2010年12月28日火曜日

螺旋

インフィニティ・ブレードのことを、
「ボスキャラを倒しちゃったので面白くない」、
みたいに書いたのはぼくの早とちりだった。

確かにボスキャラを倒し、
物語は1度終わった。

エンドロールも流れた。

しかし、
ゲームはそんなことはなかったかのように、
再び振り出しに戻り、
おのおのの敵キャラがさらに強くなって待ち構えていた。

それまでにも、
何回かボスキャラにやられ、
振り出しに戻るたびに、
敵キャラは強くなった。

でも、
ボスキャラを倒してなお、
敵キャラは強くなり、
そしてあろうことか、
ボスキャラまで強くなっていた。

それも、
とんでもなく。

具体的にいうと、
ぼくの強さのレベルが35だとして、
最初に倒したボスキャラは50だったのに、
今度は100になってる、
みたいな。

なるほど、
このボスを倒すには、
まだまだ強力な武器や呪文を入手せねばならん。

そして、
再びボスキャラを倒しても、
ゲームはしらっと振り出しに戻って、
また敵全員が強くなっているのかもしれない。

つまりこのゲームは、
ボスキャラを倒すっていう物語は単なる「演出」で、
本質は、
延々と強くなっていく敵を、
こちらも強くなって倒し続ける、
無限スパイラル構造になっているわけだ。

不毛に思いながらも、
じゃぁ、
その螺旋の果てには何があるのか、
見たくなるのが人情ってもんで、
きっちり相手の思惑にはまっているのであった、、、

●今日も、空き時間はずっとやっていた。そんなことしている場合か?オレ●ペンギン様方、本年もお世話になりました。来年もよろしくお願いします。

2010年12月27日月曜日

漫才

インフィニティ・ブレード、
熱中してたらボスキャラ倒しちゃった。

え?

これで終わり?

レベルも全然低いままだし、
まだ入手してないアイテムもいっぱいあるのに、、、

途端にゲームへの意欲が半減した。

続ける意味を無くすと、
結構むなしいもんだな。

ところで、
今年もM-1を録画で見た。

しかし、
何で終わっちゃうんだろう?

こういうものは続けていかないと、
歴代チャンピオンの値打ちがあせるじゃないか。

元来K-1のパクリみたいな企画だから、
どうでもよかったのかなぁ?

そのせいか、
何となく例年より熱気に欠けたように感じたのは、
ぼくの勝手な思い込みだろうか?

最後の最後に「笑い飯」がチャンピオンってのも、
いかにも予定調和的で、
作り手のやる気のなさを与えてしまった。

それはそれとして、
漫才も進化してるんだということを、
この番組には教えられた。

話で「笑い」をとるというのは、
元来とても高度に知的な作業だと思うのだが、
「笑い飯」にしても、
昨年チャンピオンの「パンクブーブー」にしても、
最先端のネタは芸術的にすごい。

でも、
そんな知的な笑いじゃなくて、
他愛ない「どつき漫才」なんかも、
こどものころは大好きだった。

イマドキははやらないけど。

そういえば、
先日正司敏江・玲児の玲児さんが亡くなったな。

面白かったなぁ。










人生幸朗・生恵幸子の「ぼやき漫才」も忘れがたい。










M-1終わらせるとは、
「責任者出て来い!」

2010年12月26日日曜日

内心

出会いは偶然だが、別れは意志だ

昨日読売新聞の夕刊を読んでいたら、
作家・山本一力がそう書いている。

なるほど。

ぼくもこれまで、
多くの人と偶然出会い、
自分の、
あるいは相手の、
または双方の意志で別れを繰り返してきた。

そういう意味で、
この言葉にはひどく納得するのだが、
「果たして本当にそうだろうか?」とも思う。

ある人に「会いたい」と願い続ければ、
いつか本当に会える。

そんな気もする。

一方、
死別を除けば、
確かに別れは意志だろう。

ということは、
偶然である出会いだって、
結局、
過去のだれかの意志による別れの結果だと捉えれば、
出会いもまた、
「自分の」ではないにせよ意志によるものなのかもしれない。

何よりも、
ぼくの意志による別れが、
誰かと誰かの出会いにつながったということを、
ぼくはよく知っているではないか。

クリスマス。

これまで別れた数多の人の幸せを思い、
寒空の中、
会社に向かう。

コンビニの前で、
サンタの扮装をした女の子が、
クリスマスケーキを売っている。

つい買ってしまうオヤジが一人。

「ありがとうございます」

その笑顔に内心、
でへへ。

仕事の合間にみんなで食べる。

「さぁもうひと仕事」っていう時、
うち一人が、
「素敵な時間をありがとうございました」と言ってくれた。

でへへ

オヤジ心も、
たまにはいいもんだ。

●携帯は修理に出すことに。古い携帯で越年となった。

2010年12月25日土曜日

出演

不二家に勤める友人から、
「きょうラジオに出演」するとメール。

そうか、
イブだもんね。

是非聞かねばと思ったのだが、
今日は生憎夕方から仕事だ。

まぁ会社でこっそり聞こうと思ったのだが、
出社してみてラジオがないことに気づいた。

最近はPCでもラジオは聞けるが民放だけ。

友人が出るのはNHKなのである。

仕方ないから、
コンビニに行ってラジオを買うことにする。

イマドキ、
1000円ぐらいであるだろう。

と高をくくったのが甘かった。

会社近くの3軒を回ったが、
どこにもラジオはない。

仕方ないから、
ちょっと足を伸ばして大きめの文具屋にまで行った。

「ラジオっておいてないですか?」

とたずねるぼくに、
店員は「ありません」と即答。

はぁ、、、

そうこうしているうちに、
友人の出演時間は過ぎてしまった。

友人の声は電波となって、
ぼくの体を通過しているはずなのに、
聞けないなんて、、、

冬の夜空にため息ついた。

●次はテレビに出てくれ●帰宅して「明石家サンタ」を録画で見る。録画までして見るものかどうかはしらないけど、ぼくの中では恒例行事になりつつある。そんな自分がちょっと寂しかった。でも面白かった●なんと、突然携帯の電源が入らなくなった!落としたショックで故障かも、、、とりあえず前の機種にカード差し替えて、電話は使えるけど。一難去ってまた、、、である。

2010年12月24日金曜日

一斉

平井堅デビュー15周年コンサートに行った。

マイ初「京セラドーム」。

夕闇に現れた姿は、
写真で知っていたにもかかわらず、
「でかっ」て感じ。

UFOの母船が地球に着陸したら、
きっとこんな感じなんだろうなって、
妙に感動した。

肝心のコンサートだが、
やっぱり彼は歌上手いわ。

だからというか、
エレキ系のバンドが入って歌うより、
アコギだけとか、
ピアノだけとか、
アンプラグド的な時の方が、
圧倒的によかった。

たぶん、
アカペラでも2時間持つと思う。

裏を返せば、
バンド入れてPAでガシャガシャやれば、
少々下手な歌手でも、
なんとか誤魔化せるんだろうな。

15周年ということで、
山車に乗って会場をグルッと回ったり、
クレーンでグワーンって上がったりする演出は、
特別にショーアップしたらしいが、
38歳の彼としては相当疲れた様子。

「ジャニーズのすごさを実感しました」って持ち上げといて、
「でもぼくは(実際に)歌ってますから」って、
暗にジャニーズは口パクだってからかってた。

そうそう、
途中で、
バーカウンターのセットで椅子に座り、
「伊藤園の、おーいお酒」って、
思いっきり海老蔵をからかってもいた。

意外にシニカルなんだなぁ。

それよりも何よりも、
会場に入る時ペンライトを渡された。

同封の紙には、
「新曲アイシテルのときに振って15周年を祝ってやってください」、
って書かれてる。

コンサートの半ばで、
いきなり「アイシテル~♪」って歌詞が耳に入って、
「あっここか~」って思ったら、
会場の3万5千人が一斉にオレンジのペンライト振り出して、
あまりの一斉さに見とれたよ。

http://www.youtube.com/watch?v=zv57V9_Qw54

しかし何ですな、
あの歌声で3万千人呼んじゃうんだもの。

平井堅、
すごいもんだ。

●ちなみにペンライト、ぼくは振りませんでしたよ。っていうか振れませんでした。スイマセン。

2010年12月23日木曜日

尻目

クリスマスも年末年始も、
あんまり関係のない身ではあるけれど、
この時期、
ひとつだけやらなければならないことがある。

年賀状用の写真撮影だ。

去年と今年は、
あんまりそのことを気にしないでも、
なんとなく気になる景色を撮影したやつを使った。

だけど来年用は、
まだ用意できていない。

残すところ1週間あまりとなり、
少しばかり焦りもある。

でも、
しょうがないんだよね。
撮れないものは撮れない。

たぶん自分の心の問題なんだと思う。

何気ない景色が琴線に触れる、
そんなセンシティブな生活を、
ここのところしていないのだ、
きっと。

いろいろと浮かれすぎなのかもしれない。

この時期ぐらい、
バタつく世間を尻目に、
ひとり心の奥に沈殿して、
心揺らす「何か」を待つことにしよう。

それでも駄目なら、
越年だ(笑)

●でも実際、昨年の写真は元日に撮ったものだった。当初は、毎年元日の景色を撮って、それから賀状を作ろうと決めていたのだ。あぁ、そう考えると、ちょっとホッとしてきた。

2010年12月22日水曜日

石塊

インフィニティブレードは相変わらず飽きない。

RPGにハマルなんて、
バイオハザード以来かも。

そんな具合だから、
ゲームについてどうのこうの言う資格はゼロなんだけど、
今回インフィニティをやっていて改めて気づくのは、
「作り手の親切」ってこと。

ご承知の通り、
RPGはストーリーに沿ってゲームを進める。

途中、
戦闘やら試練があって、
それをくぐりぬける度に経験値がアップしたり、
武器や防具が買えたり、
魔法が使えるようになっていったりする。

ある一定以上の実力にならないと、
絶対に通過できない関門があって、
そこで主人公は死んで、
振り出しに戻る。

しかし、
振り出しといっても、
経験値とかは引き継がれるから、
同じ敵でも今度は前回より簡単に倒せる。

そうして何回か振り出しに戻るうちに、
いやが上にも実力は高まり、
時間の長短こそあれ、
続けてさえいれば、
必ず関門を突破できるようになっている。

このあたり、
実際の人生にも確かに当てはまるところがあって、
ある意味ゲームに教えられるところも多い。

しかし、
ゲームと違って実人生では、
絶対に必要なアイテムも手に入れないまま、
先のレベルに行ってしまったり、
逆に十分な実力があるのに、
先への入り口がわからないまま右往左往したりすることがある。

ゲームのように親切ではないのだ(当たり前だけど)。

自分がどの程度の実力があるのか。

今どのレベルにいて、
この先どこへ進めばいいのか。

実人生は何も教えてくれない。

しかも、
ゲームのように、
振り出しに戻ってやり直すことさえできない。

必要な武器も防具も魔法もないまま、
途方に暮れ、
運の悪さを呪い、
誰かのせいにし、
自己嫌悪に陥る。

そんな日々がかつて、
ぼくにもあったよ。

でもそんな時は自分に言い聞かせる。

きっとゲームと同じだ。

繰り返していればきっと出口がある。

ただ諦めさえしなければ。

ただ投げ出しさえしなければ。

武器や防具はなくても、
経験値だけでも次のステージに行ってやるって。

今、FM802にSIONが出てしゃべってる。
「石塊(いしくれ)のプライド」がどうのこうのとしゃべってる、、、

遺志

30日は親父の13回忌だ。 あーそんなになるのか、 と言うのが率直な感想。 親父が亡くなる直前、 僕は酒を辞めた。 復職して最初のボーナスが出た日、 入院していた病院に行って報告した。 もう親父はかなり弱っていて、 ほとんど喋れなかった。 でも...