ドラマ、
映画、
小説。
そのどれにせよ、
自分が職業にしている分野が扱われると、
興味がわく。
しかしながら、
これまでの経験では、
そのほぼすべて、
ガッカリさせられることになる。
違う、
全然、
あぁ駄目。。。
ストーリーとは直接関係ないのに、
小道具や、
ちょっとした用語が違うと、
どうにもこうにも気になって、
しまいには、
自分の職業が馬鹿にされているようにさえ思えてくる。、
とどのつまり作品、
あるいは作者まで偽物に思えてくるほどだ。
ちょっと調べるなり、
本職の人に尋ねれば済む話なのに、
そのひと手間を惜しむからそんなことになる。
たった一点の些細な誤りが、
評価に決定的な影響を与えることもある。
なんだお前、
その融通の利かなさは、
昔と全然変わってないじゃないか、
と言われそうだ。
もちろん、
重箱の隅をつつくような見方をしている訳ではない。
普通に見たり、
読んだりしているのだが、
生理的に受け付けないような、
そんな間違い方というのがあるのだ。
生理的違和感と言えば、
「無理やり関西弁を話す人」
と言えば、
少しは近いかもしれない。
英語の歌詞を歌う者として、
自戒せねばならないことだと思う。
●美空ひばりの歌うジャズを聞いたアメリカ人は、彼女が英語をまったく話せない事を信じなかったという。さらにこれはぼくが直接知っている、アメリカ人ミュージシャンは、ひばりの「お祭りマンボ」のライブをテレビで見て、あの早いフレーズ一音一音のピッチが、寸分の狂いもないことに驚嘆していた●岡田J。最後まで見たけど、やってくれるねぇ。アナウンサーもかなり焦ってた●久々西宮北口コーナーポケットに1時間ほど。極上の音に浸るのは、それだけでものすごい練習した気にさせされる。
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