2008年11月14日金曜日

出会い

イチローが以前、
「仰木監督に出会ってなければ、もっと凄い選手になっていたかもしれない」
という趣旨のことを言っていて、
非常に興味深く思った。

「仰木監督」というのは、
亡くなった仰木彬氏のことで、
オリックス時代に2軍にいた鈴木一朗の才能を見抜き、
「イチロー」と名付けて1軍に抜擢した名伯楽である。

その大恩人に出会ってなかったら「もっと凄い選手になっていたかも」など、
並みの人間には口が裂けても言えまい。


ぼくは何も、
イチローが恩知らずとか、
うぬぼれているなどと言いたいわけではない。
イチローの言葉から、
「出会い」について考えてみたいのだ。


あの人がいなかったら今の自分はない。
それは真実だ。
出会った結果として今のその人がいるのだから。

でも違う人と出会っていれば、
違う自分になっていたはずだ。

こういう考えを広げていくと、
世界中のすべての人がいる(いた)からこそ、
今の自分であるということになり、
結局、
「君がいてぼくがいる」と、
チャーリー浜のギャグになってしまう。


よく、
「出会うべくして出会った」とか、
「運命の出会い」とかいう言い方があるけど、
本当にそんなものはあるのだろうか。

誰かと出会い、
友達になったり、
恋人になったり、
夫婦になったり、
いがみ合ったり、
憎しみ合ったり、
何とも思わずにいたり、
そんな遥かな積み重ねの上に自分がある。

この私は、
過去に出会ったあらゆる人の賜物であって、
後戻りはできない。
もっと前にこの人と出会っていたらとか、
あの人とあの時会わなければよかったとか、
いくら考えても答えはない。

どんなにあがいても、
人は時間のレールを逆行はできない。
人は前しか向けない。


だから、
イチローの言っていることは、
「たら、れば」を言っても仕方がないという、
滅茶苦茶ポジティブな人生観を、
逆説的に言っているわけだ。

イチローが言いたいのは、
仰木監督が「いたからこそ」今の自分がいるんだということを、
「!!!」という感じで表現しているわけだ。

なぁるほど、
そういう感謝の表わし方もあるのか。


●一時帰宅したので、以前に書きかけて保存しておいた文章に手を加えて掲載しました●ここ数日、ほんとにいい天気で、気持ち良くて。。。

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