2008年9月18日木曜日

個性

制服。

中学から高校まで、
ぼくの時代は詰襟だった。
もちろん、
春夏は上着はないけど、
中学の時は帽子もあった。

襟は固くて3、4センチはあったかな。
内側にプラスチックの芯を取り付けるようになっていて、
前はフックで留める。

改造はしなかったけど、
このフックと第一ボタンぐらいまでは、
いつもはずしていたと思う。

小学校までは私服だったから、
制服は、
すこし「大人」になった証に思えたし、
おしゃれに疎いぼくとしては、
毎日着るものを考えずに済むから、
嫌いじゃあなかった。

でも、
そもそも反抗期だから、
校則と同じように、
「こうしなければならない」と言われると、
無条件に「嫌だ」と思う年頃でもあった。
そんな「矛盾」を感じながら、
6年間は過ぎて行った。

いま改めて考えると、
制服はあった方がいいな。
だって制服は決して没個性なのではなく、
中身の、
生の人間の個性を際立たせるものだと思うからだ。

12歳から18歳なんて、
本人はどう思うかは別として、
個性など、
あったとしてもわずかな囁き程度だ。
ぼくらの学校には1000人ぐらい生徒がいたから、
教師がその1000の囁きを聞き分けるには、
生身以外はできるだけ違いがない方がいいのだ。

生身の生徒は、
囁き程度ではあっても、
間違いなく個性を発しているのだから、
ノイズでかき消されては困るのだ。
少なくとも学校にいる時間は。

ところで、
今日の東京カワイイTVは「ゴスロリ」がテーマ。
毒々しい派手さは、
街で見かければ目を引くけど、
2人だろうが100人だろうが、
皆同じに見える。

それでは逆に没個性ではないかとも思ったが、
彼女らはそれなりに、
微細な部分の違いでそれぞれ個性を競っているようだ。
それは昨日の「盛り」も同じだ。

でもぼくの目には、
やっぱりどれも一緒にしか見えない。
だいたい「どれ」って言ってる時点で、
人間扱いしていないことに気づいた。

ファッションって、
元来そういうものかもしれないが、
そこまで外見が没個性なら、
中途半端に個性的なファッションの人より、
意外に会話をすれば、
その人柄が際立つような、
そんな逆説を思った。

ゴスロリの子と話することは、
たぶん一生ないけど。


●おかげで「黒色すみれ」の存在や、海外で「ゴスロリ」が注目されていることなどを知った。前にもこんなこと書いたっけ?●台風13号。中国に天敵でもいるのか?●おやすみなさい。

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