2008年11月27日木曜日

経験

ぼくは運動音痴だ。


こどもの時は別として、
キャッチボールさえ満足にできないのだから、
もはや運動神経が切れているというより、
消滅してしまったのではないかとさえ思える。

その分、
スポーツ観戦は好きだ。
ひとつの試合そのものも面白い。
だが何十年も見ていると、
ある選手のデビューから引退まで、
例えばプロ野球の清原、桑田など、
甲子園球児だったころから知っているわけで、
その浮沈というか、
競技人生に、
自分の生きざまを重ねもする。



特にゴルフなどメンタルな要素の強い競技に言えるのだが、
経験を積むことがマイナスになることがあるように思える。
今、
男子ではプロデビューした石川遼が飛ぶ鳥を落とす勢いだ。
彼に実力があることは間違いないが、
快進撃を支えているのは、
「怖いもの知らず」だという面は多いにあるだろう。

痛い経験を重ねれば、
心では思いきっていても、
体が踏み込めなくなってしまう。

石川の大先輩にあたる中嶋常幸は若いころ、
日本のゴルフ界を尾崎や青木らとともに支えてきたが、
そんな彼でも一時は、
パットがまともに打てないほどの状態に落ち込んだ。

いわゆる「スランプ」だ。

体力は特に問題なし。
技術は若いころより上達している。
なのに成績が芳しくない場合、
それまでの経験が悪い方向に作用している場合がある。



スランプに見舞われた時、
トップアスリートらはどう克服しているのかというと、
これはもう「練習」しかないようだ。
いつもと同じメニューを繰り返し、
結果が出なくても腐らず続ける。
時間の長短はあっても、
いつか抜け出る日がくることを信じる。

変に試行錯誤すると、
かえって泥沼に落ち込むこともあるようだから、
その辺は要注意だ。


人生だって似たようなところがあるなと思う。
経験が悪さして思いきれない。
ふっ切ったつもりでも、
体が拒絶する。


「それはやめといた方がいいよ」


内なる囁きは、
経験の賜物ともいえるけど、
俗にいう「弱気の虫」の場合もある。
確かに正解であることが多い。
そんな時は、
ただフフンとやり過ごすのみ。


いつか体が、
「行こうよ」
と言い出すまで、
そこに留まるしかない。

じっと耳をすまして、
「自分」の声を聞く。
「ゴー」なのか「ステイ」なのか。
ひたすら聞く。



肝心なのは、
「ゴー」の声を聞き洩らさないことだ。


●近所にできた大型店に、4日連続通っている母。まだ誰も知り合いに会わないそうで「みんなサボってるわ」と愚痴る。地域活性化にも燃えているのだな●ちょっと久しぶりにたなかりかさんのライブへ三宮・グレートブルーへ。彼女の唄は、いわゆる「ソウルフル」なんだよ。こっちの魂をわしづかみする感じ。

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