制服。
中学から高校まで、
ぼくの時代は詰襟だった。
もちろん、
春夏は上着はないけど、
中学の時は帽子もあった。
襟は固くて3、4センチはあったかな。
内側にプラスチックの芯を取り付けるようになっていて、
前はフックで留める。
改造はしなかったけど、
このフックと第一ボタンぐらいまでは、
いつもはずしていたと思う。
小学校までは私服だったから、
制服は、
すこし「大人」になった証に思えたし、
おしゃれに疎いぼくとしては、
毎日着るものを考えずに済むから、
嫌いじゃあなかった。
でも、
そもそも反抗期だから、
校則と同じように、
「こうしなければならない」と言われると、
無条件に「嫌だ」と思う年頃でもあった。
そんな「矛盾」を感じながら、
6年間は過ぎて行った。
いま改めて考えると、
制服はあった方がいいな。
だって制服は決して没個性なのではなく、
中身の、
生の人間の個性を際立たせるものだと思うからだ。
12歳から18歳なんて、
本人はどう思うかは別として、
個性など、
あったとしてもわずかな囁き程度だ。
ぼくらの学校には1000人ぐらい生徒がいたから、
教師がその1000の囁きを聞き分けるには、
生身以外はできるだけ違いがない方がいいのだ。
生身の生徒は、
囁き程度ではあっても、
間違いなく個性を発しているのだから、
ノイズでかき消されては困るのだ。
少なくとも学校にいる時間は。
ところで、
今日の東京カワイイTVは「ゴスロリ」がテーマ。
毒々しい派手さは、
街で見かければ目を引くけど、
2人だろうが100人だろうが、
皆同じに見える。
それでは逆に没個性ではないかとも思ったが、
彼女らはそれなりに、
微細な部分の違いでそれぞれ個性を競っているようだ。
それは昨日の「盛り」も同じだ。
でもぼくの目には、
やっぱりどれも一緒にしか見えない。
だいたい「どれ」って言ってる時点で、
人間扱いしていないことに気づいた。
ファッションって、
元来そういうものかもしれないが、
そこまで外見が没個性なら、
中途半端に個性的なファッションの人より、
意外に会話をすれば、
その人柄が際立つような、
そんな逆説を思った。
ゴスロリの子と話することは、
たぶん一生ないけど。
●おかげで「黒色すみれ」の存在や、海外で「ゴスロリ」が注目されていることなどを知った。前にもこんなこと書いたっけ?●台風13号。中国に天敵でもいるのか?●おやすみなさい。
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