夏のあいだにすっかり伸びた庭木が、
きれいに散髪されて、
母はご機嫌だ。
「あーすっきりしたわ」
と言いながら、
中途半端に伸びたぼくの髪を見る。
西宮北口の美容院で、
短くしたのは春ごろのこと。
床屋とは違うテクニックで、
顔の輪郭をうまく補正するかのような出来栄えは、
とても気に入っていた。
難点は、
ひと月もたつと、
収拾がつかなくなることだった。
短い部分も長い部分も、
伸びる速さは同じだから、
絶妙のバランスはすぐに崩壊する。
整髪剤を何種類か試してみたけど、
元来無精な性格では手に余り、
結局あわてて予約しては、
元のショートに戻してもらってきた、
このあたりは、
床屋の方が「融通」がきくようだ。
じゃあミディアムぐらいに伸ばすには、
一体どうしたらよいのかと尋ねたら、
「しばらく我慢するしかないですね」
と担当の美容師さん。
そこでぼくはハタと、
芸能人がたまにニット帽をかぶっている訳がわかった。
だれしもそういう過渡期があって、
その間は帽子でカバーしているのだ。
そこでぼくも外出時、
夏は野球帽、
最近はニット帽をかぶっている。
さすがに大分伸びてきた。
美容師さんには、
今月中ごろに来るようにと、
言われている。
あと少しの辛抱だ。
●エグベルト・ジスモンチのCD「CIDADE CORACAO」(ECM)を買ったのは去年のこと。「憂鬱と官能を教えた学校」(菊池成孔、大谷能生著、河出書房新社)で現代ブラジル音楽の具体例として「全ての感情が熱消毒されて酩酊しているような、酩酊と覚醒の同居が至極当然であるような、すさまじいリズムの揺らぎ」と紹介されている。昨日、NHK「芸術劇場」で本人を見たが、アマゾンから現われた怪人という印象もあるが、非常に知性的な人だとも感じた。ギターのほかにピアノも弾くとはしならなかった。若いころナディア・ブーランジェ女史に習ったんだそうだ。知らない事だらけだ、世の中は。
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