2009年2月27日金曜日

信念

「革命」という言葉は日本人には馴染みが薄い。
少なくとも日本史上「革命」と呼べる出来事はない。

しかし世界に目をやれば、
イラン革命が起きたのはたった30年前のこと。
その後の世界情勢をみると、
この革命は現在進行形であることが分かる。

革命が起きる重要なきっかけは圧政だろうが、
成就させるにはなくてはならないものがある。
それは比喩ではない「命がけ」の市民の存在だ。



命は何よりも大切だ。
一人の命は「地球よりも重い」とも言う。
それは限りなく100パーセント正しい。

でも果たしてそれは絶対的真理と言えるだろうか。
1パーセントの例外もないのだろうか。

自殺も他殺も絶対にいけない。
でも、
ある信念が自分の命よりも大切だと思うことは、
実は何よりも人間的なことではないか。



命を紡ぎ守ること。
健康で長生きすること。
どれも本当に大切なことだ。
くどいようだが命は粗末にしてはならない。

しかし「近代資本主義」は、
人の命までをも「価値」に換算し、
流通させようとする。

命を粗末にしてはならないと思うが故に、
一生懸命自分探しをし、
スキルを磨き、
自己の「価値」を高め市場に差し出す。



メタボはダメ。
煙草もだめ。
健康で長生きして働いて、
有意義な老後を暮らし、
いよいよ駄目だとなれば、
死への医療コンベアーに乗せられる。



希望

欲望
不安。。。

あらゆる感情は市場の明るみに並べられ、
文字通り「ゆりかごから墓場まで」
人間が隠れられる闇はもはや焦土と化した。

そんな現代で、
いつものように仕事をし、
流行を追い求め、
物質文明の恩恵を受けながらも、
「ぼくの命はぼくのものだ」という信念は、
手放してはならないと思う。



自戒を込めて。


●参考「衆生の倫理」(石川忠司著、ちくま新書)

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