浅田真央の特番を見た。
彼女のことを最初に印象づけられたのは、
トリノ五輪に年齢が3か月足りなくて出れなかった時。
たぶん、
あの時に出れていれば、
荒川静香ではなく真央が金だったのでは?
もしそうだったら、
荒川の人生も真央の人生も、
今とは全く違ったものになっていただろう。
規定とはいえ、
なんとも恨めしい3か月だったな。
結果、
真央はバンクーバーで「残念な」銀メダルとなり、
ソチでは6位。
フリーの演技は世界中で賞賛されたようだけど、
6位は6位。
勝手な予想だけど、
これで真央はまた4年後の平昌まで、
辞めるに辞めれなくなってしまったと思う。
本人の意思というより、
周囲の大人の思惑で。
ソチできっぱり辞めるためにも、
真央は金メダルを取る必要があった。
年齢的にもギリギリで金を取ってスッパリ引退した荒川と、
国民の期待を一身に受けながら、
過酷な練習を何年も続ける真央。
いやはや、、、
バンクーバーからの4年のスケーティングの改造を、
佐藤コーチは、
「右利きの人が左手ではさみを使えるようにするようなもの」
と表現していた。
素人の見た目ではわからないけれど、
彼女が取り組んで来たのは、
右利きを左利きに変えるぐらいの、
大冒険だったわけだ。
その挑戦する心には、
心から拍手を贈りたいと思った。
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