大江健三郎1958年の作品に、
「見るまえに跳べ」っていうのがあって、
読んではいないのだけど、
「いかにも」
っていう感じで、
若かった僕は惹きつけられ、
今でもこうやって思い出す。
若者は後先考えず無茶をして、
その「向こう見ずさ」は特権だと、
多くの人は言う。
ぼくもそう思っていた。
でも、
最近、
きっと今の方が無茶ができてると感じる。
若いころのぼくは、
傍目にはかなり「危ない橋」を渡っているように見えたと思うけど、
実際は、
無茶をしているようでいて、
どこかしらセーブしていたと思う。
ブレーキとアクセルを同時に踏んでいるような。。。
それはきっと、
「人生の先」が見えなかったからだ。
普通は先が見えないから無茶できると思うのだろうが、
ぼくは、
不安が拭えず、
無茶しきれていなかった。
あと何十年も社会の一線にいられるわけではないと知った今、
ぼくは逆に無茶ができる。
「分別ついたいい大人」と言われる年になって初めて、
ぼくはぼくの人生を思い残すことなく飛びまわれるような気がする。
誤解されたくないのは、
滅茶苦茶とか、
自爆覚悟とか、
破れかぶれとか、
そんなんじゃないということだ。
「無茶すべき方向」が分かったということだ。
若いころは、
その方向がわからなかった。
だから、
何もかも中途半端だった。
人生が墜落、
すわ激突、
炎上、
もう死ぬ、、、
というその寸前で、
ようやくそれに気づいた。
結局ぼくは、
「見たあとでし跳べなかった」わけだが、
それでも、
跳ばずに終わるより、
ずっとましだろ?
●もっとも、若いころセーブしてなきゃ、すでに絶対この世にいなかっただろうが●業務連絡です。同級生のみんな、ありがとう。本当に貴重な時間でした。(少なくとも)来年2月1日にまた会おう!●朝日新聞朝刊1面に「ドバイ夢の跡」と。金融危機の影響をもろに受けて、ビル工事がとどこをっちゃって、外国人労働者が仕事にあぶれ、スラム化しているのだとか。NHK「沸騰都市」の第一回で「砂漠にわき出た巨大マネー」を見て驚いたのは、昨年の5月。まだ一年もたっていない!●おそらく誰も気づいてないが、今日はぼくなりにひとつ「無茶」をした。ぼくの「無茶」なんて、そんなもんだ。
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