2008年9月13日土曜日

堂々巡り

一枚の新聞がある。
朝日新聞のPR版で、
「私の意見」と題して読者10人の文章が掲載されている。

そのうちの一人は、
高校2年生の男の子だ。

1980年9月、
その子はこんな風に書いている。



 悩みごとがあると、「十年後の自分はこのことで悩んでいた自分を思い出して、どう感じるだろう。」と、自問してみる。たいていの場合、軽く笑ってすます程度のことでしかないな、と思っては一種のなぐさめにしてきた。でも、悶々とするその時の真剣さこそが大切なんだ、と思うようになった。今、自分に一番必要で一番欠けているのは、そういう「ひたむきさ」だ。
 自分の人生は自分のものでしかない。一瞬一瞬の積み重ねが長い年月となり、やがて死を迎え、そのとたんに自己という意識まで消えてしまうのだろう。その与えられた時をいかに使いこなすか、それはすべてその人の思いのまま。どこまで自分に正直に「ひたむき」に生きられるかが、人生の目的の一つであり、それは死の瞬間に自ら判断し、それで終わる。
 自分の回りには、「ひたむき」にならせまい、とするものがあまりに多すぎる。「ひたむき」になれば、その犠牲になるものが生まれる。正直に言って、それがこわい。こわいと思うのは、知らず知らず保守的に無難な道を歩もうとしているからだ。そうすることは、与えられた命の無限の可能性を自ら狭めてしまう愚かなことだ。
 わかっている。わかっている。しかし…。
 私は人生の岐路にたちすくんでいる。広がる道は、どれも自分を拒絶しているかのように見える。自分がかわいいのだ。だからこそ、今こわさにうちかつ勇気を持ちたい。
 十年後の自分では、こんなことすら考えなくなってしまうだろうから。


16歳のこの男の子の、
それからの約30年の足どりをたどれば、
確かに無難な道は歩まなかったことが分かる。

かといって、
この子が思い描いていたような、
大人にもならなかった。

相変わらず、
同じようなことで悩んでいる。



●この文章は、西村秀俊という論説委員の提言への返答という形で書かれたものだ。恐らく、いまのぼくと同じぐらいの年齢(であったろう)西村氏の文章は、今のぼくにはどう映るのか。「君たち、大丈夫か」と題されたその提言については次回●福原愛の「スポーツ大陸」。NHKにしては薄味?●普段とっても忙しい人が、わざわざぼくを呼びとめるので、ただ事ではないと思ったら、確かにとっても嬉しい話だった。

0 件のコメント:

コメントを投稿

遺志

30日は親父の13回忌だ。 あーそんなになるのか、 と言うのが率直な感想。 親父が亡くなる直前、 僕は酒を辞めた。 復職して最初のボーナスが出た日、 入院していた病院に行って報告した。 もう親父はかなり弱っていて、 ほとんど喋れなかった。 でも...