2011年1月3日月曜日

若造

年末は世間並みに休んだが、
仕事始めは一足早く今日から。

普段でも、
休日に出勤するときは、
梅田界隈の雰囲気がノンビリムードで、
何よりも人の歩く速度が遅くて、
出勤モードのぼくは少しイラつく。

3が日ともなると尚更の休日モードだったのだが、
意外にも何とも思わなかったのは、
きっとぼくがまだドップリ休日モードだからだろう。

職場についても、
どことなく正月ムードが漂っていて、
ぼくも新しい手帳に名前などを書き込んでみる。

そこでふと目に入ったのが、
手帳の後ろの方にある「干支入年齢早見表」。

たとえば明治元年の人は、
今年何歳なのか(なるのか)が、
ひと目でわかるよくあある一覧表だ。

それを見てちょとショックを受けた。

表は縦に三分割されていて、
左上から横書きで書かれているのだが、
ぼくの生まれた年は、
すでに表の真ん中の欄の、
中央付近に来ているではないか!

ちなみに先頭(左上)は、
明治44年生まれで、
最後尾(右下)は平成23年になっている。

つまり、
0歳から100歳までをカバーしているわけだ。

だから中央の欄の真ん中辺にぼくの生まれ年があるのは、
当たり前といえば当たり前なのだが、
長年こんな表を見てなかったので、
なんとなく、
自分の生まれ年は一番右側の欄にあると思い込んでいた。

もはや一番右側の欄の一番上は、
昭和56年生まれ(30歳)になっている。

いや、
いかんいかん。

ぼくは、
自分の年齢を45歳でストップさせたはずではなかったか!

そうそう。

だからぼくは昭和45年生まれの馬年なんだな。

などと思い直す。

しかしながら、
100歳以上の人が3万人を超える今、
表の上限が100歳っていうのは、
ちょっといかがなもんだろう?

例えば明治40年生まれの人が、
「わし何歳だったかいな」と思って表を見ても、
「わしの生まれ年がな、ない!」ってショックを受けやしまいか。

むしろ表にないほど長生きしていることを誇らしく思うのか。

というか、
その年齢になれば、
自分の年齢のことなんか気にしないだろって、
一人で突っ込む。

結局、
自分の年齢についてごちゃごちゃ書いているぼくは、
まだまだ若造だと悟った次第。

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