2011年4月2日土曜日

証言

昼過ぎ、
同級生の女性からメール。

先ほどガスの開栓が完了してライフラインがすべて復旧しました‼

そう。
彼女は長いこと仙台に暮らしているのだ。

地震があった直後、
ぼくは彼女にメールした。
その返信は短くて簡潔だった。

とりあえず全員無事です。家の中ぐちゃぐちゃ

あらら、
でもよかった。

その次の彼女からのメールは13日

連絡ありがとう。充電が切れていてなかなか連絡できませんでした。
ライフラインアウトですが電気は近くまで復旧してるみたいです。
パパの会社がライフラインが復旧しているので水は確保できています。
一応家に家族全員無事にいます。
余震が止まらないので怖いです。

水と電気は確保か。
まずまず悪くない。

その次は14日。

家の近辺は仙台市でもましな方のところです。
昨夜8時頃電気もつながりました。水もマンションの貯水槽の分は制限付で少し使ってもよいと通達がありました。
携帯はなかなか繋がらない。新聞も昨日の午後地震後初めて届きました。テレビは電気が繋がってからです。ラジオはずっと聞いていましたが不安でした。
今も余震は絶えることはありません。食糧やカセットコンロのガスはいつなくなるのかも心配です。
公衆電話も一度かけに行きましたがかなりの行列です。息子は朝7時に出かけ開いている店に2時間程並び、実際欲しいものは当然手に入らずです。家の向かいに台原森林公園という青葉区の給水所がありますが、車と人だらけです。青葉区の給水所は3ヶ所、少なすぎます。信号が消えている所は車も人も命がけです。近所のガソリンスタンドも昨日はほとんど営業していませんでした。
マンションのご近所の方と声を掛け合ったり、情報を頂いたりして助かっています。
お年寄りや乳幼児、病人のいる家はもっと大変だと思います。
原発のことも含めて多分これからまたいろいろ問題が出てくると思います。
福島の浪江にお住まいの知り合いが被爆したかもとも聞きました。
余震が続く中、不安だらけです。

混乱と不安な様子が手に取るように伝わってくる。
なのにぼくは駆け付けることもできない。
ただ見守るしかできなかった。

「これから起きることを出来るだけ記録して欲しい」とだけメールして、
以後は連絡を控えた。

そして今日のメールである。
ライフラインの完全復旧を伝える文字が弾んで見えた。

「帰っておいでよ」

仙台空港がひどい状態だけど復旧したら帰ります。
ガスも家は早い方でまだまだ復旧率は20%以下みたいです。
気仙沼の知り合いに会いに行った友達は、映像や写真で見る何倍もひどい状態だったと言っていました。

彼女の実家はこちらにあるのだ。

そして、
やっぱり現実は、
報道されているよりずっとひどいんだ。

無理もない。
だって、
報道される人たちは、
少なくとも取材されるだけの力があるってことだもの。

そんな声も出せない人たちが、
至る所にいるのだろう。

是非こちらで、
報告会を開いてほしい。

●ゆうちゃん、無断で転載してごめんね。でも本当によく辛抱したね~●業務連絡。土曜日はチョコパを食べる予定です。

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