2011年元日は何事もなく、
というか何事もせず、
思いっきりダラダラ過ごした。
なんか、
この正月休み、
ダラダラ以外なにもしなかったような、
というか、
しなかった。
とはいうものの、
生きている以上、
こんな一日でも感情の起伏は当然ある。
朝、
届いた賀状に目を通す。
たかが賀状なれど、
人となりとか、
生活の変化とかが、
何となく伝わってくるから面白い。
昼、
おせち料理を母とつつきながら、
互いに健康でこの日を迎えられたことを、
素直によかったと思う。
午後、
姉一家が再び短時間ではあるが来てくれ、
カウントダウンなどで姪が見れなかったという紅白を、
録画でささっと流して見る。
下の姪にお年玉をあげるのも、
今回を入れてあと2回だ。
別に社会人になってからもあげたって、
全然構わないんだけど、
一応線引きということで。
でも、
彼女にあげなくなったら、
もう当分あげる子どもは周囲にいないんだよなぁ。
ま、
すぐに彼女らが子どもを連れて来る日が来るだろうが。
夜はイチローのロングインタビューを見た。
37歳にして「語録」が出版される彼の話は、
いつも刺激的だ。
今回印象的だったのは、
「死に顔は他人に見られたくない」ということだった。
唐突だからわかりにくと思うけど、
要するに彼は、
心身ともに自分で自分をコントロールできないことが、
我慢ならないんだと思う。
インタビュー相手の糸井重里が、
「一流のダンサーは鏡を見ない」とも言っていた。
イチローも鏡を見てフォームをチェックなんてしないんだって。
ダンサーにせよイチローにせよ、
鏡で見なくても、
自分がどう動いているかわかるし、
第一鏡像は左右反対だから、
かえって混乱のもとになるようだ。
そりゃ死に顔は、
自分じゃどうしようもないもんな。
しかし37歳でそこ考えるか。
さらに興味深かったのは、
イチローが以前ドラマに出演するのを決心したのは、
そういうこと、
つまり、
演技はともかく、
動きに関して、
自分が思っている「以下」に、
自分なることはないという自信があったからなんだって!
世の中のほとんどの人は、
自分は「こんな感じ」だと錯覚して、
それを糧に生きている。
ぼくは街中で、
お洒落をしているんだけど「イマイチ」だと思う人を見て、
あーこの人はきっと自分はこんな感じだと思っているんだろうなって、
時々想像してみる。
想像と現実のズレを直視するのは、
それこそ想像以上に困難で、
時に残酷だ。
でも、
そこを乗り越えて、
自分という「他人」を自分の思い通りに動かすことの出来る人が、
イチローのような超一流になる条件なのだろう。
なりたい自分を想像すること。
遅まきながら、
そこから始めようかなぁ。。。
●ダラダラしながら、結構考えてんじゃん、オレ(笑)
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