イチローが以前、
「仰木監督に出会ってなければ、もっと凄い選手になっていたかもしれない」
という趣旨のことを言っていて、
非常に興味深く思った。
「仰木監督」というのは、
亡くなった仰木彬氏のことで、
オリックス時代に2軍にいた鈴木一朗の才能を見抜き、
「イチロー」と名付けて1軍に抜擢した名伯楽である。
その大恩人に出会ってなかったら「もっと凄い選手になっていたかも」など、
並みの人間には口が裂けても言えまい。
ぼくは何も、
イチローが恩知らずとか、
うぬぼれているなどと言いたいわけではない。
イチローの言葉から、
「出会い」について考えてみたいのだ。
あの人がいなかったら今の自分はない。
それは真実だ。
出会った結果として今のその人がいるのだから。
でも違う人と出会っていれば、
違う自分になっていたはずだ。
こういう考えを広げていくと、
世界中のすべての人がいる(いた)からこそ、
今の自分であるということになり、
結局、
「君がいてぼくがいる」と、
チャーリー浜のギャグになってしまう。
よく、
「出会うべくして出会った」とか、
「運命の出会い」とかいう言い方があるけど、
本当にそんなものはあるのだろうか。
誰かと出会い、
友達になったり、
恋人になったり、
夫婦になったり、
いがみ合ったり、
憎しみ合ったり、
何とも思わずにいたり、
そんな遥かな積み重ねの上に自分がある。
この私は、
過去に出会ったあらゆる人の賜物であって、
後戻りはできない。
もっと前にこの人と出会っていたらとか、
あの人とあの時会わなければよかったとか、
いくら考えても答えはない。
どんなにあがいても、
人は時間のレールを逆行はできない。
人は前しか向けない。
だから、
イチローの言っていることは、
「たら、れば」を言っても仕方がないという、
滅茶苦茶ポジティブな人生観を、
逆説的に言っているわけだ。
イチローが言いたいのは、
仰木監督が「いたからこそ」今の自分がいるんだということを、
「!!!」という感じで表現しているわけだ。
なぁるほど、
そういう感謝の表わし方もあるのか。
●一時帰宅したので、以前に書きかけて保存しておいた文章に手を加えて掲載しました●ここ数日、ほんとにいい天気で、気持ち良くて。。。
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