2011年1月2日日曜日

直視

2011年元日は何事もなく、
というか何事もせず、
思いっきりダラダラ過ごした。

なんか、
この正月休み、
ダラダラ以外なにもしなかったような、
というか、
しなかった。

とはいうものの、
生きている以上、
こんな一日でも感情の起伏は当然ある。

朝、
届いた賀状に目を通す。

たかが賀状なれど、
人となりとか、
生活の変化とかが、
何となく伝わってくるから面白い。

昼、
おせち料理を母とつつきながら、
互いに健康でこの日を迎えられたことを、
素直によかったと思う。

午後、
姉一家が再び短時間ではあるが来てくれ、
カウントダウンなどで姪が見れなかったという紅白を、
録画でささっと流して見る。

下の姪にお年玉をあげるのも、
今回を入れてあと2回だ。

別に社会人になってからもあげたって、
全然構わないんだけど、
一応線引きということで。

でも、
彼女にあげなくなったら、
もう当分あげる子どもは周囲にいないんだよなぁ。

ま、
すぐに彼女らが子どもを連れて来る日が来るだろうが。

夜はイチローのロングインタビューを見た。

37歳にして「語録」が出版される彼の話は、
いつも刺激的だ。

今回印象的だったのは、
「死に顔は他人に見られたくない」ということだった。

唐突だからわかりにくと思うけど、
要するに彼は、
心身ともに自分で自分をコントロールできないことが、
我慢ならないんだと思う。

インタビュー相手の糸井重里が、
「一流のダンサーは鏡を見ない」とも言っていた。

イチローも鏡を見てフォームをチェックなんてしないんだって。

ダンサーにせよイチローにせよ、
鏡で見なくても、
自分がどう動いているかわかるし、
第一鏡像は左右反対だから、
かえって混乱のもとになるようだ。

そりゃ死に顔は、
自分じゃどうしようもないもんな。
しかし37歳でそこ考えるか。

さらに興味深かったのは、
イチローが以前ドラマに出演するのを決心したのは、
そういうこと、
つまり、
演技はともかく、
動きに関して、
自分が思っている「以下」に、
自分なることはないという自信があったからなんだって!

世の中のほとんどの人は、
自分は「こんな感じ」だと錯覚して、
それを糧に生きている。

ぼくは街中で、
お洒落をしているんだけど「イマイチ」だと思う人を見て、
あーこの人はきっと自分はこんな感じだと思っているんだろうなって、
時々想像してみる。

想像と現実のズレを直視するのは、
それこそ想像以上に困難で、
時に残酷だ。

でも、
そこを乗り越えて、
自分という「他人」を自分の思い通りに動かすことの出来る人が、
イチローのような超一流になる条件なのだろう。

なりたい自分を想像すること。

遅まきながら、
そこから始めようかなぁ。。。

●ダラダラしながら、結構考えてんじゃん、オレ(笑)

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