2008年9月9日火曜日

引き際

巨人
大鵬
卵焼き

何ですかぁそれ?

確かに、
若い人には通じないかもしれない。

一昔前、
国民の大多数が好きなものの代表として、
よく使われた言葉だ。

江川
ピーマン
北の湖

時代は少しあとになるけど、
国民の「嫌われ者」の代表だ。

もっともこちらは、
ほとんどの人が知らない言い回しだろう。
それは当然で、
考えたのは、
ぼくの高校時代からの友人だ。

野菜と力士の順番が違うけど、
語呂もよく、
いい出来だと思う。

北の湖敏満(きたのうみ としみつ、本名:小畑 敏満(おばた としみつ)、1953年(昭和28年)5月16日 - )は、北海道有珠郡壮瞥町出身の大相撲力士で、第55代横綱。引退後、一代年寄北の湖となり、日本相撲協会第9代理事長(2002年2月 - 2008年9月8日)

横綱時代の体格は、179cm・169kg。三保ヶ関部屋所属。得意手は左四つ、寄り、上手投げ。優勝回数24回、先輩の大鵬幸喜、後輩の千代の富士貢に並ぶ戦後の大横綱の一人である。重量感と馬力を存分に感じさせる相撲で1970年代後半に一時代を築いた。

ウィキペディアには、
以上のように紹介されている。

中学1年生の時に入門した怪童で、
横綱になったころから記憶にあるけど、
とにかく強かった。

土俵下に吹っ飛んだ相手に、
手を差し伸べるどころか、
フンッってな顔をしてるものだから、
嫌われた嫌われた。
ごくたまに、
あっけないほど簡単に負けることがあって、
そんな時は、
子ども心に快哉したものだ。

それに比べれば、
朝青龍など、
かわいらしいものだ。

相撲取りといって頭に思い浮かぶ、
そのまんまの体型。
インタビューしても、
「はい」
「そうですね」
ぐらいしか言わない。

強ければそれでいい。
まこと、
昭和の横綱の典型だった。

力士の中には、
嫌われ者でも力が衰えると、
同情を呼んで人気者になる人もいたが、
ぼくの中では、
現役時代の北の湖には、
憎たらしいイメージしかない。

その彼が、
大麻問題で、
ついに、
日本相撲協会の理事長職を辞任した。
朝青問題、
しごき殺人問題と、
角界を揺るがす事件が立て続けに起きても、
彼だけは責任をとらず、
理事長職にとどまり続けたのだが、
自分の部屋の力士の不祥事とあっては、
さすがに居直れなかった。

誰もが思う通り、
辞任は遅すぎた。

江川、
ピーマンのイメージはだいぶ変わったけど、
北の湖は、
最後まで「嫌われ者」だった。

それはそれで、
いかにもな、
引き際なのかもしれない。


●難波の「845」で2曲。自分の感覚としてセンターのドを確信できるようになったことは、進歩だと思う●「図書館戦争」「阪急電車」の有川浩が女性とは、恥ずかしながら知らなかった。

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