「私たちは知っているものしか見ることができない」
「できそこないの男たち」(福岡伸一著、光文社新書)に出てくる、
この一節を読んで、
ぼくは、
最近考えている様々なことが一気につながったような気がした。
だれかほかにも似たような事を言ったり書いたりしているかもしれないけど、
とにかく、
ぼくの中でのつながりは、
この本を読んだ時から始まった。
たぶんこれから、
この事について折りに触れ書くことになるだろう。
例えば、
この本では、
次のような話が紹介されている。
彼が教える大学の学生に、
膵臓の切片を顕微鏡観察させ、
スケッチさせてみると、
何とも頼りない絵しか描けない。
それは、
彼らは膵臓細胞がどのような形をしているか知らないからだ。
ジグソーパズルの1ピースだけで、
何の絵か当てることは至難の技だ。
知っているものしか見えないとは、
そういうことだ。
あるいは、
コインが消える手品。
ぼくが子どものころからあるから、
古典的なのだろうが、
いまでも、
大人でさえ、
驚くほど驚く。
おもちゃ屋で買って、
やったことがあるから、
間違いない。
心理的盲点とでもいうところを、
見事に突いている。
膵臓の件も手品の件も、
同じ事を示している。
「できそこない」にはこんな言葉もある。
「イマジネーションの閾値」
●手品の種を番組で明かしたテレビ局を訴えたマジシャンが敗訴したそうだ。とんでもないことだと思う●奈良の正倉院展を訪れた皇后さん、展示物を見て「せんとくんみたい」と言ったとか。これで「せんとくん」安泰だな。よかった。
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