2009年2月12日木曜日

真相

1984年ロス五輪で、
柔道無差別級の山下泰裕選手は、
右足を痛めながら金メダルをとり、
国民栄誉賞にも輝いた。

あの時、
決勝の相手だったエジプトのラシュワン選手は、
山下の右足を攻めなかった。
抑え込みで敗れたものの、
彼はユネスコ「国際フェアプレー賞」を受賞した。




とここまではよく知られた話。
しかし、
先日のNHK「スポーツ大陸」では、
ラシュワンは「山下の右足を狙っていた」と語っているではないか。

山下は、
その攻撃を反射的にかわし、
間髪入れず、
左足を軸にして相手を倒した。
番組では、
この反応こそ、
山下の鍛練の賜物だみたいに称賛していた。



確かに、
そう言われて映像を見ると、
そのようにも見える。

じゃあ、
あの時の美談は、
「ラシュワンいい人」と思った子供心は、
根本的に間違っていたのか。。。
当時と今と、
どちらの話が本当なのか。




確かに、
どちらの話でも、
そうだと思って映像を見れば、
そのように見える(見えた)。
でも、
あの当時は、
ラシュワンの美談が本当に見えた。

これ、
深入りしないけど、
大事なことだと思う。

いずれにせよ、
はっきりしてるのは、
あの痛々しい山下が、
絶好調だったラシュワンに勝ったのが、
「奇跡」だということ。




1984年当時、
この奇跡をどう説明すれば、
周囲が納得し、
喜んだか。

今と同じ説明では、
当時なら「ラシュワンひどい奴」とならなかったか。
あるいは、
今ならば、
当時の説明は、
フェアプレーというより、
逆に「アンフェア」と評価されるかもしれない。



上書き情報が正しいとは限らないのだ。


●この話は以前にも書いた記憶があるような。。。でもまぁいいか●サッカー日豪戦。0-0の結果に一番ホッとしているのは、2本しかシュートを打たれなかったGK都築では?

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