この連休を利用して、
フランス語の集中講座に通ったという友人のブログを見て、
しばし唖然とした。
なんと前向きな生き方よ。
新型インフルにかこつけて、
小型連休のまる2日を家に閉じこもっていた自分は何だったのか!
たとえ家にいたとしても、
部屋の片付けをするとか、
誰かに手紙を書くとか、
有意義な過ごし方もあろうものを、
ただ無様に昼過ぎまで惰眠をむさぼり、
ひげも剃らずにボーっとしていたのだ。
同年代の人が社会で活躍している。
例えば作家の磯崎憲一郎などがそうで、
一昨年「肝心の子供」という処女作が文藝賞をとり、
昨年は「眼と太陽」が芥川賞候補になった。
驚くべきことは、
彼がれっきとした会社員だということである。
少し刺激を受けようと、
新作「終の住処」が掲載された新潮を買った。
最早焦っても仕方ないと分かっていながら、
そうせざるを得ない自分がいる。
今日の読売新聞の五郎ワールドに、
『天に「見る眼・聴く耳」』と見出し。
著名人の母にまつわる話だが、
なかなか読ませる。
人の行いは良い事も悪いこともみな、
天が知っているという意味だ。
天=母とも言える。
母親とは恐ろしいほどに、
子供のことは何でも知っている。
いや母でなくとも、
人は、
自分のことなど誰も分かってないと思っていても、
意外なほどに誰もが自分を分かっているのである。
自分以上に他人の方が自分を理解している。
そういう事を知った時の驚きを、
ぼくは何度か体験した。
呆けた生き方をしている人間は、
何で着飾ろうとも、
何の小理屈をこねようとも、
すべて世間にさらしているのと同然である。
それはそれは怖いものだ。
とりあえずこの小説を読み、
次は映画でも見ようか。
それよりまず歌の練習か。
母の日が近い。
●といいながら、空から一万円札が降ってこないかなぁと考えている●エレベーターに乗るペンギンさんを見た。扉が開いて閉まる数秒のことだった。
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