がぱかっと開いて、叫んでいるみたいに見えた。


一読してどんな状態か想像できるだろうか。

ぼくにはピンときた。
なぜなら、
以前友人のブログで紹介されていた男性の写真そのままだったからだ。

作者がこの写真を見たことがあるか、
あるいは現場にいたか、
あるいは他人からこの写真またはこの状況を聞いたのであることは、
ほとんど疑いようがない。

それほどに特異な姿勢なのだ。
それともこの男性、
たびたびこういう姿勢になるのだろうか。
だとしたらかなりな「名物」だ。

いつか紹介したいと思っていたが、
ちょうどいい機会だ。

とくとご覧あれ↓











2009年5月13日水曜日

軌跡

花火の写真を撮ったことがある人なら分かるかな?

フラッシュを使わず、
花火を持った手をグルグル回して写すと、
プリントには光の軌跡が円のように映ったはずだ。

それを応用して懐中電灯で光の絵を描き、
しかもそれを連続させて、
アニメのような作品にしてしまった、
「トーチカ」という男女のユニットが、
NHK「トップランナー」に出ていた。

いかにもこの番組らしい、
いい意味で素人臭さが抜けない、
これからブレイクしますよみたいな二人で、
とっても面白かった。

上に書いた手法は、
これまでにあるようで、
実際にはなく(厳密にはあるかもしれないが)、
たまたま現場で思いついたのだそうだ。
4年前のことだったという。

それだけで今後ずっと食べている訳ではないだろうが、
アイデア一発、
そういう「隙間」を見つけ、
それを展開させていく時の喜びは、
何物にも替え難いだろうなと羨ましくなった。

誰もやったことのない事で、
他人を驚かせるのって、
ぼくは本当は大好きだ。

でもそれが「サプライズ」とか名付けられて、
期待というか、
要求というか、
半義務化されると、
途端に嫌になってしまう。

予期されていないからこその驚きだもの。

それでも驚かせ続けられる人は、
「プロフェッショナル」に出演できるだろう。

●それにしても暑い。

2009年5月12日火曜日

審査

アメリカン・アイドルという、
米国版「スター誕生」を、
初めて通して見た。

詳しくないのだが、
どうやら8代目のチャンピオンを決める途中で、
36人に絞られた挑戦者を3組に分け、
各組3人が決勝に進むようで、
今回はそのうちのひと組12人分だったようだ。

最後にサティスファクションを歌った男の子が、
抜群にうまかったと思うのだが、
それより面白かったのは、
審査員の講評だった。

一番多かったコメントは確か、
「選曲が悪い」だった。

「あなたに向いてない」
「歌唱力が生かし切れていない」云々。

自分が好きな歌と、
自分に向いている曲が違うというのは、
わかっちゃいるんだろうけど、
やっぱり好きな歌で勝負したいもんだろうし、
難しいところだ。



審査といえば、
TKに執行猶予判決が下った。
求刑が懲役5年だったから、
間違いなく「寛大な」判決だ。
本人は実刑を覚悟していたと思う。

朝日新聞にTKの興味深いコメントが載っていた。
判決前のものだが、

「拘置所に放り込んでもらったことで良かったこともある。変な人間関係をすべて断ち切り、生活を絞ることができた」

と周囲に語っていたという。

彼は才能があるのだから、
またヒット曲を生み出せるかもしれない。
でも砂糖には必ず蟻が群がる。
その時が問題だろう。


審査とヒット曲といえば、
作曲家の三木たかしさんが亡くなった。
確か「スタ誕」で審査員をしていた。
でも黛ジュンが妹とは知らなかった。

テレサ・テンより、
妹に書いてあげればよかったのに。


●皮膚科と本屋とTUTAYAに行った。「ドクター・ハウス」の1、2話を借りてしまった。それにしても、「シーズン○」という言い方は、いつから広まったのだろう。「アメリカン・アイドル」もシーズン8って言ってた。ぼくの人生は今何シーズン目だ?。

2009年5月11日月曜日

深夜

煙草を切らしたので、
この時間にも関わらず近所の自販機に買いに出る。
歩いて300歩ほどの所なのだが、
この時間はさすがにTシャツ一枚では肌寒い。
でも、
サンダルの足では駆け足する気にならない。
ゆっくり足を進める。

今日はすでに月曜日だ。
どの家の明かりも消えている。
月がまん丸く輝いている。

明日は何をしようか。
映画を見に行こうか。
それとも皮膚科に行くのが先決か。
ぼくはアトピー性皮膚炎があるのだ。

自販機に小銭を入れると、
「商品を選んでください」と機械が言うのだが、
その音量がやたら大きく、
近所迷惑じゃないかといつも思う。
できるだけ素早く商品ボタンを押し、
タスポをかざす。

そのあと飲料水の自販機に向かう。
何か気分をしゃきっとさせたかったのだ。
サイダーかコーラ。
無糖のコーラが最近はあるんだな。
久しぶりに買ってその場で飲んでみたら、
思いのほか美味しく、
狙い通りのどがすっきりした。
同時に過去の記憶がよみがえった。

帰り道、
再び月を見上げる。
この瞬間、
地球上で同じ月を眺めている人は何人いるだろうかと、
ふと考えた。

●アカデミー賞をとったアニメ「つみきのいえ」の作者がトップランナーに出ていた。水中に没して朽ちたベッドを眺めていると、かつての幸せだった生活が思い出されるシーンがあって、たぶん番組で紹介していたから、このアニメの「いいところ」なんだろうけど、ぼくには10年前のタイタニックの焼き直しにしか見えなかった。アメリカ人はこういうのに弱いのだろうか。大変な手間がかかった作品だということは理解できた。●「ドクター・ハウス」の4話を見る。医者や医者の卵には専門的な部分が面白いのだろうが、素人には患者が実験動物になってしまっているようで、まだあまり好きになれない●「終の住処」は読み終わった。大変な密度の作品で一気に読了したが、理解するには、繰り返し読むしかないと思った。最近の若手の小説には、一人称と三人称を混在させたり、視線や場所や時間の飛躍や混濁がみられるものが多い。これは明らかに日本人の精神構造の変化を象徴しているように思われる。

2009年5月10日日曜日

奇跡

旅客機が川に不時着して話題になった、
「ハドソン川の奇跡」のBSドキュメントが凄かった。

離陸直後、
NY上空900メートルで鳥の大群を吸い込み、
左右のエンジンが停止。
機長の的確な判断と操縦で川に着水させ、
乗客に犠牲者ゼロだった事故の様子は、
1月の発生の時にニュースで見たけど、
今回いくつか新たな事を感じた。

当たり前といえば当たり前なのだが、
エンジンが両方停止したということは、
何十トンもの機体が突然「グライダー」になったということであり、
それは「飛行」というよりむしろ「落下」する状況だったという事。

その中で、
着水を成功させるには、
時速230キロ以上の速度と、
川面に対して期待を11度に保つことが条件だった。
その条件を完全に満たさなければ、
機体は失速して墜落するか、
川に激突してバラバラになっていたという。

滑走路への着陸だって成功の条件はあるだろうが、
何せエンジンが止まっているのだ。
与えられた時間は3分半。
状況は最悪。
その中で機長はベストを尽くし、
ベストの結果を得た。

究極のプロの仕事って、
一般人には「奇跡」に見えるということだ。

●それにしても副操縦士の影が薄すぎ。というか一言のコメントもない。なんでだろう●友人の医師が推薦してくれた「ドクター・ハウス」がレンタルされ出したので借りて1話だけ見た。うーん。医学推理物といったところ。知識のある人には面白いのだろうけど、ドラマとしてはERの方が好きだな。

2009年5月9日土曜日

視線

この連休を利用して、
フランス語の集中講座に通ったという友人のブログを見て、
しばし唖然とした。



なんと前向きな生き方よ。



新型インフルにかこつけて、
小型連休のまる2日を家に閉じこもっていた自分は何だったのか!

たとえ家にいたとしても、
部屋の片付けをするとか、
誰かに手紙を書くとか、
有意義な過ごし方もあろうものを、
ただ無様に昼過ぎまで惰眠をむさぼり、
ひげも剃らずにボーっとしていたのだ。



同年代の人が社会で活躍している。
例えば作家の磯崎憲一郎などがそうで、
一昨年「肝心の子供」という処女作が文藝賞をとり、
昨年は「眼と太陽」が芥川賞候補になった。
驚くべきことは、
彼がれっきとした会社員だということである。

少し刺激を受けようと、
新作「終の住処」が掲載された新潮を買った。

最早焦っても仕方ないと分かっていながら、
そうせざるを得ない自分がいる。



今日の読売新聞の五郎ワールドに、
『天に「見る眼・聴く耳」』と見出し。
著名人の母にまつわる話だが、
なかなか読ませる。

人の行いは良い事も悪いこともみな、
天が知っているという意味だ。

天=母とも言える。
母親とは恐ろしいほどに、
子供のことは何でも知っている。

いや母でなくとも、
人は、
自分のことなど誰も分かってないと思っていても、
意外なほどに誰もが自分を分かっているのである。
自分以上に他人の方が自分を理解している。
そういう事を知った時の驚きを、
ぼくは何度か体験した。

呆けた生き方をしている人間は、
何で着飾ろうとも、
何の小理屈をこねようとも、
すべて世間にさらしているのと同然である。

それはそれは怖いものだ。

とりあえずこの小説を読み、
次は映画でも見ようか。

それよりまず歌の練習か。

母の日が近い。


●といいながら、空から一万円札が降ってこないかなぁと考えている●エレベーターに乗るペンギンさんを見た。扉が開いて閉まる数秒のことだった。

2009年5月8日金曜日

生還

脳卒中から復活した脳科学者のドキュメントを見る。
以前見逃したやつの再放送だ。

意識と脳の関係を知るうえで、
またとない症例だ。
本はベストセラーだそうだ。

一命を取り止め、
意識が戻った時、
自分の体が溶けて世界と混じり合ったように感じたといい、
その一体感を「涅槃」と表現していたのに驚いた。
とても幸せな感覚だったという。

まず臨死体験と似ていると思った。
あるいはLSD体験者の話。

死の瞬間、
脳にある種の作用が起きて、
幸福感に包まれるのだとしたら、
それは素敵なことだ。

科学的な見地からは、
彼女は脳の左側に卒中が起きたので、
左脳が司る、
理性や時間感覚が失われたと推定されている。

相対的に脳の右側の感覚、
つまり芸術的部分が鋭敏になって、
それはリハビリ後の今でも続いているそうだ。
外を散歩していて風が体に当たると、
風の源とつながったような感じがすると言っていた。
脳は不思議なことだらけだ。

とはいうものの、
趣味のステンドグラスは、
そんなに芸術的には見えなかったのはご愛敬か。

それよりも脳卒中患者にとって、
彼女の存在が生きる励みになっているそうで、
それはとても貴重な事だ。

ぼくもある意味、
奈落から生還したような人生だから、
別に大したことができなくても、
今こうして生きている事自体が、
他人に励みになるような、
そんな存在にならねばと感じた。

きっとぼくの使命だ。

●小型連休が明け、休みボケからの復活には少々時間がかかりそうだ●天気予報外れまくってませんか?いつになったらお出かけ日和になるのだろう。今日も裏切られた。

遺志

30日は親父の13回忌だ。 あーそんなになるのか、 と言うのが率直な感想。 親父が亡くなる直前、 僕は酒を辞めた。 復職して最初のボーナスが出た日、 入院していた病院に行って報告した。 もう親父はかなり弱っていて、 ほとんど喋れなかった。 でも...