2011年1月4日火曜日

健気

年末に故障した携帯の修理が終わり、
今日、
会社から帰宅する途中に受け取った。

内部の部品と同時に、
ケースも交換されていて、
まるで新品になったようだ。














この携帯は、
買い替えてまだ1年に満たないのだけど、
すでに紛失と故障を1度ずつ経験した。

実のところ、
間もなく発売される新機種に魅力を感じていたのだが、
立て続けの災難にもめげず、
ぼくのもとに戻ってくるこの携帯が、
何だか健気に思えてきた。

やっぱ、
買いかえるのはよそうかなぁ?

それから、
帰宅してテレビを見ていたら、
誰とはいわないけれど、
てっきり亡くなっていたと思っていた人が出ていて、
再放送かと思ったらそうではなく、
調べてみたら、
しっかり御存命だった。


単なる勘違いというのではなく、
ぼくの中では新聞で死亡記事を読んだ記憶があっただけに、
軽い目まいを覚えた。


あれは夢だったのか、、、


先に死ぬのは、
こっちかもしれない。


新聞には絶対載らないけど。

2011年1月3日月曜日

若造

年末は世間並みに休んだが、
仕事始めは一足早く今日から。

普段でも、
休日に出勤するときは、
梅田界隈の雰囲気がノンビリムードで、
何よりも人の歩く速度が遅くて、
出勤モードのぼくは少しイラつく。

3が日ともなると尚更の休日モードだったのだが、
意外にも何とも思わなかったのは、
きっとぼくがまだドップリ休日モードだからだろう。

職場についても、
どことなく正月ムードが漂っていて、
ぼくも新しい手帳に名前などを書き込んでみる。

そこでふと目に入ったのが、
手帳の後ろの方にある「干支入年齢早見表」。

たとえば明治元年の人は、
今年何歳なのか(なるのか)が、
ひと目でわかるよくあある一覧表だ。

それを見てちょとショックを受けた。

表は縦に三分割されていて、
左上から横書きで書かれているのだが、
ぼくの生まれた年は、
すでに表の真ん中の欄の、
中央付近に来ているではないか!

ちなみに先頭(左上)は、
明治44年生まれで、
最後尾(右下)は平成23年になっている。

つまり、
0歳から100歳までをカバーしているわけだ。

だから中央の欄の真ん中辺にぼくの生まれ年があるのは、
当たり前といえば当たり前なのだが、
長年こんな表を見てなかったので、
なんとなく、
自分の生まれ年は一番右側の欄にあると思い込んでいた。

もはや一番右側の欄の一番上は、
昭和56年生まれ(30歳)になっている。

いや、
いかんいかん。

ぼくは、
自分の年齢を45歳でストップさせたはずではなかったか!

そうそう。

だからぼくは昭和45年生まれの馬年なんだな。

などと思い直す。

しかしながら、
100歳以上の人が3万人を超える今、
表の上限が100歳っていうのは、
ちょっといかがなもんだろう?

例えば明治40年生まれの人が、
「わし何歳だったかいな」と思って表を見ても、
「わしの生まれ年がな、ない!」ってショックを受けやしまいか。

むしろ表にないほど長生きしていることを誇らしく思うのか。

というか、
その年齢になれば、
自分の年齢のことなんか気にしないだろって、
一人で突っ込む。

結局、
自分の年齢についてごちゃごちゃ書いているぼくは、
まだまだ若造だと悟った次第。

2011年1月2日日曜日

直視

2011年元日は何事もなく、
というか何事もせず、
思いっきりダラダラ過ごした。

なんか、
この正月休み、
ダラダラ以外なにもしなかったような、
というか、
しなかった。

とはいうものの、
生きている以上、
こんな一日でも感情の起伏は当然ある。

朝、
届いた賀状に目を通す。

たかが賀状なれど、
人となりとか、
生活の変化とかが、
何となく伝わってくるから面白い。

昼、
おせち料理を母とつつきながら、
互いに健康でこの日を迎えられたことを、
素直によかったと思う。

午後、
姉一家が再び短時間ではあるが来てくれ、
カウントダウンなどで姪が見れなかったという紅白を、
録画でささっと流して見る。

下の姪にお年玉をあげるのも、
今回を入れてあと2回だ。

別に社会人になってからもあげたって、
全然構わないんだけど、
一応線引きということで。

でも、
彼女にあげなくなったら、
もう当分あげる子どもは周囲にいないんだよなぁ。

ま、
すぐに彼女らが子どもを連れて来る日が来るだろうが。

夜はイチローのロングインタビューを見た。

37歳にして「語録」が出版される彼の話は、
いつも刺激的だ。

今回印象的だったのは、
「死に顔は他人に見られたくない」ということだった。

唐突だからわかりにくと思うけど、
要するに彼は、
心身ともに自分で自分をコントロールできないことが、
我慢ならないんだと思う。

インタビュー相手の糸井重里が、
「一流のダンサーは鏡を見ない」とも言っていた。

イチローも鏡を見てフォームをチェックなんてしないんだって。

ダンサーにせよイチローにせよ、
鏡で見なくても、
自分がどう動いているかわかるし、
第一鏡像は左右反対だから、
かえって混乱のもとになるようだ。

そりゃ死に顔は、
自分じゃどうしようもないもんな。
しかし37歳でそこ考えるか。

さらに興味深かったのは、
イチローが以前ドラマに出演するのを決心したのは、
そういうこと、
つまり、
演技はともかく、
動きに関して、
自分が思っている「以下」に、
自分なることはないという自信があったからなんだって!

世の中のほとんどの人は、
自分は「こんな感じ」だと錯覚して、
それを糧に生きている。

ぼくは街中で、
お洒落をしているんだけど「イマイチ」だと思う人を見て、
あーこの人はきっと自分はこんな感じだと思っているんだろうなって、
時々想像してみる。

想像と現実のズレを直視するのは、
それこそ想像以上に困難で、
時に残酷だ。

でも、
そこを乗り越えて、
自分という「他人」を自分の思い通りに動かすことの出来る人が、
イチローのような超一流になる条件なのだろう。

なりたい自分を想像すること。

遅まきながら、
そこから始めようかなぁ。。。

●ダラダラしながら、結構考えてんじゃん、オレ(笑)

2011年1月1日土曜日

王道

久し振りに大晦日が休みとなり、
予定通りだらだら過ごした。

夕飯も風呂も早めにすませ、
紅白を最初から最後まで、
ソファでごろ寝鑑賞。

こんなにじっくり見るのは数年ぶり。

だからかもしれないけど、
なんか紅白の緊迫感が薄れた、
というか、
段取り悪い感じな場面がいくつかあった。
(倖田來未の衣装早変わりの場面や、
さかなクンの扱いetc)

民放ならなんとも思わないのだけど、
この番組は、
「天下のNHK」が総力を挙げる番組だと認識しているので、
細かいタイミングの悪さでも気になる。

この番組が今後も生き残るとすれば、
完璧な進行がもたらす緊迫感が、
必要不可欠だと思うのだが。。。

内容はそれなり。

でも、
SMAPが大トリっていうのはいかがか?

どんな曲でも最後むりやり「じゃーん」って終わるんが、
紅白らしいと思うのであるが。。。

4時間、
ノーミスの緊迫感があるから、
最後の「じゃーん」に感動があって、
その感動があるから、
「ゆく年くる年」の静寂が染み入る。

それこそ、
ぼく的には大晦日の夜の王道なのであるが、、、

そんなことを思いながら、
近所の神社へ初詣。














昨年、
一昨年は残り火だった焚火が、
今年は煌々としてて嬉しい。

それからこの神社、
今年本殿が建て替えられた。

新しい本殿に向かい、
パンパンとお参り。

また少し、
いい歌が歌えるようにと、
お願いしといた。

●桑田はただのゲストだと思っていたら、ちゃんと2曲も歌ってた。感激。特に最初の「それ行けベイビー‼」は歌詞がまんま彼の心境かな?●ということで、本年もよろしくお願いします。

2010年12月31日金曜日

杞憂

姉一家4人がやってきた。

年に1度の行事である。

ぼく以外、
みんなが本当に忙しいらしく、
年末の30日、
ピンポイントで予定を調整したらしい。

昼食にステーキを外食し、
オヤジの墓参りをして、
帰宅してケーキを食べ、
記念撮影してわちゃわちゃしゃべり、
夕食に寿司をつまみ、
レコ大を見ながらわちゃわちゃし、
最後は大貧民をやってお開き。

たった1日だからね、
あれこれ考えるより、
肩の力を抜いて、
ただただ笑ってたよ。

たった1日だからこそ、
みんなが互いを大切にして、
気遣って、
笑いあって。

この年齢になると、
いろいろ姪たちに「言い残して」おきたいこともあるけど、
もういいや。

気づいたら二人とも、
立派な成人になってた。

何も心配することはなかった。

親は無くとも子は育つというではないか。
叔父なんか尚更で当然ではないか。

むしろ心配なのは、
ぼくの方だった。

あ~あ(笑)

●というわけで、読者のみなさま、今年も拙ブログにお付き合いありがとうございました。よいお年をお迎えくださ~い♪

2010年12月30日木曜日

見栄

まだ仕事納め前のある日、
大阪駅に臨時の年賀状売り場ができていて、
立ち寄った。

別にかわいいお姉さんがいたから、
というわけではないのだが、
咄嗟に思いついたので、
何枚買うか全然考えてなかった。

思わず口をついたのが「50枚」。

見栄であった。

考えてみれば、
例年その半分も出してないんだよな。

あ~あ。

残りの20数枚のうち、
何枚かは印刷で絶対に失敗するとして、
それでも20枚ぐらいは、
今のところ配達先がない。

このうち数枚は、
2月1日の「もといちの日」に配るとして、
それでも10枚は残るだろう。

そういえば、
今年のも昨年のも、
10枚ほどまだ手元にある。

例年、
同じような経過をたどって、
投函されることなくぼくの手元にとどまっているのだ。

見栄の10枚。

でも、
それも悪くない。

「新作」を作る参考になるし、
何より、
それらを作っていたころの気分を思い出せる。

んなことを考えながらも、
新作の年賀状が一応完成した。

遠方の人の分だけ、
さっきようやく投函できた。

2010年12月29日水曜日

方便

マイ仕事納めだった。

日ごろ、
世間とは全く異なるスケジュールで生きているので、
こんなにピッタリ世間と呼吸が合うと、
気持ち悪くなってくる(笑)

昨年も、
一昨年も、
大晦日まで仕事で、
紅白歌合戦は会社でチラ見だった。

今年は自宅でテレビ鑑賞、
そして近所の神社に初詣と、
滞りなく済ませそうだ。

ところで。

先日、
食事をしていると母が、
「これ、食べるラー油やねんて」と、
小瓶を差し出す。

近所に住む姉の差し入れとのこと。

「ふーん」とぼくは相槌を打ったものの、
それ以上何の興味も沸かなかった。

自他ともに認める「新しい物好き」だけど、
不思議なほどその時は、
味見してみようとさえ思わなかった。

すると翌日、
普段かかってくることのほとんどないぼくの携帯に、
姉から電話だ。

「ちょっとぉ、必死で買ってんから食べてよぉ~」

母経由で僕が無関心だったことが伝わったようだ。

(そんなことで電話してくるかぁ)

内心そう思いつつ、
「あっ、そう。悪い悪い。うん、是非食べてみるわ」
とりあえず当たり障りのない返事をしておく。

翌日の昼食時。

改めて小瓶を見る。

桃屋?

食べるラー油が今年のメガヒットだということは、
さすがに知っていたけど、
まさか桃屋の商品だったのか。

桃屋の商品が、
品薄になるほどのヒットになるのか?

そういえば、
米からパンが焼けるホームベーカリー「ゴパン」も、
店頭から消えて予約も受け付けられないなんてニュースが、
新聞に載ってたっけ。

品薄→購買意欲→ヒット

こんな簡単な図式が、
意図的なものとは思えぬが、
案外、
案外である。

だって、
食べるラー油、
美味しくないとは言わないけれど、
めっちゃ美味しいとも言えなかったんだもの。

勿論、
姉には「美味しかった」とメールしときましたが。。。

平井堅も先日のライブで言ってた。

「食べるラー油って、そんなに美味いか?」

遺志

30日は親父の13回忌だ。 あーそんなになるのか、 と言うのが率直な感想。 親父が亡くなる直前、 僕は酒を辞めた。 復職して最初のボーナスが出た日、 入院していた病院に行って報告した。 もう親父はかなり弱っていて、 ほとんど喋れなかった。 でも...