「革命」という言葉は日本人には馴染みが薄い。
少なくとも日本史上「革命」と呼べる出来事はない。
しかし世界に目をやれば、
イラン革命が起きたのはたった30年前のこと。
その後の世界情勢をみると、
この革命は現在進行形であることが分かる。
革命が起きる重要なきっかけは圧政だろうが、
成就させるにはなくてはならないものがある。
それは比喩ではない「命がけ」の市民の存在だ。
命は何よりも大切だ。
一人の命は「地球よりも重い」とも言う。
それは限りなく100パーセント正しい。
でも果たしてそれは絶対的真理と言えるだろうか。
1パーセントの例外もないのだろうか。
自殺も他殺も絶対にいけない。
でも、
ある信念が自分の命よりも大切だと思うことは、
実は何よりも人間的なことではないか。
命を紡ぎ守ること。
健康で長生きすること。
どれも本当に大切なことだ。
くどいようだが命は粗末にしてはならない。
しかし「近代資本主義」は、
人の命までをも「価値」に換算し、
流通させようとする。
命を粗末にしてはならないと思うが故に、
一生懸命自分探しをし、
スキルを磨き、
自己の「価値」を高め市場に差し出す。
メタボはダメ。
煙草もだめ。
健康で長生きして働いて、
有意義な老後を暮らし、
いよいよ駄目だとなれば、
死への医療コンベアーに乗せられる。
愛
希望
夢
欲望
不安。。。
あらゆる感情は市場の明るみに並べられ、
文字通り「ゆりかごから墓場まで」
人間が隠れられる闇はもはや焦土と化した。
そんな現代で、
いつものように仕事をし、
流行を追い求め、
物質文明の恩恵を受けながらも、
「ぼくの命はぼくのものだ」という信念は、
手放してはならないと思う。
自戒を込めて。
●参考「衆生の倫理」(石川忠司著、ちくま新書)
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