京都大学で〝英才教育〟を受けているチンパンジーのドキュメンタリーを見た。
仕事の合間のほんの10分間ほどだったけど、
ひどく印象に残った。
それは子供のチンパンジーが小さな穴の向こうにある蜂蜜をとるシーンだった。
子供は大人がやっている姿の見よう見まねで、
穴からゴムチューブを差し込もうとするのだけど、
最初は穴に入れることすらできない。
ようやく入っても、
中でうまい具合にチューブが動いてくれない。
その時の子供チンパンジーが見せる口は、
紛れもなく人間と同じで「イー」ってなってる。
今にも切れそうな必死の表情。
そして、
何とかチューブが蜂蜜にたどり着いた瞬間の、
まるで頭の中に電球が灯ったような、
「ヤッター」という顔。
いや、
こちらの顔もほころんだ。
「できた」のか「できっちゃった」のかはともかく、
悩んだ末に、
ふいに正解が舞い降りてきたみたいな瞬間って、
人間だって誰しも、
子供のころには数限りなく経験しているはずだ。
でもなかなか他人のその場に居合わせることってできない。
そういう意味では、
たとえチンパンジーであっても、
貴重な場面を見せてもらったと思った。
ぼくはこれからも、
あんな表情をできるだろうか。
純粋に何かにぶつかって、
何度跳ね返されても飽くことなく繰り返し、
どこに出口があるかも、
いつ答えが出るのかも、
そして、
そもそも答えと呼べるものがあるのかどうかさえわからぬ不安に耐え、
何かに挑み続けられるだろうか。。。
●一昨年の末に、近所の喫茶店でパズルが完成した時は、たぶんあんな顔だっただろうなぁ●どーしちゃったの?というほど暖かな一日。さすがにダウンは着なかった。
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