2014年4月13日日曜日

手本

子どもの書道を習っていた。

教室は竹やぶに囲まれた、
平屋の古民家みたいで、
外壁は真っ黒。

建物の中に入ると、
墨の匂いがして、
あの匂いはいまだに忘れられない。

その先生は、
当時のぼくにはおじいさんに見えたけど、
実際は40歳代ぐらいだったかもしれないが、
名前でググってもヒットしない。

単に名前を覚え間違っているだけかもしれない。

たぶんぼくのことだからそうなのだろう。

いやそれで本題なんだけど、
教室では子どもごとにお手本が配られて、
それを真似て書くわけ。

中には、
半紙の下にお手本を敷いて、
上からなぞるようにする、
悪知恵の働く子もいた。

ぼくではない。

でも、
そうやって「ズル」した子は、
先生が一発で見破った。

今思えば当たり前かもしれないけど、
子どものぼくには、
千里眼のように思えた。

「ズル」と書いたけれど、
今思えば、
そういう学び方もアリなのではないかとも思うけど。

さて。

仕事では、
ぼくは手本にはなれない。

ぼくの真似をしろとも思わない。

基本が大事だと、
最近では口酸っぱく言うんだけど、
当のぼくは若い頃、
基本なんて全然重視してなかった。

いつもトリッキーで、
人が驚くようなことばかりする、
出来の悪い馬鹿だった。

だから、
今ぼくが「基本を大事に」としかる若い人の方が、
当時のぼくよりは遥かに基本に忠実だ。

だから、
あまりしかることができない。

昔のぼくより、
はるかに優秀だから。

ただ、
今のぼくからすると、
こうしたい、
ああしたい、
と、
いろんなアイデアが沸いてくるから、
他人の仕事を見ているだけの状況は、
非常にストレスフルだ。

単純に、
オレにやらせろって感じ。

でもそれでは人は育たない。

人なんて、
育てるんじゃなく、
育つものだ。

そんな割り切りも必要かもしれない。


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