小林秀雄といえば、
文芸評論家であり、
日本の知性の代表格だ。
今どき、
評論家という職業、
他人の創造をつまみ食いする、
無責任の輩のイメージもあるけど、
小林は、
批評という行為そのものを創造した。
受験生だった時、
彼の「近代絵画」を、
喫茶店で一語一語かみしめるように読んだ時の、
不思議な感触は、
今でもぼくの中に残っている。
一読難解な文章なんだけど、
本当にスローモーションのように、
ゆーくりと読んでいくと、
それまでぼくの頭にはなかった、
ものの考え方がボワッと浮かんできたのだ。
読書体験とはこういうものかと、
その時思ったものだ。
その小林の講演テープが残されている。
茂木健一郎が絶賛していたので、
関心があったのだが、
最近、
その一部をようやく聞くことができた。
「信ずることと考えること」
と題され、
昭和49年8月、
鹿児島県霧島で行われたものだ。
話はユリ・ゲラーのスプーン曲げから始まる。
つまり、
超能力のあるなしということなのだが、
意外にも、
小林は超能力の存在を、
「んなの当たり前ですよ」という感じで、
当然のごとく受け止める。
話っぷりは、
落語家のように小気味よく、
豪快というより、
最近ぼくがはまっている、
尺八のように枯れた鋭さだ。
そして話は発展していくのだが、
要は、
科学によって説明できるものなど、
この世の中のごく一部であり、
科学的でない=偽ではないということに尽きる。
科学は進歩しても、
人間性は孔子の時代から進歩してないという指摘は、
まさにその通りだ。
ヒトという生き物は、
進歩どころか、
科学によって逆に退化しているのかもしれない。
質疑応答含め約2時間の講演は、
味わい深く、
それこそ名人の落語のように、
オチが分かっていてもなお、
また聞いてみたくなる。
そういえば、
小林が亡くなったのは、
昭和58年3月。
ぼくが一浪して大学受験のため上京していた時だった。
またお世話になります。
●外国の小話だったか、空港でスーツケースの上にじっと座っている人がいて、「大丈夫ですか」と声をかけたところ、その男は「体と荷物はさっき着きました、今は心が着くのを待っているのです」と答えたとか●自民党総裁選。「出来レース」の真によき見本だ●太田さんと赤松さんから、相次いでメールが届いた。気にかけてもらって嬉しい。
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