2014年3月1日土曜日

挑戦

浅田真央の特番を見た。

彼女のことを最初に印象づけられたのは、
トリノ五輪に年齢が3か月足りなくて出れなかった時。

たぶん、
あの時に出れていれば、
荒川静香ではなく真央が金だったのでは?

もしそうだったら、
荒川の人生も真央の人生も、
今とは全く違ったものになっていただろう。

規定とはいえ、
なんとも恨めしい3か月だったな。

結果、
真央はバンクーバーで「残念な」銀メダルとなり、
ソチでは6位。

フリーの演技は世界中で賞賛されたようだけど、
6位は6位。

勝手な予想だけど、
これで真央はまた4年後の平昌まで、
辞めるに辞めれなくなってしまったと思う。

本人の意思というより、
周囲の大人の思惑で。

ソチできっぱり辞めるためにも、
真央は金メダルを取る必要があった。

年齢的にもギリギリで金を取ってスッパリ引退した荒川と、
国民の期待を一身に受けながら、
過酷な練習を何年も続ける真央。

いやはや、、、

バンクーバーからの4年のスケーティングの改造を、
佐藤コーチは、
「右利きの人が左手ではさみを使えるようにするようなもの」
と表現していた。

素人の見た目ではわからないけれど、
彼女が取り組んで来たのは、
右利きを左利きに変えるぐらいの、
大冒険だったわけだ。

その挑戦する心には、
心から拍手を贈りたいと思った。

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