2008年11月7日金曜日

光景

JR甲子園口駅は、
ホームに上がる階段が東の端にしかなくて、
だから、
大阪方面への各駅停車にはは、
自然と先頭車両から乗ることになる。

今日の昼過ぎもそうして、
ぼくは電車に入った。


黄黄黄黄 黄黄黄黄黄黄黄 黄黄黄黄黄黄黄 黄黄黄黄黄黄黄 黄黄黄黄


黄黄黄黄 黄黄黄黄黄黄黄 黄黄黄黄黄黄黄 黄黄黄黄黄黄黄 黄黄黄黄


という光景が目に入った。


黄色い帽子をかぶった幼稚園児が、
みごとに席を埋めていた。


こりゃちょっと苦手だと思い、
二両目に行こうとしたが、





赤赤赤赤 赤赤赤赤赤赤赤 赤赤赤赤赤赤赤 赤赤赤赤赤赤赤 赤赤赤赤


赤赤赤赤 赤赤赤赤赤赤赤 赤赤赤赤赤赤赤 赤赤赤赤赤赤赤 赤赤赤赤




となっていたので、
1両目の一番後ろのドアのところで立つことにした。


園児らは、
行儀よく座っている。



どうせ次で降りるだろう。


そう読んでいたら、
降りない。


その次でも降りない。


大阪駅まではあと2駅だ。




その時。



一人のおばあさんが、
2両目から「避難」してきた。

手には杖を持っている。



おばあさんはしゃれた洋服を着ていて、
杖は持ってはいるもののつかつかと、
意外にしっかりした足取りで前へ歩いて行く。


先頭には優先座席があるが、
もちろんそこも黄色で埋まっていた。

どうなるのかと思って見ていたら、
おばあさんは一番前の手前のドアのところで立ち止まってしまった。

ぼくが行って先生に何か言ってみようかと思ったものの、
いやきっと先生も気がついておばあさんに席を譲らせるだろうと、
そう考え直してしばらく様子を見ていた。

2駅目と3駅目の間、
つまり尼崎と塚本の間で、
ようやく先生が優先座席の園児を全員立たせた、
園児らは運転席のところに駆け寄り、
走る電車の前方を喜んで見始めた。

ところが、
先生はおばあさんに何も声をかけなかった。

だから、
綺麗に黄色で埋まった座席とポッカリ空いた優先座席、
そして、
そのそばに立つおばあさんという、
誠に奇妙な光景ができあがった。

少し立たせるタイミングが遅かったために、
一言「よろしかったらお座りください」と言わなかったばかりに、
おばあさんは座りそびれてしまった。

塚本に着くと、
さらに一人おじいさんが乗ってきて、
また優先座席のそばで立った。

ぼくも含めた皆が、
微妙な心のバランスを保ったまま、
大阪駅に着いてしまった。


大阪駅では流石にたくさんの人が待っていた。
ぼくは降りたが、
園児はまだ先へ行くようだった。


それからのことは、
だからわからない。


●三宮グレート・ブルーのセッション。第1木曜日への参加は初めてだった。自転車乗りは、着実にうまくなっていると思う●17年前にウナギ研究を始めた。当時、ウナギは幼生期には何を食べるのかさえわからない未知の魚だった。「プランクトンや魚粉などを試したが、エサを与えれば死ぬ、の連続だった。失敗するたびに不整脈や目まいに襲われた。4年後、サメの卵を食べることを突き止めた(読売6日夕刊社会面「明日へ 微妙で繊細 ウナギ繁殖」)●「ボストンで勝ったあと、街を堂々と歩いている自分がいたの。ずっとコンプレックスのかたまりだったのに、やせっぽちの体も短い足も、もう気にならない。私は小さいけれど性能は世界一なんだ、と」(朝日6日夕刊「ニッポン人脈記」1974年のボストンマラソン優勝・ゴーマン美智子さん)

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