2008年10月31日金曜日

閾値

「私たちは知っているものしか見ることができない」

「できそこないの男たち」(福岡伸一著、光文社新書)に出てくる、
この一節を読んで、
ぼくは、
最近考えている様々なことが一気につながったような気がした。

だれかほかにも似たような事を言ったり書いたりしているかもしれないけど、
とにかく、
ぼくの中でのつながりは、
この本を読んだ時から始まった。

たぶんこれから、
この事について折りに触れ書くことになるだろう。



例えば、
この本では、
次のような話が紹介されている。

彼が教える大学の学生に、
膵臓の切片を顕微鏡観察させ、
スケッチさせてみると、
何とも頼りない絵しか描けない。

それは、
彼らは膵臓細胞がどのような形をしているか知らないからだ。

ジグソーパズルの1ピースだけで、
何の絵か当てることは至難の技だ。
知っているものしか見えないとは、
そういうことだ。



あるいは、
コインが消える手品。

ぼくが子どものころからあるから、
古典的なのだろうが、
いまでも、
大人でさえ、
驚くほど驚く。

おもちゃ屋で買って、
やったことがあるから、
間違いない。

心理的盲点とでもいうところを、
見事に突いている。

膵臓の件も手品の件も、
同じ事を示している。


「できそこない」にはこんな言葉もある。


「イマジネーションの閾値」


●手品の種を番組で明かしたテレビ局を訴えたマジシャンが敗訴したそうだ。とんでもないことだと思う●奈良の正倉院展を訪れた皇后さん、展示物を見て「せんとくんみたい」と言ったとか。これで「せんとくん」安泰だな。よかった。

2008年10月30日木曜日

理想

ある夕方、
換気扇の下で煙草を吸っていたら、


ススススススッ


と肉まんのような白い物を手に、
母が近寄ってきた。


次に、
ナイロンでできたポンポンのようなものを、
もそもそと箱から取り出し、
その両方を使ってゴソゴソし始めた。


「ほらっ」
と差し出す両手一杯の泡。



すごいすごい。


石鹸なんや。


それで顔洗うの?


「体も洗えるで」


母はそう言うと、
またしばらく泡立てるのだが
次第に「おかしいなぁ」と首をひねるようになった。


どうしたん?


「ボウル一杯になるはずやねんけど」


どうやら、
実演販売のようにならないので、
不満らしい。


いいやん。


両手一杯で。






またある夕方。


母が流しの下から、
様々な色や形の、
台所用スポンジが一杯入った袋を取り出した。


「これ全部で200円やってん」


余りもんまとめたんやな。


「捨てるのもったいなないやろ」




その数日後。


「やっぱり安物はあかん」


なんで?


「しっとりとせえへん」




母には母なりの理想がある。


●珍しく神戸、大阪、武庫之荘と動き回った休日。

2008年10月29日水曜日

「じゃず家」は、
JR環状線の高架下にある。
天満駅から大阪寄りに歩いて3分ほど。
立ち飲み屋のおばちゃんの視線をくぐりぬけ、
薄暗い高架沿いの道を50メートルほど行くと、
クリスマスツリーに付ける電飾が目に入ってくる。

今日こそは決めるぞ。

軽く歌いながら店の前につくと、
中から漏れてくる演奏やら歌声に奮い立つ。
バイトの男の子に2000円払い、
アイスコーヒーとチーズクラッカーを頼んで2階へ上がる。
2階は煙草が吸えるのだ。


しばらくして名前が呼ばれる。
さぁ出番だ。
譜面と録音機を持って階段を降りる。

楽器の人に譜面を渡しながら、
「よろしくお願いします」とあいさつし、
段取りも手短に説明する。
カウントをとって演奏が始まる。。。

ここには、
昨年暮れから通いだし、
もう30回ほどは来ている。
顔なじみも増えたし、
さすがに「上がる」ということはない。
最初のころに比べれば、
我ながら「まし」になったと思う。

でも、
歌い手にとって、
本番の「罠」はまだまだ沢山ある。

まず、
演奏があるということ。
セッションなんだから当たり前だけど、
バックの音量につられて、
つい声を張り上げてしまう。
自宅やカラオケボックスでの練習のようにうまくいかない場合、
このことに注意しないといけない。

そして,
最大の支えであるマイクにも罠がある。

といっても、
マイク自体の質とか、
PAのことを言いたいんじゃない。
マイクが口の前にあるというだけで、
つい、
首から上に気をとられる。
このことが、
リラックスを阻むのだ。

いくら気をつけていても、
目の前にマイクがあって、
拡大された自分の声を聞いた時に、
生理的に口元に神経がいくのだと思う。

こういう「つい」は、
頭で理解していても、
体が勝手に反応してしまうから怖い。

そして、
本番が終った途端に気付くことが多い。

神様、
もう一回お願いっていう感じだ。

でも、
次もまんまと引っ掛かる。

振り込め詐欺に騙されるお年寄りだって、
きっとこんなようなもんだろう。

分かっちゃいるけど落ちる穴。
失敗に落とし込む「罠」は、
自分の中にある。


●何だかジャズ以前の話で情けないんだけど、これが今日のぼくの収穫です●南北朝時代の日本刀に2500万円の値。「何でも鑑定団」の話です。

2008年10月28日火曜日

納得

梅田に出たついでに、
福岡伸一の新著を買おうと、
紀伊国屋へ行った。

ビッグマンに向かって左側から入り、
雑誌売り場の人ゴミを抜け、
文庫コーナーへ。
目的の新書はその先だ。

その時。




「凍」「凍」「凍」「凍」「凍」「凍」
「凍」「凍」「凍」「凍」「凍」「凍」
「凍」「凍」「凍」「凍」「凍」「凍」
「凍」「凍」「凍」「凍」「凍」「凍」




という光景が目に入った。
沢木耕太郎の「凍」が文庫化され、
棚いっぱい平積みされている。

ぼくが24日に買ったのは、
単行本だ。





あの時、
すでに文庫化されてたのか、
ぼくは知らない(知りたくない)。
されていても、
ジュンク堂の店員が、

「あのぉこれ文庫になってますけどいいんですか?」

などと聞いてくれるわけない。

以前のぼくなら、
絶対に悔しがっただろうが、
今日は、
不思議なほど何とも思わなかった。

確かに値段は三分の一。
「損」といえばそうだ。
でも、
後悔している時間の方がもっともったいない。
今はそう思う。

あの日、
たまたま入ったジュンク堂で、
ぼくは単行本の「凍」に出会ったのだ。
そして一気に読んで満足した。

それでよかったんだ。

でも、
もし買っただけで未読だったら、
凹んだだろうなぁ。

よかった。

読んどいて。


●今日のNHKトップランナーは女性フリークライマーだった。これも何かの縁か●久しぶりのミスターケリーズで川本睦子さんの歌を初めて聞いた。とっても自然な歌い方で、好感度大●で、買った新書の題は「できそこないの男たち」期待度大●今終わったプロフェッショナルの再放送で、作り笑いでもプレッシャーは減ると茂木先生。さっそく取り入れよう●さぁ、火曜は「じゃず家」セッション。結果報告乞うご期待。

2008年10月27日月曜日

偏食

子どもの頃から、
ピーナッツバターサンドイッチしか食べずに大きくなった少年、
というのをテレビで紹介していた。

3食すべてピーナッツバターサンド。

んなばかなぁ

とぼくも思った。
どうせテレビだもんと。

しかし、
パンダは笹の葉、
コアラはユーカリの葉しか食べないし、
人間にも菜食主義者がいる。

ゴリラも葉っぱだけであんなに屈強な体を維持しているし、
クジラだってプランクトンとかそんなもんだけ食べて、
あんな巨体でいられる。

それなら少年の話も本当かもしれない。
第一、
偏食が体に悪いなら、
戦争中に育った人は、
みんな今ごろいやしない。。。



70年ほど前、
ルドルフ・シェーンハイマーという科学者が面白い実験をした。

特殊な方法で印を付けた餌を、
大人のネズミに食べさせて、
それがどこへ行くか追跡したのだ。

大人だから体重は増えない。
だから餌はエネルギーとして消費され、
排泄物として出てくる。
彼はそう予想したのだが、
実際は印の半分以上が体内に留まった。

餌は燃料ではなく、
体そのものになっていたのだ。

餌はネズミの体内で分子レベルに分解されて、
体内で再びアミノ酸となり、
さらに様々なタンパク質に再構成され、
内臓や血液へと姿を変えていた。

って要は代謝なんだけど、
これはかなり驚くべきことだ。
松坂牛だろうがキャベツだろうが、
分子にまでバラバラにされたら、
同じじゃないか。

「生物と無生物のあいだ」(福岡伸一著、講談社現代新書)
によると、
この代謝によって、
ネズミはたった3日、
人間だって1年半ほどで、
分子レベルでは全身、
全くの「別人」になるのだという。

かの少年は、
全身、
まさにピーナッツバターサンドでできていたのだ!。

鏡を見て、
1年半前との違いは、
老けたことぐらいだと思っていたが、
ぼくの体も、
そんな凄いことになっているのだ。

だって、
今のぼくの一部分は、
かつて、
あなたの一部分だったかもしれない、
ということだからだ。

●この本のことは前にも書いたような気がするが、現在再読中●フィギュア開幕。安藤美姫、同じこけるなら、ああいうのが一番ダメージが少ない●このブログをリンクしたいと、驚きの申し出。「喜んで」と返事したけど、彼女の評判が下がりはしないか少し心配。

2008年10月26日日曜日

冒険

北朝鮮拉致被害者が帰国して、
日本中が大騒ぎしていたころ、
登山史上に残る生還劇があったことなど、
最近まで知らなかった。

チベットとネパールの国境に、
ギャチュンカンという山がある(んだって)。
8000メートルに満たないその山に、
世界的登山家の山野井泰史と妙子夫妻が、
なぜ登ろうとしたのか。。。


「凍(とう)」(沢木耕太郎著、新潮社)を一気に読んだ。


冒険と無謀を分けるのは、
結局「美学」の有無ではないか。

二人は、
新しいルートで、
できるだけ軽装備で登ることを好み。
山にゴミを残すことを嫌った。

何より「自力」であることにこだわった。

私生活も同様に、
身軽に、
他人や自然に、
迷惑をかけないことを旨とした。

そんな二人がギャチュンカンで遭遇する、
自然との壮絶な闘いは、
読んでもらうしかないけど、
ぼくは、


「人間はここまで正気でいられるのか」


と驚嘆した。

ちなみに、
「ギャチュンカン」とはチベット語で、
「百の谷が集まると所にある雪山」という意味らしい。

ぼくの人生も山あり谷ありだが、
美学など持たず無謀なことばかりしてきた。
何度正気を失ったことか。

それでも生きているのは、
きっと、
運が良かっただけなのだろう。


●山野井泰史氏は最近、住んでいる奥多摩でクマに襲われたとか●巨人CS初優勝。オメデトー。

2008年10月24日金曜日

再会

もう何年かは会えないと思っていた人に、
元町でまた会えた。
ぼくの中では、
すでにずっと遠くで暮らしていたはずの彼女が、
目の前にいて、
幻を見ているような、
不思議な気持ちがした。

最後に会ってから、
まだ3か月しかたっていないのに、
彼女はずいぶん大人びて見えた。

もうひとつ意外だったのは、
彼女がこのブログの存在を知らなかったことだった。
本当に会えてよかった。

少なくとも今日は読んでくれていることを願い、
再びこの詩を贈ろうと思う。


旅立ちの唄


怖がらないで
手当たり次第に灯り点けなくても
いつか 一人ぼっちの夜は明けていくよ
転んだ日は はるか遠くに感じていた景色も
起き上がってよく見ると なんか辿り着けそうじゃん

君の大好きだった歌 街に流れる
それは偶然が僕にくれた さりげない贈り物

Ah 旅立ちの唄
さぁ どこへ行こう? また どこかで出会えるね Ah
とりあえず「さようなら」
自分が誰かわからなくなるとき君に語りかけるよ
でも もし聞こえていたって返事はいらないから…

大切なものを失くして また手に入れて
そんな繰り返しのようで その度新しくて
「もうこれ以上 涙流したり笑いあったりできない」と言ってたって
やっぱり人恋しくて

今が大好きだって躊躇などしないで言える
そんな風に日々を刻んでいこう
どんな場所にいても

Ah はじまりを祝い歌う最後の唄
僕は今手を振るよ Ah
悲しみにさようなら
疲れ果てて足が止まるとき 少しだけ振り返ってよ
手の届かない場所で背中を押してるから

Ah 旅立ちの唄
さぁ どこへ行こう? また どこかで出会えるね Ah
とりあえず「さようなら」
自分が誰か忘れそうなとき
ぼんやり想い出してよ
ほら 僕の体中 笑顔の君がいるから
背中を押してるから
でも返事はいらないから

(Written by Kazutoshi Sakurai)



●それからぼくは、ジャンカラで発声練習をし、jamjamで1時間半、ジャズに浸った。最近新聞広告で見たORISの時計の実物を大丸で見た。思った通り、値段の割にはしっかりした作りだったが、見ただけで満足した。ヴィタメールでチョコレートパフェを食べようかとも思ったが、食べなかった。三宮まで歩き、ジュンク堂で「凍」(沢木耕太郎著、新潮社)と「星のしるし」(柴崎友香著、文芸春秋社)を買った。三宮の珉珉で八宝菜を食べ、近くのドトールで凍の第一章を読んだ。

2008年10月22日水曜日

竜王戦

駒の動かし方は知っているけど、
からきし弱い将棋。
なのに、
なぜか気になるのが第21期竜王戦だ。

再び黄金期を迎えつつある羽生善治が、
現在4連覇中の渡辺明に挑戦するという、
絶対注目のカード。
パリで先だって行われた第一局は、
羽生が勝利した。

羽生もさることながら、
ぼくは渡辺という人が好きで、
彼の「渡辺明ブログ」http://blog.goo.ne.jp/kishi-akira/もたまに見る。
この人、
みるからにオタクなのだが、
若手の代表格で、
24歳ですでに妻子もち。
なかなか地に足がついている。

確か竜王になりたてのころに、
NHK「トップランナー」で初めて見て、
その時、
あまりに書道が下手なのに笑った記憶がある。
タイトルを獲ると、
免状やら扇子などに嫌でも揮ごうもしなきゃならないのだ。

その後も世界最強コンピューター将棋ソフト「ボナンザ」に、
プロ棋士として初めて勝負して勝利し、
竜王も守り続けている。

そんな渡辺にも増してぼくが好きなのは、
実は彼の奥さんだ。
彼女のブログ「妻の小言。」http://inaw.exblog.jp/は最高に面白い。
子育てしながら大学に通っているようで、
身辺雑記が中心なんだけど、
ちょっとした出来事の表現が笑える。
特に、
夫である渡辺とのやりとりは、
「竜王の妻」など微塵も感じさせぬ容赦のなさで、
ぼくの将棋への関心は、
これで一気に増したと言っていい。

夫の勝ち負けには全く触れないんだけど、
この竜王戦が始まる前、
挑戦者が羽生と決まったぐらいから、
ややテンションが上がり気味に感じる。

そして初戦に負けてからは、
やっぱり元気がない様子に思えるから不思議だ。
こちらの思い込みかもしれないけど。

羽生は名人位も奪還したばかりだし、
ここはひとつ、
渡辺には唯一のタイトルを防衛して、
奥さん孝行してもらいたいものだ。


●じゃず家セッション。どうなんでしょうかねぇ。自分ではよく分からないよ。読んでる方はもっと分からないか。

2008年10月21日火曜日

喧嘩の仕方

橋下知事が、
今度は朝日新聞にかみついた。
最近おとなしくしていると思ったら、
そうくるか。

共同通信によると、
事態は以下のようなものだ。



 大阪府の橋下徹知事は20日、母子殺害事件弁護団への懲戒請求呼び掛けをめぐり敗訴した際、朝日新聞が社説で弁護士資格返上を求めたことに触れ「資格をはく奪されるようなことはなく、からかい半分だ。朝日新聞は愚かな言論機関。すぐに廃業した方がいい」と重ねて批判した。

 機関投資家に府債を売り込むため訪れた東京都内で記者団に語った。

 橋下知事は19日に陸上自衛隊の式典で「人の悪口ばかり言ってる朝日新聞のような大人が増えれば、日本はだめになる」と発言。

 この理由について記者団に「一番敬意を表すべき自衛隊との(比較)対照としていい例と思った」と説明した。

 さらに「判決の件で厳しく指摘されることは構わないが、表現の仕方としてどうなのか。朝日新聞は権力に悪口を言っていればいい、と思っていることがよく分かった」とまくし立てた。



以前にも女子アナの「遅刻発言」を巡って、
NHKにかみついたことがある橋下知事。
内容はともかく、
相手はいずれもマスコミである。

マスコミというものは、
他人を批判するのは得意な一方、
批判されることを極端に嫌う。
メンツにこだわるから、
でかでかと誤報しても訂正ははるかに小さい。
それでも、
ぼくが思うには、
NHKや朝日は、
マスコミの中でも良識ある方だ。

そんなことは橋下知事も十分分かっている。
だから、
この相手とは大喧嘩にはなるまい、
「大人」の対応をしてくれるはずと、
相手を「値ぶみ」しているはずだ。
暴力団相手に喧嘩売るような真似はしない。

かみついて、
相手が乗ってくれればしめたもの。
自分が相手と対等の立場に立てる。
世間的には、
「第4の権力にもひるまぬ知事」と印象づけることができる。
本当は自分も大層な権力者なのに、
仮想の敵を作って自分を勇者に見せる手法は、
小泉元総理の得意技だった。

そもそも弁護士なのだから、
落とし所というか、
最初にかましといて、
あとで妥結の道を探るというのは、
お手の物だ。

何より、
この人の強みは、
「失うものがない」という点である。
意志が全うできぬのなら、
知事職などいつ辞めてもいいという、
いい意味での「居直り」があるから、
発言にブレが少ないし、
勢いがある。

重みはないけど、
切れ味はいい。

その小気味よさが支持される限り、
この人は持つ。
だから恐いのは、
NHKでも朝日でも霞が関でもなく、
唯一、
「世論」だけだ。


●岡田阪神エンド。なんで辞めなきゃならないのか、ぼくには分からない。

2008年10月20日月曜日

刺激的

何年かぶりに行楽した。

朝一でマイクロバスに乗り、
日本海へ向かった。

以前、
丹後半島に住んでいたことがあるので、
舞鶴道がなつかしい。
今はなきスカイラインで何度往復したことか。

紅葉にはまだ早かったけど、
山々に囲まれる景色の移ろいに、
様々な思い出がよみがえる。

出石そばのコースで満腹になり、
豊岡でコウノトリを拝見した。

心身リフレッシュ充電完了。

だもんで、
その勢いで夜は一人で北堀江のカフェバーへ。

知り合いが出演するライブを予約していたのだ。

初めて行くそのカフェは、
おしゃれな人が多くて、
半分ぐらいは外人。
行楽帰りの僕はプカプカ浮いていた。

しかしライブは最高で、
酔っ払った若い女性数人などは、
ワイングラス片手に踊っている。

といっても、
実はそんなに酔っていないのだろう、
フニャフニャしていても、
ちゃんと人にはぶつからず、
ワインもこぼさない。

少し踊ると、
カウンターの僕の隣の女性と、
何かご機嫌に話しはじめた。

でもどうやら赤の他人のようだ。

彼女は、
この世の陽気を一人占めしたように楽しげで、
見ていて決して悪い気分ではない。


演奏もますます快調だ。


そしてついに、
隣の女性と話し終えた彼女が、
トニックウォーターを飲んでいるぼくを見た。

一瞥して一言、



「教授みたい。あはは」



「?????????」



気の利いた言葉の一つも出せないぼくを尻目に、
彼女は、
くるりと向きを変え、
また踊りはじめた。



やっぱり眼鏡やめようかな。

2008年10月19日日曜日

記憶術

「リンカーンはアメリカでコーヒー三杯」


この前のメールを書いた後、
下に降りていくと、
母がいきなり大声を上げる。


「リンカーンはアメリカでコーヒー三杯」


「何それ」


「ウツ」


「はぁ」


「ウツっていう字はこう書くねん」


「…………」



広辞苑に掲載されている漢字で、
最も画数の多い字は「鬱」で27画だ。
ぼくは小学生の時にその事を知ったが、
これまで一度も書いた事はない。
ちなみに広辞苑の最後に出てくる項目は「んとす」のはず。

母が言っているのは、
「鬱」という字の書き方だった。

「リンカーン」つまり「林」の間に「缶」を書き、
「は」つまりワ冠をその下に、
さらに「アメリカ」つまり米を斜めにした※を、
コを90度傾けたやつで受けて、
ヒはそのまま、
右横に「三杯」としてひげ三本。
これで鬱の完成というわけだ。
テレビで紹介していたらしい。


「これで忘れへんわ」と母。


「そうやな、俺もや」



でも、
できるならこんな字、
書かずに暮らしたいよね。


母は笑ってうなずいた。


●明日は早起きして小旅行ですので、これにて御免。

2008年10月18日土曜日

秋空

先日の天気予報で、
「何をするにも最高の一日になるでしょう」
と言っていて、
「雨じゃなくちゃ困る人だっているだろうに」
と捻くれた突っ込みを心でつぶやいた。

しかし今日の爽やかな秋の空。
こんな日が休みだと、
どっかへ出かけたくなるのが人情ってもんだろうけど、
ぼくは自室でこのブログを書いている。

寝たのが朝で、
数時間前に起きたばかりなのだ。

といって「もったいないことをした」と思っているわけではない。
部屋から秋空を眺めるのも素敵だし、
窓から吹き込む風も心地よい。
でかける予定までのあとしばらくを、
こうして過ごすのも、
贅沢なもんだ。

未明に書くのと、
この穏やかな午後に書くのとでは、
何かしら雰囲気が違っていて、
そんなことを味わいながらキーボードに向かっている。

スピーカーから流れているのは、
先日渡米したDr清水勇博くんが参加した、
西山瞳トリオの「Parallax」。
今の気分にけっこうしっくりくる。

母はここのところ、
ウキウキと洗濯している。
ぼくにも経験があるけど、
さっぱり乾いた洗濯物は、
洗剤のCMじゃないけど、
頬ずりしたくなるほど気持ちイイ。

しばらくは、
こんな天気が続くらしい。

2008年10月17日金曜日

かぶる

ギリシャでは、
掌を相手に向けて出すと、
「おまえなんかあっち行け」という、
ひどい侮蔑の意味になると、
NHK児玉トラベルでやっていた。

それを見て、
ぼくが子どものころ、
掌を模したプラスチック板に針金と吸盤が付いた、
カーアクセサリーが流行ったことを思い出した。

車の後ろの窓に付けると、
揺れに合わせて掌が左右に振れ、
後続車からは、
「バイバイ」とも
「はーい」ともとれ、
いずれにせよ面白いっていうんで、
売れに売れた(と思う)。

我が家には当時、
真白なカローラがあって、
ぼくはその掌をどうしても付けたくて、
母にねだって買ってもらった。

ところが、
まさにその夜、
会社から帰宅した父が、
まったく同じ物を買ってきた。

あまり見事にかぶったので、
家族で大笑いした。

これなどは流行りものだから、
ありがちな話ではあるが、
例えばセッションで、
ある日はドラマーが多かったり、
別の日はピアニストが多かったりと、
見事にかぶるというか、
片寄ることがある。

もちろん理由がつく場合もある。
例えば有名なプロギタリストが見える日には、
ギターキッズが多く、
高槻ジャズストリート直後には、
ハイになったプロが多く集まった。
武庫之荘のMクアトロは、
絶滅危惧種の男性ボーカルが多く集まるので有名だ。

しかしそういう事は稀で、
ひょっとしたら、
その日の月の満ち欠けによって、
ドラムが叩きたくなったり、
サックスを吹きたくなったりするんじゃなかろうか、
などと思いたくなるほど、
曜日が同じでも偏る。

ちなみに、
偏りが一番少ないのはボーカル。
そして、
いつも少ないのはベースだ。

そういえば、
女性のギタリストだけにはまだ、
お目にかかったことがない。

不思議なもんだ。

ちなみにかぶった掌がどうなったのかは、
記憶にない。


●三宮グレートブルーのセッションに久しぶりに行った。大変な盛況で、1曲だけ歌えた。反応は正直、あまり良くなかった。でもぼくの自信は揺らがない。この方向で間違いないと、確信している●40年以上も乱雑に生き散らかして、残りわずかな消しゴムみたにいなぼくに、会いたいと思ってくれる人がいる。そういう人がいる限り、ぼくは前を向ける。

2008年10月16日木曜日

文字

「学校に行くと馬鹿になる」


昔の農村などには、
こんな風に考える人が多くいて、
自分の子供を学校にやりたがらなかったという。

そんなの、
働き手を減らさないための方便だろう。

ぼくはそのようにしか理解していなかったが、
案外これは本当なのかもしれない。

まず最近、
NHKすペシャルで驚いた話。

日本人の20人に一人は、
文字を読んだり書いたりすることに障害がある。

「読字障害」というのだそうだが、
ぼくは聞いたこともなかった。
小学校で音読が異常に苦手な子がいたけど、
ひょっとするとこの障害だったのかもしれない。

そもそも人が文字を「発明」したのは5000年ほど前で、
言葉の発達、
つまり話したり聞いたりすることに比べれば、
人類史的には、
ほんの最近だという事。

だから、
人の脳には、
文字を処理するための「特別」の部位はなくて、
いわば既存の脳を「間借り」して、
本を読んだり手紙を書いたりしている(のだそうだ)。

その証拠に、
人は文字を読む時、
目で見た文字情報はいったん、
音声を処理する分野に送られ「音声」に変換され、
認識へと至る(のだそうだ)。

目読とは言っても、
脳は「音読」しているわけだ。
読字障害の人は、
この視覚情報を音声情報分野に送る部分の動きが、
その他の人に比べて著しく鈍いらしい。
だから文字が見えてはいても、
読めない。

で、
興味深いのは、
この読字障害の人の中には、
その他大勢に比べ、
著しく立体構造の認識力が高い人たちがいるという事実だ。

あるいは「ジュラシック・パーク」。
この映画にに出てくる博士のモデルになった人が読字障害で、
実在の博士は文字は読めないけど、
現代の地形を見ただけで、
恐竜時代のそこの地形が頭に浮かぶという。

恐竜の水飲み場だった場所などがすぐに「見え」るもんだから、
化石を次々に発見し、
恐竜研究に画期的な成果をもたらしたのだという。

古代人にとっては、
そうした地形把握力なんかは、
生存に直結していただろうから、
みんなごく普通に持っていた能力かもしれない。

ぼくたちは、
文字を手にした代償として、
多くの「能力」を失ったのではないか。

それが、
この番組の中で一番印象に残った見解だ。


で、
「学校へ行くと馬鹿になる」だけど、
この言葉が突き付けているのは、
今の日本人は果たして知的かという問いかけだ。

文字書きそろばんができることが知的というなら、
そりゃ知的になったのだろうが、
一方で失ったものを思う。

何も「おばあちゃんの知恵袋」的なことを言いたいわけではない。

もっと本質的な、
生き物としてヒトが本来持っていた感覚。
地形などの3次元把握力はそうだろう。
そのほかにも、
ぼくらが今は見えなくなった、
聞こえなくなったものがあるのではないか。

そんな状態を「馬鹿になる」と置き換えれば、
農家の親父の文句も、
理にかなってるのかもしれない。
少なくともぼくは馬鹿だ。
まったく異論なし。

こう考えてくると、
現代、
文字離れが起きているのは、
ある意味、
ヒトとしての本能なのかもしれない。
文字は、
脳が本来想定していない道具なのだから、
拒絶反応を示すのが、
むしろ普通ともいえる。
他に扱いやすい道具があれば、
さっさと乗り換えるのが正解かもしれない。

だからと言ってぼくは、
「文字に未来はない」などと言いたいのではない。
むしろ、
失くした感覚を思い出すために、
文字を逆利用できないかと思うだけなのだ。

理屈じゃないことを、
理屈で説明する。

そういう無理難題に挑戦し続けないと、
文字文化はやせ細る一方だと、
心配する。


●アイヌ伝承を書き遺した享年19歳の少女。太平洋戦争に反対した僧侶。NHKの宣伝マンみたいだが、こういう人たちの存在を知らないまま死ぬかもしれなかったわけで、あぁ見ていてよかったNHKと実感●ぼくの歌に関する感覚が正しい方向を向いていることが確認できた。こっちでいい●このブログを何かの弾みで知った方がいらっしゃれば、これからもよろしくお願いします。

2008年10月15日水曜日

雨に濡れても

映画「明日に向かって撃て」は、
何といってもラストシーンが有名だが、
それに劣らず胸を打つのが、
なかほどの自転車の場面だ。

ポール・ニューマン演じる強盗ブッチが、
ロバト・レッドフォード演じる相棒サンダンス・キッドの彼女の前で、
手に入れたばかりの自転車に乗って見せる。

坂を下りながら曲乗りをして見せたり、
彼女をハンドルの上に、
二人乗りするバックには、
有名な「雨に濡れても」が流れる。

ぼくが自転車に乗れるようになったのは、
たぶん小学校低学年のころだが、
その瞬間のことは覚えていない。
だから表現としては、
「気がついたら乗れていた」ということだ。
親父が後ろで押してくれていて、
いつの間にか手を放しているのに、
当人は気づかずにしばらく進み、
「一人で乗っている」のに気づいた次の瞬間、
こけてしまうというような、
よくある場面であったかもしれないし、
誰も見ていない公園で、
ある時突然、
乗れてしまった、
というようなことだったかもしれない。

いずれにせよ、
自転車に乗れるようになるには、
補助輪を付けたり、
誰かに支えてもらったりという過程が絶対にあるはずだ。

始めから自転車に乗れた人などいやしない。

その瞬間。

何の支えもなく、
坂道を下るのに任せて乗っているのでもなく、
平らな場所を、
自力で漕いで自転車に乗れた瞬間の昂揚は、
今自転車に乗っているすべての人に訪れたはずだ。

ぼくの歌修行にあてはめれば、
さしずめ今日の天満「じゃず家」でのセッションは、
この昂揚の一瞬であった(はずだ)。

その予感というか、
決意のようなものは事前にあって、
店に入った時から落ち着きがなかった。

感覚を忘れないよう、
座るのももどかしく、
直前まで繰り返し繰り返し、
その感覚を確かめていた。

人力飛行機コンテストでよく、
飛んだのか、
ただ落ちただけなのか分からないような挑戦者がいるが、
飛んだか落ちたか、
それは当人にしか分かるまい。
判定では飛んだと認められなくても、
本人が飛んだと思えば、
飛んだのだ。

そういう意味で言えば、
今日ぼくは飛んだ。

話を自転車に戻せば、
すぐにこけたけど、
ほんの何メートルかは「漕いだ」のだ。

もっと長い距離を漕いでみせなければ、
誰にも認めてもらえまい。
悪路や坂道になれば、
まったく歯が立つまい。
調子にのって速度を出しすぎれば、
思いっきり何かにぶつかることもあるだろう。

でもこの感覚は忘れないと思う。


●ネットに歌詞があった。
Raindrops are falling on my head
and just like the guy whose feet are too big for his bed,
nothing seems to fit
those raindrops are falling on my head, they keep falling
雨が頭の上に落ちてくる
ちょうどベッドに収まるには足が長すぎる男みたいに
すべてしっくり行かないみたいだ
雨が頭の上に落ちてくる 落ちつづける

so I just did me some talking to the sun,
and I said I didn't like the way he got things done,
sleeping on the job
those raindrops are falling on my head they keep falling
だから太陽に向かってちょっと一言
どうもお前のやりかたは気に入らないと言ってやった
照りもしないで寝てるんじゃないよって
雨が頭の上に落ちてくる 落ちつづける

But there's one thing, I know
the blues they sent to meet me won't defeat me.
It won't be long 'till happiness steps up to greet me
でも一つだけわかっていることがある
向き合ってみろばかりに雨がよこした鬱な気分に俺は負けない
そのうち幸せの方が俺に挨拶しにやって来るだろう

Raindrops keep falling on my head
but that doesn't mean my eyes will soon be turning red.
Crying's not for me, 'cause
I'm never gonna stop the rain by complaining
because I'm free
nothing's worrying me
雨が降りつづける
でもだからといって俺の目が赤くなってしまうわけでもないし
泣くなんて自分の好みじゃない なぜって
文句を言ったところで俺は雨を止めることはできない
なぜって俺は自由
何も心配ごとなんてない


It won't be long 'till happiness steps up to greet me
そのうち幸せの方が俺に挨拶にやって来るだろう


Raindrops keep falling on my head
but that doesn't mean my eyes will soon be turning red.
Crying's not for me, cause
I'm never gonna stop the rain by complaining
because I'm free
nothing's worrying me
雨が降りつづける
でもだからといって俺の目が赤くなってしまうわけでもないし
泣くなんて自分の好みじゃない なぜって
文句を言ったところで俺は雨を止めることはできない
なぜって俺は自由
何も心配ごとなんてない




●昨日、Dr清水勇博君がNY修行に行くラストライブが西宮コーナー・ポケットであった。夜は仕事だったので、昼の部だけしか行けなかったけど、今現在は既に飛行機の中にいるはずの、慌ただしい中であったが、彼の顔はとてもすがすがしかった。幸多かれと願う●このブログは6月のミニライブにきて下さった人などほんの数人しかぼくはまだ紹介していない。ぼくの歌手の部分を知っている人に限っている。その中に、きょう一人素敵な人が加わった。さらに努力しようと思う。

2008年10月13日月曜日

ゴルフ

15年ほど前に住んでいた、
福井市のマンションの前は、
大きなゴルフ練習場だった。

仕事から帰ると、
クラブを2、3本持って行き、
200球ぐらい打つ。

ストレス解消でもあり、
汗まみれで帰って入る風呂が、
大好きだった。

日課といってもよかった。

なのにコースに行くとまるで駄目。
練習場ではあれほど見事に飛んだドライバーも、
狙った位置にピタリと落とせたアイアンも、
どうしちゃったのと思うほど当たらない。

飛んでも、
てんで見当違いの方向で、
草むらや斜面の下や、
あり得ないような場所から打つはめになる。

練習場ではやれないパターなどは、
ぶっつけ本番だから尚ひどい。

次第にわかってきたのは、
練習場とコースは全く別だということだ。
ゴルフに限らない。
バッティングセンターでいくらカッ飛ばしても、
試合で人間の投げる球は簡単には打てない。

逆に、
練習はそこそこで、
どんどん実戦している人が、
最初はひどいものだけど、
いつのまにかスコアはぐんと良くなっていて、
驚かされることがあった。

打った球数なら絶対負けてないはずだけど、
ぼくは「生きた球」を打ってなさすぎた。
ゴルフというのは、
フォームが悪かろうと、
距離が少し短くても関係ない。
どんな場所からでも狙った場所にさえ打てれば、
スコアはまとまる。

特に、
練習場にないパターやバンカー、
ラフなどのアクシデント対応は、
経験がもろに腕前に出る。

歌だって一緒だなと思う。
セッションは、
本番ライブと練習の中間あたりの存在だが、
ここでうまく行かない以上、
駄目なものは駄目だ。

自信を持って臨んで、
玉砕してガッカリして。。。

そんなことの繰り返しだ。

それでもあきらめないのは、
着実に上達している、
顔なじみさんたちがいるからだ。

みんなうまくなりたいと思って頑張っていて、
その成果が出ていると、
ちょっと嫉妬もするが、
それより自分もそうなりたいと願う気持ちの方がずっと強い。

ゴルフはすっかり諦めてしまったけど、
歌だけはそうはいかない。

そんなヤワな決意ではないのだ。


●久し振りに武庫之荘「Mクアトロ」。顔見知りのボーカルが多くて、皆、努力の跡がはっきり分かる素敵な歌だった●このブログを読んでくれている人がもう一人いることが判明。うれしくなった。

2008年10月12日日曜日

裸眼

時間つぶしに入った喫茶店で、
「anan」を開いたら、
近視矯正手術が20~30万円と書いてある。

えっ

本当にそんなに安くなってるのか。

「本当に」というのは、
以前それぐらいの値段だと聞いたことがあり、
ぼくは「そりゃひとケタ間違ってる」と、
笑ってしまったことがあったからだ。

10分間で済んで、
日帰りできて、
年間10万人が受けているのだと、
その記事には書いてあった。
どうやら、
知らない間に価格破壊が進んだらしい。


知り合いの若い女の子にも聞いてみた。
料金は実際はもっと安く、
手術を受けた友達は、
「世界が変わった」と大喜びしているという。

俄然、
手術を受けたくなってきた。
ぼくはドが付く近眼で、
おまけに左は乱視だ。

今年は2個もメガネを作ったのに。

就職祝いの食事の席で、
姪にその話をしたところ、
「私も受けたい」と大乗り気だ。
叔父が先に試すのも悪くない。

でもな。

今のぼくが裸眼で、
24時間クッキリ見えるようになって、
鏡に向かったら、
見たくもない皺や、
たるん体や、
白髪まじりの頭が、
容赦なしに目に入ってくる。

若い子はいい。
でも不惑も越した男には、
今更見なくていい現実もあるんじゃないか。

もう一度近眼に戻してくれと、
思いはしないか?

悩みどころだ。


●いつもの場所に行ったら、ちょっとタイミングが悪くて知り合いに会えず、寂しかった●やっと髪を切った。少しすっきりした●美容院で洗髪してくれた女の子に「格好いいですね」と言われた。お世辞と分かっていても、嬉しいものだと、食事会で話したら、だれからも異議なし。やっぱりお世辞だったのか●三浦和義が自殺!これは驚いた。自殺とは対極にある人だと思ってた。少し可哀そうに思えた。

2008年10月11日土曜日

作家

小学校低学年の事だから、
母が今のぼくより若かったころ、
ここらの主婦の間で、
ある手芸が流行った。

折り紙を二枚重ねてうまい具合に折ると、
クリスマスにパーンて鳴らすクラッカーのような物ができて、
それを何十も作って糊でくっつけて、
きれいな毬のようにする。

ただそれだけなんだけど、
そのころ母は暇があるとその毬を作っていた。
初めはソフトボールぐらいの大きさだったけど、
次第に大きいのが作りたくなる人情はだれも同じようで、
ついにはメロンぐらいのを作り上げ、
ご丁寧にそれを乗せる座布団まで手縫いする凝りよう。

それはしばらく、
我が家の玄関のげた箱の上に飾られていた。

何でこんなことを思い出したのかというと、
「ニードルフェルト」という手芸があることを、
NHK「おしゃれ工房」で知ったからだ。

フェルトの束を特殊な針でつつくだけで、
メロンパンや、
ショートケーキが出来上がる。

その出来栄えは男の目から見てもかわいらしい。
材料代も高くはなさそうだし、
やってみたくなった。

出演していたのは、
「ニードルフェルト作家」の女性で、
彼女いわく、
もとはスイーツ作りが好きだったけど、
そのニードルフェルトのスイーツ作りを始めてから、
本物を食べることが少なくなり、
7キロやせたんだという。

そんなものかねと思いながら見ていたら、
針を刺すたびに「サクッ、サクッ」という音がする。
これが何とも快感のようで、
あぁその手の感触、
音が夢中にさせるのだろうと想像した。

この番組、
TVをつけてやってたらつい見てしまうことが多い。
それにしても、
いろんな「作家」がいるものだ。
古いネクタイをストールに再生する作家もいたし、
厚紙と布をかわいい小箱に仕上げる作家もいたなぁ。

やってることは単純な工作なのだけど、
手仕事っていいなってぼくの中の子供心をくすぐる。
でもなぁ、
年がら年中フェルトに針刺して、
飽きないのだろうかとも思う。
作家ともなると、
いろんな注文もあって、
「またあれかよ」なんて思いながら、
針刺してるのかな、
それはちょっと怖いな、
子育ての合間になんて言ってたけど、
あの針は危ないぞとか、
どんどん余計な事を考えてしまった。

で、

母の毬は、
なんていう名前だったのだろう?

今でも作ってる作家はいるのかな。


●めでたく巨人V2●世界中で株が暴落している。ということは、99%が大損した分、大儲けした1%がいるのだ●阪神阪急と高島屋が資本提携するそうだ。三菱東京UFJ銀行みたいになってきた。

2008年10月10日金曜日

節穴

ノーベル物理学賞に輝いた、
「小林、益川理論」って何だろう。

NHKクローズ・アップ現代に両氏がそろって出ていたので、
見てみた。

どうやら、
宇宙の発生「ビッグバン」を解き明かすには、
「CP対称性の破れ」という現象を説明せねばならず、
そのためには、
物の最小単位「素粒子」が6種類必要だと最初に説明した人たちらしい。

論文を発表した1973年時点では、
素粒子は3つしか見つかっておらず、
そういう意味で当時としては「予測」だったが、
その後、
4つ目以降が実際に確認され、
ついに6つ全部がそろって、
両氏の予測が正しかったことが裏付けられた(ということらしい)。

理屈の究極みたいな話だけど、
これが机上の空論ではなく、
現実だったという話だ。

そんなことが分かってどうするなどと、
野暮なことは言わないけど、
137億年前にビッグバンで宇宙ができたとして、
じゃあ、
その前はどんな状態だったの?
という疑問は、
小学生でも思い浮かぶと思う。
科学はそこまで説明できていない(はず)。

それにしても論文発表時、
小林氏は28歳、
益川氏は33歳だったという。
若き2人の達成からノーベル賞まで、
35年というのはいくらなんでもねぇ。
南部氏もしかり。

クラゲを何万匹も捕まえて、
蛍光タンパク質を発見した下村氏もまた、
受賞までに30年以上かかっている。

功労賞じゃないんだから。

国民的慶事で素直に喜べばよいのかもしれないけど、
美空ひばりに今更最優秀歌唱賞を贈っているようで。
80歳超えて1億円もらっても。。。

ノーベル賞、
節穴じゃないか?


●「風のガーデン」。のっけから緒形拳の遺言のようで、つらいやら、でも見たいやら●巨人連覇、きょう達成か●昨日は暖房、今日は冷房。風邪に気をつけましょう●ダイアナ・クラールベストを買ってしまった。

2008年10月8日水曜日

緒形拳

緒形拳が死んだ。
それも二日前にと聞いて、
驚いた。

日本を代表する俳優で、
しかも現役で、
そんなことがあり得るのは、
きっと他聞憚られる事情があるに違いないと、
勘ぐったのは大間違い。

死因はガンだと知り、
前の晩に見たNHKプロフェッショナルの再放送を思い出した。
末期ガン患者専門の、
淀川キリスト教病院で看護師をしている女性が登場。
ぼくは、
親父を昨年末、
ガンで亡くしたので、
つい見入った。

手の施しようのない患者ばかりを相手に、
彼女は笑みを絶やさず、
患者の声に耳を傾け続ける。
当然、
患者の死は日常で、
その度に彼女は涙を流す。

患者が治って退院するのが、
医療が報われる瞬間だとするなら、
彼女たちにその時は来ない。
では、
彼女らをあの場にとどまらせるものは何か。

「この病で死ぬのだと納得した人間は強い」

彼女はそういう意味のことを話していた。

人は必ず死ぬ。
患者がその冷徹な事実に向き合う瞬間。
傍で見ている彼女らにとってそれは、
辛くもあり、
荘厳な光景なのだろう。

死に様は生き様を決定づける。
死がリアルでなお、
前向きに生きる人の輝きは、
茫洋と日々生きる人とは比較にならぬくらい美しかろう。

緒形拳の死に様もまた、
強烈な閃光を放つ。

ぼくの一つの理想だ。


●ノーベル賞に日本人が3人も決まったことは誠に喜ばしい。だが、これで世間の俎上から、緒形拳の死も、個室ビデオ店放火も、全裸で殺されていた幼女も、どんどん拭い去られていく●「明日に向かって撃て」がTUTAYAに返ってきたので早速借りた●いよいよ今日GT最終決戦だ。

2008年10月7日火曜日

B'Z

B'Zがデビューしたのは1988年、
その翌年、
ぼくは社会人になった。

時はバブル絶頂期。
給料をもらえる身になったぼくは、
カラオケスナックへ毎日のように繰り出し、
彼らの新曲を次々に、
そう何年にも渡って歌った。

BAD COMMUNICATION
”愛しい人よ”Good Night
LADY NAVIGATION
ALONE
消えない虹、
ZERO。。。
特に印象深いのは、
LOVE FHANTOMだ。
震災の頃に流行っていて、
大災害の後の一種の昂揚感と、
曲調が変な話だがマッチしていて、
あのイントロだけで当時の様子を思い出せる。

そうか20年か。
ということは、
ぼくも社会人になって20年たつ訳だ。

彼らはCD売上史上最高を誇る、
スーパーロックデュオになり、
ぼくはジャズシンガー見習いの会社員である。

注目のNHKスペシャル。
ビデオに録画して見た。
ツアーに向けた九州合宿の模様が主で、
予想通り、
松本孝弘が中心。
ボツになった何種類かのソロを採譜して紹介するなど、
ギターキッズにはたまらなかっただろうけど、
ぼくとしては、
稲葉のボーカルテクニックにもっと迫って欲しかった。

印象的だったのは、
ひとつに松本は本当にギターが好きなのだということ。

ふたつに、
稲葉が陸上の朝原に似ているということ。
顔もスタイルも、
寡黙でストイックな面も。

彼はボーカルではない。
あの体力、
あの声。
その維持にかける自己抑制と鍛練は、
アスリートそのものだった。

ちなみに彼とぼくは、
同い年だ。


●「49回目の結婚記念日でした」とカレンダーに書かれていた。見てしまった以上しかたない。亡き親父の代わりに母と外食●難波845のセッション。三重から来たという若い男の子がI'VE GOT YOU UNDER MY SKINを聞いたことのないような躍動感で歌い、びっくり。誰の真似でもなく、自分で研究したのだそうだ。非常に勉強になった●帰宅すると、昼食でおなか一杯になった母は、ぼくの外出中、腹ごなしに自転車で1時間近く走ったそうだ。花の苗を探して。70歳にして血圧136。元気だ。

2008年10月6日月曜日

異常なし

朝食の時、
母がいきなり、

「どーも」

と言うから、
何事かと顔を見やると、
ぼくの読んでいる朝日新聞の別刷りに視線が。

そこは「奇想遺産」というコーナーで、
イタリア・ミラノ大聖堂の写真が載っていたのだが、
何で「どーも」やねんとよく読むと、
大聖堂のある場所が「ドウォーモ広場」となっている。


おぉ


意外なことを知ってるものだと感心していたら、

「そこ、スリが多いねんで」

さすが、
行ったことのある人の言うことは違う。
あなどれない人だと感心していたら、

「さくらがホールインワンやで」

「それは桃子」と訂正してあげたら、
「おかしいなぁ」とブツブツ言いながら、
朝日新聞を読み、
次いで読売新聞を開いている。

真剣に比べている姿に、
「違うわけないやろ」と突っ込むよりも、
思わず笑ってしまった。

母はやっぱり母だった。

●西宮北口のジュンク堂はパラダイスだ。何より、梅田の紀伊国屋などよりすいているのがいい。たまにしか行けないけど、小林秀雄の講演CDと押井守の新書と茂木健一郎の文庫を買ってしまった。下のドトールでもホットコーヒーを飲む季節になった。

2008年10月5日日曜日

散髪

夏のあいだにすっかり伸びた庭木が、
きれいに散髪されて、
母はご機嫌だ。

「あーすっきりしたわ」
と言いながら、
中途半端に伸びたぼくの髪を見る。

西宮北口の美容院で、
短くしたのは春ごろのこと。
床屋とは違うテクニックで、
顔の輪郭をうまく補正するかのような出来栄えは、
とても気に入っていた。

難点は、
ひと月もたつと、
収拾がつかなくなることだった。
短い部分も長い部分も、
伸びる速さは同じだから、
絶妙のバランスはすぐに崩壊する。

整髪剤を何種類か試してみたけど、
元来無精な性格では手に余り、
結局あわてて予約しては、
元のショートに戻してもらってきた、
このあたりは、
床屋の方が「融通」がきくようだ。

じゃあミディアムぐらいに伸ばすには、
一体どうしたらよいのかと尋ねたら、
「しばらく我慢するしかないですね」
と担当の美容師さん。

そこでぼくはハタと、
芸能人がたまにニット帽をかぶっている訳がわかった。
だれしもそういう過渡期があって、
その間は帽子でカバーしているのだ。
そこでぼくも外出時、
夏は野球帽、
最近はニット帽をかぶっている。

さすがに大分伸びてきた。
美容師さんには、
今月中ごろに来るようにと、
言われている。

あと少しの辛抱だ。


●エグベルト・ジスモンチのCD「CIDADE CORACAO」(ECM)を買ったのは去年のこと。「憂鬱と官能を教えた学校」(菊池成孔、大谷能生著、河出書房新社)で現代ブラジル音楽の具体例として「全ての感情が熱消毒されて酩酊しているような、酩酊と覚醒の同居が至極当然であるような、すさまじいリズムの揺らぎ」と紹介されている。昨日、NHK「芸術劇場」で本人を見たが、アマゾンから現われた怪人という印象もあるが、非常に知性的な人だとも感じた。ギターのほかにピアノも弾くとはしならなかった。若いころナディア・ブーランジェ女史に習ったんだそうだ。知らない事だらけだ、世の中は。

2008年10月4日土曜日

恩義

快速電車の窓際の席で、
おじさんが携帯を熱心に眺めている。
どうやらワンセグで、
何かの番組を見ているらしい。

ぼくの携帯は、
昨夏、
それまで持っていたヤツがどうにも嫌になり、
衝動買いしたのだが、
やはりワンセグを見ることができる。

できるのだけど、
実際はほとんど見ない。
見ないというより、
あれって見ることができる場所の方が少なくない?

会社の中、
喫茶店、
もちろん地下。

ぼくの機種が古いからかと、
ドコモショップで尋ねたことがあるけど、
「まぁ公園とか、電車内なら大丈夫ですけど」
と煮え切らない。

第一、
15分ほどしか乗らない通勤電車で、
どうしても見逃せない番組なんて、
ほとんどない。
録画しておけばいいだけだ。

こんなに使えぬのなら、
電話とiモードだの小型軽量機種がいいと、
探してみても、
どうもカメラとワンセグは必須らしい。

そんなワンセグが唯一重宝した時期がある。
買って間がないころ、
約1か月入院した時だ。

夜10時消灯までは談話室でテレビが見れるのだけど、
ぼくが見たいもっぱらNHKの番組は、
そのころから始まる。

布団をかぶってイヤホンで聞きながら、
電波を探りながら毎日のように1、2時間見るのが日課だった。
いつ退院できるのかも分からず、
寂しい入院生活の中、
本当にあの時だけは、
「これ買ってよかった」って思ったよ。

だから1年たって、
もう買い替えてもいいんだけど、
何となく手放せないでいる。


●「マイケル・ジャクソン生誕50周年記念ベストCD」が売り出されると知って笑った。単にマイケル50歳ってことでしょ。普通メモリアルアルバムって、死んでから「生誕100年」とか「没後50年」とかで出すよな。生きながら伝説になっちゃうんだね●読売新聞夕刊小説が今日から伊坂幸太郎「SOSの猿」になった。本屋大賞男。ちょっと読む気になった。ちなみにSOSってSAVE OUR SHIPの略って知らなかった。

2008年10月2日木曜日

合格

アフリカ版「男はつらいよ」という趣の、
Nスペ「悲しき雄ライオン」。

メスが狩ってきた獲物を、
タテガミ揺らして我が物顔で食べてる、
ぼくらがよく知っているオスライオンというのは、
群れのボスだけで、
大半のオスはサバンナを放浪してるんだって。

オスは狩りが下手なので、
放浪組は食いつなぐのがやっと。
イボイノシシ目当てに穴を一生懸命掘るのだけど、
途中で寝てしまってまんまと逃げられる様には、
思わず笑ってしまった。

しかしボスになれるか否かは、
放浪オスにとっては死活問題。
とりあえず空席待ちになるのだけど、
空席ができたからといって、
そこに座るまでがまた大変。

メスは、
その放浪オスがどれだけ強いのか、
じっくり値ぶみする。
この時点では完全な女性上位。
完全無視されてすごすご去っていく奴。
訳もなくメスに顔を張り倒されて、
呆然としている若い奴なんて、
見ていて同情してしまう。

とりあえず群れにとどまることを許されても、
必死でメスのあとをにくっついて、
ご機嫌うかがいばかり。
そして最後の試練は、
よその群れのオスとの決闘。
メスがわざと呼ぶんだから、
そうとうな慎重さというか、
徹底能力調査ぶりだ。

これらの難関を経て、
ようやくメスが合格を決め、
子供を宿すと、
途端に立場が逆転する。
メスは自分がしとめた獲物に手をつけず、
ボスに「差し出す」ようになるのだ。

オスもこうなったらデカイ顔で、
こびへつらっていた姿が嘘のように、
「キング」然としてくるから、
立場が人(いやボス)を育てるというのか、
変わり身が早いというのか。

それでも、
やっぱりボスの権威の原泉は「力」で、
病気にでもなろうものなら、
たちまちメスは次の強いオス探しをゴソゴソ始める。
偉そうにしていられるのも、
立ててくれるメスがいればこそなのである。

すべては種の保存のためであって、
イニシアチブは子供を宿すことのできるメスが握っているのである。
ヒトだって結局は一緒なんではないかなぁ。

こんな、
何年にも渡るドラマチックな群れの変遷を見ると
ライオンだって本能だけで生きているのではなく、
ちゃんとそれぞれの「考え」があるのだろうと思う。
人間のような「理屈」は言わないけど、
それなりの思考体系はあるはずだ。

ところで、
人間の考えというか意識は、
咽頭の発達、
つまり言葉を自由に喋れるようになったことが決定的なんだそうだ。
ヒトをチンパンジーを比べても、
決定的に違うのはそこ。

そうなると、
言葉をメロディーにのせて歌うってのは、
極めて人間的な行為なんだなと思う。

●合格と言えば、大学生の姪の就職が決まった。こっちがこのあいだ就職したばかりのような気がしていたのに●昨日のセッションの録音を、恐る恐る聞いてみた。なかなかいい感じになってきたと、自分では思う●「スクープ」はメディアスクラムの話などではなく、検察に踊らされて他人を傷つける記事ばかり書く女性新聞記者を描いた作品だと言い換えておく●久し振りに聞く歌があって、歌詞が以前と全然違う意味に聞こえたのに驚いた。驚いて涙が出た。

2008年10月1日水曜日

スクープ

秋のDVD鑑賞第2弾は、
「スクープ~悪意の不在~」
ポール・ニューマン主演で、
シドニー・ポラック監督の1981年作品(原題ABSENCE OF MALICE
)だ。

真実を伝えるための報道が、
人を傷つけてしまうという、
今でいうところの、
メディア・クラッシュを扱っている。

ポール・ニューマンは、
彼の演技キャリアから言えば、
結果的に終盤にさしかかっていて、
ぼくとしてはスティングのような、
ウィットに富んだ、
ワルだけど憎めないというような役が好きだけど、
この映画では、
かなり硬派な演技を見せている。

で、
スクープといえば、
「SKOOP ON SOMEBODY」のボーカルを絶賛している人がいたことを思い出し、
YOUTUBEを覗いてみる。
平井堅的に非常に耳障りのよい発声で、
ゴスペル畑出身というのもうなずける。
何と「宇宙のファンタジー」を原キーでカバーしているじゃないか。
すごい音域だ。

一方で、
ミュージックフェアという音楽番組で、
エレファントカシマシと共演しているのがあって、
その中で宮本浩次が歌う「今宵の月のように」の、
ほとんど発声を無視したような強烈なボーカルも、
こりゃまたアリで、
心打つ歌について考えさせられる。

宮本氏はぼくより少し若いけど、
あのパワーは見習わねば。

ポール・ニューマンも還暦過ぎてアカデミー賞を獲った。
ぼくも頑張るぞー

と、
ひとり気合を入れながら、
ネットの旅で秋の夜は更ける。。。

●じゃず家セッション。新曲披露。とにかく歌詞を間違えずに済んだ(と思う)。衝動買いにしては気に入ったナイロンコートを着て、リュックを背負って帰ろうとしたら「どこの山に帰るんですかぁ」と聞かれた。

遺志

30日は親父の13回忌だ。 あーそんなになるのか、 と言うのが率直な感想。 親父が亡くなる直前、 僕は酒を辞めた。 復職して最初のボーナスが出た日、 入院していた病院に行って報告した。 もう親父はかなり弱っていて、 ほとんど喋れなかった。 でも...