2008年11月30日日曜日

リセット

小室哲哉氏が釈放された時、
「人生をリセット」したいというような事を言っていて、
そりゃ違うなと思った。

「一からやり直す」という事を、
キザに表現したのだろうが、
人生は、
「一からやり直す」ことも、
「リセット」することもできはしない。



例えば、
人は誰でも生まれながらに自転車に乗れる訳ではない。
たいていはこどもの頃、
三輪車から初めて、
補助輪を一つづつはずして、
何度もこけて、
ある時、
乗れるようになったと思う。

では、
そうやって自転車に乗ることができる人が、
もう一度、
「自転車に乗れない人」になれるだろうか?

「乗らない」ことはできても、
「乗れない」状態に戻ることはできまい。
「人生をリセットする」というのは、
これと同じ不可能なことだ。



「何事も経験だ」と人は安易に使う。
しかし、
この前ゴルフの話でも書いたように、
経験というものは、
必ずしも役に立つものばかりではない。

人生においては、
「しなければいい経験」
「してはいけない経験」
というのもきっとあるのだろう。

何かを経験してしまった以上、
それ以前の自分には、
あらゆる意味で戻れない。



時は自分の意思とは無関係に過ぎていく。
だから当然、
人は常に何がしか経験を重ね続け、
変わっていく。
誰にもそれは止めることができない。

大病や、
事件や、
そんなことではなくても、
人は一瞬たりとも同じ自分ではいられない。


粘土細工のように、
うまく行かなければぐちゃぐちゃにして、
作り直すことはできない。

かといって石像でもあるまい。
一度ノミを振るったら最後、
失敗は絶対に許されない、
ということもないはずだ。



45年ほど生きてきたぼくなど、
他人から見れば、
「しなきゃいい」経験ばかり重ねてきたかもしれない。
石像だったら、
もうとっくに破たんして、
ゴミ捨て場行きだ。
陶芸家は気に入らない作品を、
惜しげもなく割るけど、
ぼくが焼き物なら、
ぼくはあの破片だ。

結局、
人生は油絵のようなものか。
塗り重ねて塗り重ねて、
行き詰ってもう一度真白く塗りなおして、
でもその白地の奥には、
うっすらと以前の色が見えるような。

その反射光に、
まっさらなキャンパスに描いたのとは異なる、
何がしかの深みが出ることを期待しながら。
絶対に「糊塗」ではないと、
自分に言い聞かせながら。



そうして、
完成することのない絵を、
いつまでも描き続けるしかない。


●NHKスペシャル「プロ魂」。王監督、「人間なんだから失敗もすると思っては駄目なんです。プロは人間じゃ駄目なんです」。あのまなざしで言われると、どんな事でも「真理」に思える●浅田真央。成功した3回転半の一瞬の鮮やかさはさすが。

2008年11月29日土曜日

手帳

今日、
正確には昨日、
出勤したら、
来年の手帳とカレンダーが配られた。

で、
改めて今の手帳をパラパラめくってみた。

一昨年の11月19日にスタートしていて、
25日には親父が意識不明で入院している。
12月9日に亡くなるまでの、
怒涛の日々の始まりだった。
その間、
病状や見舞いの人についての記述がある。



亡くなってからしばらくは、
仕事の予定だけの日が続いて、
2月中頃から、
ライブやセッションの予定が見られ出す。

追うようにして、
歯医者や美容院の予約、
目にとまった本やCDのタイトルが、
乱雑に書き込まれるように。

6月8日には、
武庫之荘・Mクアトロ昼下がりライブに出させてもらった。
このブログを始めたのもそのころだ。

最近は、
発声についての覚書なども見られる。

親父が死んでから、
少しずつ気持ちを立て直してきた様が、
こんなわずかな記述や字の大きさから、
手に取るようにわかる。


辛さ、
悲しさ、
嬉しさ、
喜び、
満足、
怒り、
無念、
後悔、
希望。。。


様々な思いが交錯し、
過ぎ去った一年。
ぼくは少しは成長しただろうか?



今の手帳の表紙は黒。
来年のは明るいベージュだ。

会社の気まぐれで毎年違うのだが、
これほど明るい色は記憶にない。

この色のような、
暖かい一年になればいいのになぁと思う。

2008年11月28日金曜日

麻生病

「こーざんびょー」



母が言うからには、
十中八九言い間違いだと思い、
「そりゃ膠原病やろ」と直してあげた。



「そうそう、こーげんびょう」



そうやろ、
高山病の人が母の周囲にいるはずがない。
やっぱり膠原病だ。


これで一件落着、
あぁいつもの母だネと思っていたら、



「やっぱり高いところでなる病気やろ」



どうも変だ。


少し話を聞いてみて分かった。
なんと、
母は「高原病」だと思っていたのだ!


気付かなかった。
間違え方が複雑になっているゼ!


しかし、
今回ばかりは母にも理由があった。
母の友人から母あての携帯メールには、
確かに「高原病」と書かれていたのだ。

それで母はなんとなく、
高山病と納得していたのだった。



麻生病が広がっている。


●ポメラをアマゾンで衝動買いした。さて、ポメラって何でしょう?届いたら感想書きます●BSハイビジョンや民放のBSが視聴可能になり、魅力的な番組が増えたのはいいが、全部見られない。嬉しい悲鳴だ●渡辺竜王、3連敗の剣が峰で一矢報いる。奥様のブログ「妻の小言。」も嬉しそうだ。よかった。

2008年11月27日木曜日

経験

ぼくは運動音痴だ。


こどもの時は別として、
キャッチボールさえ満足にできないのだから、
もはや運動神経が切れているというより、
消滅してしまったのではないかとさえ思える。

その分、
スポーツ観戦は好きだ。
ひとつの試合そのものも面白い。
だが何十年も見ていると、
ある選手のデビューから引退まで、
例えばプロ野球の清原、桑田など、
甲子園球児だったころから知っているわけで、
その浮沈というか、
競技人生に、
自分の生きざまを重ねもする。



特にゴルフなどメンタルな要素の強い競技に言えるのだが、
経験を積むことがマイナスになることがあるように思える。
今、
男子ではプロデビューした石川遼が飛ぶ鳥を落とす勢いだ。
彼に実力があることは間違いないが、
快進撃を支えているのは、
「怖いもの知らず」だという面は多いにあるだろう。

痛い経験を重ねれば、
心では思いきっていても、
体が踏み込めなくなってしまう。

石川の大先輩にあたる中嶋常幸は若いころ、
日本のゴルフ界を尾崎や青木らとともに支えてきたが、
そんな彼でも一時は、
パットがまともに打てないほどの状態に落ち込んだ。

いわゆる「スランプ」だ。

体力は特に問題なし。
技術は若いころより上達している。
なのに成績が芳しくない場合、
それまでの経験が悪い方向に作用している場合がある。



スランプに見舞われた時、
トップアスリートらはどう克服しているのかというと、
これはもう「練習」しかないようだ。
いつもと同じメニューを繰り返し、
結果が出なくても腐らず続ける。
時間の長短はあっても、
いつか抜け出る日がくることを信じる。

変に試行錯誤すると、
かえって泥沼に落ち込むこともあるようだから、
その辺は要注意だ。


人生だって似たようなところがあるなと思う。
経験が悪さして思いきれない。
ふっ切ったつもりでも、
体が拒絶する。


「それはやめといた方がいいよ」


内なる囁きは、
経験の賜物ともいえるけど、
俗にいう「弱気の虫」の場合もある。
確かに正解であることが多い。
そんな時は、
ただフフンとやり過ごすのみ。


いつか体が、
「行こうよ」
と言い出すまで、
そこに留まるしかない。

じっと耳をすまして、
「自分」の声を聞く。
「ゴー」なのか「ステイ」なのか。
ひたすら聞く。



肝心なのは、
「ゴー」の声を聞き洩らさないことだ。


●近所にできた大型店に、4日連続通っている母。まだ誰も知り合いに会わないそうで「みんなサボってるわ」と愚痴る。地域活性化にも燃えているのだな●ちょっと久しぶりにたなかりかさんのライブへ三宮・グレートブルーへ。彼女の唄は、いわゆる「ソウルフル」なんだよ。こっちの魂をわしづかみする感じ。

2008年11月26日水曜日

気分

去年の12月29日に、
ぼくはこんなブログを書いていた。
「パズル」と題されている。


きょうから2日まで年末年始休暇だ。
僕の周辺はちっとも慌ただしくなく、
たまぁーに行く喫茶店に寄ってみた。

本を読もうと思っていたのだけれど、
カウンターの上に木製パズルらしきものがあり、
何気に手にしてカチャカチャ動かしていると、
バラッと一気に崩れた。

焦ってはいけない。
パズルなんだから元に戻るはずだし、
復元できなくても店の人に泣きついたらいいだけ。
そう気楽な気持ちになって復元に挑み始めた。


頼れるのは、
元の姿のイメージと、
崩れた時の手と目の記憶だけ。
直角の刻み目が二か所ずつ入った同じ形の木製角柱6本が、
二本ずつ対になって、
縦横斜めに組み合わさっていたはずだ。
崩れた時は、確か二分割して斜めにすべり落ちたと思う。

だからとりあえず3本ひと組の塊を作ってみることにした。
こういうパズルは、
絶対に無用な隙間はできないはずだから、
組み合わせは限られているはずなんだけど、
なかなかうまくいかない。

頭の中のイメージはなんとなくあって、
きっとそれらの木のパーツを手にしたら、
普通はそうするだろうという組み合わせではない組み合わせなんだ。
それが意外な角度でスルッとはまるはずだ。

常識を振り払い、
意外性を先取りするように心がけて何度も試してみる。
幸い他の客は奥の方にいるカップルだけのようで、
あまり周囲の目は気にせずに済む。
カウンターの中の女性も、
余計な関心は払わない。

冷静にコトを進めた。
とにかく冷静に。
冷静に、
と言い聞かせている自分は、
すでにこのパズルにかなり熱くなっていることに気づく。

煙草も2本しか吸わず、
1時間近くたって、
ようやくこのパズルの「文法」が分かってきた。
無駄な隙間は出来ないはず。
そのルールはここでも健在だった。

最後の一本がここに入ればと分かった時点でゴールが見えたと思った。
そうあるべき形に組んだ3本ずつを両手で持って、
2、3度合わせてみたら、
スッとはまった。




「でぇきたぁ~~」




裏声のまじった情けない声が終了の合図になった。

ずっと黙っていたカウンターの中の女性が、
「すごいですね」
と笑顔で言ってくれた。

今年一番嬉しかった。


あの時の快感は、
まだすぐそこにある。

じゃず家のセッション。
今日の気分が似ているから、
あえて引っ張り出してきた。


●車を売った。買って3年ほどになるけど、4000㌔しか乗ってないんだもの。ぼくのライフスタイルに不必要と判断した。きっと不自由だと思うこともあるだろうけど、全然後悔していないから、きっとそれでよかったのだ●近所に巨大なショッピングモールができたので、初めて行ってみた。何か記念にと、カリモクのお店で、船用の掛け時計を買った。可愛かったし、何より発売開始が1964年というのに魅かれた。ぼくと「同い年」だ。

2008年11月25日火曜日

不明

健康とは、
完全な肉体的、
精神的及び社会的福祉の状態であり、
単に疾病または病弱の存在しないことではない

唐突ではあるが、
これは、
WHO(世界保健機構)が1951年に定めた、
健康定義なるものである。

ぼくが中1の時、
保健体育の先生が、
これを憶えろと凄んで(少なくともぼくにはそう見えた)、
クラス中で暗唱させられた憶えがある。

だから今でも思い出すのだが、
そういう意味では、
ぼくは完全に「健康」ではない。
精神的にも肉体的にも、
社会福祉的にも「完全」なんかじゃない。

つまり不健康だ。



この夏から数年ぶりにアトピー性皮膚炎の症状が出ていて、
これが医者でも原因が分からない。
思えば小学生の時にかかった自家中毒も、
追い打ちをかけた腎臓病も、
原因は分からなかった。

大人になって、
歯槽膿漏になった時も、
原因は分からなかった。

訳の分からないことだらけで、
ぼくはずーっと「不健康」だ。

死んだ親父のガンだって、
最初医者は、
「1年たって転移していなければ98%大丈夫です」
と言ったけど、
ちょうど1年たって転移した。

親父は見事2%の中に入ったのですかと問うたら、
「そういうことです」と言われた。

そもそも、
病気に確率という概念は似合わないと、
その時思った。

話はそれるが、
ぼくがO脚であることも、
母が「五十肩」(70歳なのに!)であることも、
原因は分からない。



こう何もかも分からないんじゃ、
病気ってもんは、
結局、
かかるかかからないか、
治るか治らないかなんて、
思い悩まないのが、
少なくとも精神的には一番「健康」だとも言える。

火星に水があるのかないのかが分かっても、
人のDNAをすべて解読しても、
ウナギのひとつ解明できない。

科学なんてそんなもんだ。


●小泉毅の件で、昨日はつい興奮してしまったが、やっぱり訳が分からない。無理に分かろうとしないことも大事なのだが、この分からなさは圧倒的に怖いから、少しでも分かりたいと思う●生後1年以内に家畜小屋に出入りしていた子供はアレルギー体質になりにくいと、NHKでやっていた。この時期にエンドトキシンという物質に触れるか触れないかがカギなのだそうだ。そんなもんかね●NHKローカルで京阪神のジャズマンが生演奏するコーナーがあって、昨日、総集編をやっていた。セッションで会ったプレイヤーやライブに行ったことのあるボーカリストが何人かいて、なかなか楽しかった。

2008年11月24日月曜日

決壊

小泉毅とは何者だ。

34年前、
つまりこの男が中学生の時、
保健所にペットを「処分」され、
その恨みを晴らすため、
2人の元厚生次官宅を襲い、
3人を殺傷したという、
小泉毅とは何者だ。

十分すぎるほどの物証と、
ご丁寧に住民票まで携えて自首した、
46歳の、
小泉毅とは何者だ。

何の仕事をし、
何を食べ、
何を読み、
誰と話し、
何を考えていたのだ。

あの躯体。
あの振る舞い。

一体どのようにしたら、
そんな理由で人が殺せる人間が出来上がるのだ。

宗教的であれ政治的であれ、
テロであったなら、
百歩譲ってあり得る話だと思っていた。
しかし、
この展開は予想だにしなかった。

男の言っていることを「真に受けている」訳ではない。
ひょっとしたら、
真犯人の身代わり、
または、
何かの洗脳を受けているのかもしれない。
できればそうあって欲しい。

この男の連行写真を見たとき、
真っ先に思い出したのは、
オウム真理教の実行犯たちだった。
あるいは宅間守。

喜びや悲しみはもとより、
怒りや憤りすら感じさせぬ、
それでいて諦観している風でもない目。

人を襲って捕まえられた猛獣のような目。
一体何が「悪」なのか分からぬ目。
いや、
そもそも「悪」とう概念自体が抜け落ちたような目。
「確信犯」という言葉では追いつかない。
誇るわけでも悪びれるわけでもない。
善も悪もない、
人間の姿をした怪物。

想像を超えた「悪」が、
現実に存在するのだとすれば、
心底恐ろしいことだ。

遺族にしても、
事件が落着したって、
これでは悲しみが深まるばかりだろう。

男はただ人が殺したくて、
「動機」など何でもよかったのか。
それとも彼の語る「動機」は、
彼にとって本当だったのか。

テロ、
あるいは通り魔より、
はるかに虚無は大きい。


これは底なしの穴。


小泉毅とは何者だ。

2008年11月23日日曜日

0系

「0系」がもうすぐ姿を消す。
団子っ鼻の初代ひかり号は、
ぼくと同い年だ。

鉄道に特別な興味はないけど、
さすがに感慨深いものがある。


「びゅわーんびゅわーん走る~ 青い光の超特急~」


NHKみんなの歌だったかな、
子供のころ一緒によく歌ったな。

家族で乗った時の写真が今もある。
赤い蝶ネクタイをしてめかしこんだぼくが、
左右を母と姉にはさまれ、
少し上気した顔で座席に座っている。

独特のにおいや、
トンネルに入った時の耳の奥がツンっとする感じや、
ひじかけに付けられた灰皿の構造など、
どうでもいいことをよく覚えている。

「のぞみ」号ができて、
新幹線はどんどん鼻が高くなって、
団子っ鼻は今では一部のこだまでしか走っていない。
当時、
最先端だった流線形も、
すでにレトロ感を漂わせているではないか。

あと20年もすれば、
夜中のBSなんかで、
SLとともに、
懐かしの列車として放送されるのだろう。

ゆっくり休んでくれ。
ぼくは、
いましばらく現役で走り続けるよ。


●ハイビジョンを見たさに、あまり縁のない番組まで見てしまう。映像の美しさは段違いだ。昨日出かける時、その大画面で母は「吉本新喜劇」を見ていた。面白さは変わらないようだ。

2008年11月22日土曜日

閉店

散髪屋の店頭で回っている、
赤と青と白の「渦巻き」は、
動脈と静脈と包帯を表していて、
それは昔、
外科医が散髪を兼ねていたからだと、
何かで読んだことがある。



駅の帰り、
いつもの渦巻きがないことにフト気づいた。
「ABC」という、
身も蓋もない名前の散髪屋さんは、
ぼくが子どものころからあって、
高校生までは通っていた。

順番待ちの椅子で漫画雑誌を読みふけったこと、
新入りの店員に当たると、
子供心に「大丈夫かな」と思ったこと。
きっちりセットしてくれた髪型が恥ずかしくて、
店を出るなり手櫛でぐしゃぐしゃにしたこと。。。



40年は営業していたはずだ。
大学生になって上京してからは、
ついに二度と行く事はなかったけど、
死んだ親父はずっと通い続けていた。

店主が仕事中に倒れたという話を聞いたことがあって、
剃刀を使っている時だったら怖いなと思ったことがある。

ぼくが通っていたころは、
店主がちょうど今のぼくぐらいの年齢だったのだろう。
結局、
後継者がおらず、
店じまいすることにしたのだそうだ。



うちの近所には同じように、
60歳をとうに過ぎた人たちが続けている店がいくつかある。
みな、
今のぼくよりうんと若い時にこの地に店を構え、
一生懸命精を出して働き、
子供を一人前にし、
もはや「余生」という年代に差し掛かっている。



結局、
「ABC」という名前の由来すら知らないままだ。
たぶん大した訳などないのだろう。
同じように長いことやってる喫茶店だって、
「ブルー」とあっさりしたものだ。
そんなことに凝る時代じゃなかったのだ。



閉店したその店の数軒おいた並びに、
黒と金を基調にした美容院が開店準備に追われていた。

「GOLD」というゴージャズな名前のその店は、
これからどんな歴史を刻むのだろう。


●リビングのTVがついに薄型に変身した。我が家にとっては革命的出来事。ハイビジョンって本当にすごい。布袋寅泰の東大寺ライブに見入ってしまった。しばらく病みつきになりそうだ。

2008年11月21日金曜日

凡人

山口百恵がNHK紅白歌合戦で、
「プレイバックpart2」を歌った時、
「緑の中を走りぬけてく真っ赤なポルシェ」
と歌うべきところを、
「ポルシェ」は商品名だから、
「真っ赤な車」と歌わされていて、
子供心に、
ひどいことするなぁと思った。



やまぐちももえ?

ぷれいばっくぱあとつう?



若い人には通じない話だろうな。

NHKって一応公共放送なので、
商品の「宣伝」はしちゃいけないんだな。
だからコマーシャルないでしょ。



そぉなんですかぁ

でも会社の宣伝とか、
CMソングとかバンバンかかってますけどぉ



今はね、
とっても柔らかくなったんだよNHKも。
だから槇原敬之がSONGSに出てたんだよ。

よかったね、
マッキーって、
分からない人はそれでいいんだけど、
本題はそのSONGS。


代表作「世界に一つだけの花」について、
彼が、

「運動会で順位をつけるなという風に理解されるのは心外だ」

というようなことを言っていて、
なるほどと思った。

だれにでも個性があって、
それは尊重されなきゃなんないけど、
「だから競争はいかん」という論理は、
飛躍している。

個性だって切磋琢磨しなければ、
ただの石ころだ。
すごい努力して磨いている人と、
なーんにもしないでゴロゴロしている人とが、
同じ扱いを受けるべきとは、
ぼくは思わない。

結果のことを言ってるんじゃない。
何にもしないで才能だけで1位になる奴より、
必死で頑張って入賞する奴の方が、
ぼくは好きだ。

だから、
「凡人ブーム」にも反対だ。



ぼんじんぶうむって何ですかぁ



ぼくが勝手に言ってるだけだけど、
最近、
かけがえのない人生とか、
平凡こそが一番難しいとか、
真実なんだけど、
言葉だけが独り歩きして、
あたかも、
「何もしないでも生きているだけで十分尊い」
みたいな価値観が広まっているようで、
そうなると、
ぼくの偏屈の虫が騒ぎだす。

ちょっと違うんじゃないの?
と言いたくなる。

そりゃ、
働かずにタロイモ食って生きて行くのは夢だけど、
ぼくが本当にそんな生活に放り込まれたら、
そこでまた、
何かゴソゴソ始めるに違いない。

好奇心がなきゃ、
生きてる意味がないじゃないか。



羞恥心ならありますけどぉ。。。


●どーしちゃったのというほどに寒い。で、急きょインフルエンザの予防注射を受けた●最近John Mayerが気に入って、DVDまで買ってしまった。ついでにイノセンスのDVDも。

2008年11月20日木曜日

頻繁を「はんざつ」
踏襲を「ふしゅう」
と読んじゃった麻生総理大臣。

今度は、
「社会的常識の欠落している医者が多い」発言。
ぼくの友達にも医者はいるけど、
彼は、
うーん、
まともだと思う。

麻生総理、
「漫画ばっかり読んでるから」と突っ込まれても、
仕方なし。



こういう人が総理大臣に適任だというのは、
永田町的常識で、
社会的常識では、
間違いなく不適任だ。
彼に社会的常識があれば、
とっくに総理辞めてるでしょ。
というか、
ならないでしょ。



この人の勘違い振りは前にも書いたような気がするけど、
第一に自分が人気者だと思っているフシがある。
小さな間違いは許してもらえるキャラだと。

あるいは「大人物」ぶりたいのかもしれない。
本人は「豪放磊落」と思っているかもしれないが、
あれはただの「厚顔無恥」。



一斉学力テストが必要なのは国会議員の方だ。
もちろん結果はプライバシーを全く考慮することなく、
実名で公開してほしい。

いや、
全員、
ヘキサゴンに出てもらおう。
ならぼくも見る。


●NHK「東京カワイイTV」は好きな番組だけど、制服の改造を奨励するような今日の内容はNG。彼女らの創造力は高く認めるけど、それはどうか、制服以外のファッションで発揮して欲しい。女子高生をJKと略すとは知らなかった●キムタク36歳。ちょっとびっくりした。

2008年11月19日水曜日

左右

エスカレーターに乗るとき、
関西は左を空け、
関東は右を空ける。

左右の逆転は名古屋あたりで起きると、
確か「探偵ナイトスクープ」でやっていた(はず)。

でも何故そんな現象が起きるのか、
確かそこまでは解明してなかった(はず)。



偶然というのは、
合理的説明がつかない時の言い訳だと、
小林秀雄が言っていた。

エスカレーターの件だって、
きっと理由はあるはずなのだ。
3分間隔で新幹線が東西を行きかう時代に尚、
こんな状態が続いているのには、
しっかりとした根拠があるはずなのだ。



風呂の湯を抜いたとき、
北半球と南半球では、
湯の渦のでき方が逆になる。

時点の関係だったと思うけど、
例えばそんな風なことかもしれない。



同じ日本列島で、
こういう明確な差が生まれるということは、
別の意味でも興味深い。

それは進化の観点だ。

最新の生物科学によると、
遺伝子にはハンドルの「遊び」のような部分があって、
突然変異でなくても、
ある方向へ変化する可能性があるのだそうだ。

同じ条件を与えられても、
違う振る舞いをすることがあるということで、
エスカレーターの「左右」の件も、
案外、
そんなことと関係あるのではないかしらん?


●読売新聞16日朝刊、文化面で「ダーウィンのジレンマを解く」という本の書評を読んでふと思ったじゃず家セッション。きょうは最後のほうまでドラマーがいなかった。こんな偏りにも、絶対理由があるはずだ。で、肝心の歌は進化しているのか、どうなのか。。。

2008年11月18日火曜日

とある女性に貸した本が、
なかなか帰ってこない。

たまに顔を合わせるたびに、


「あとこれぐらい」


と人差し指と親指で作る厚みが、
増えたり減ったりしているから、
きっと、
まだだいぶかかるだろう。

ぼくが無理やり渡したのだから、
せかす道理はなく、
かえって、
会うたびに釈明させてしまうことになってしまい、
こちらが申し訳なくなる。


彼女は、
ぼくが引いた線が面白いという。

なぜこんなところに、
と考えていると、
なかなか読み進まないのだという。

たぶん言い訳だろうけど、
確かにぼくは気に行った本には、
線を引く。
しかも3色ボールペンで。

ホントにそれが面白いなら、
商売になるかもしれないな。
もちろんぼくじゃなく、
誰か有名人に線を引いてもらって、
「○○さん直筆線入り」として並べれば、
少しは付加価値がつく(かもしれない)。


あの人の線を意識すると分かりやすい。

この線には味がある。

まったく違う読み方ができました。

顔写真入りで「私が線を引きました」。。。。


人気ランキングができて、
そうこうしていると、
きっと中国製の偽物が出てくるかもしれない。

などと、
くだらぬ事を考えているうちに、
もう夜明けが近い。


●本をバッグに入れずに出かけて、携帯を忘れた時と同じぐらい焦った。ぼくにとって本は、携帯と同じぐらいには大切だということだナ●そういえば、最近、本について書いていないな。読んでいないわけじゃないから、そのうちどどーっと書くかも●日曜日、父の一周忌が無事に終わり、夜は赤松真理さん(pf)トリオを聴きに武庫之荘・Mクアトロへ。いつもながら丁寧な演奏に耳をゆだね、素敵なひとときを過ごす。●水原勇気が本当になった。興味津津。

2008年11月16日日曜日

将棋

駒の動かし方は知っているけど、
とても「指せる」とは言い難い将棋。

それでも棋士の言葉に接したり、
竜王戦の中継を見たりするのは好きで、
色んなことを気付かせてくれる。


彼らは将棋盤を挟んで座っているのだが、
実際は刀を持った剣士だ。

比喩じゃなく、
隙あらば互いを一刀両断にしようと構え、
じりじり間合いを詰める剣士そのものだ。

あるいは、
相手の繰り出すパンチを間一髪かわしながら、
同時にパンチを繰り出すボクサー。

「静」に見える二人の棋士の頭の中は、
一瞬たりとも気を抜くことのない「動」だ。
サッカーや卓球の激しい動きと何ら変わりはない。
ただ見えないだけだ。


将棋には、
途中のある時点での駒の全配置が、
過去の対局と全く同じになることがある。
だけど、
そこに至るまでの経緯は異なり、
たとえ、
経過さえも同じであったとしても、
棋士の頭の中の戦いは同じでありえない。

極論、
初手から終局まで、
まったく同じ棋譜が過去にあったとしても、
二つの対局は全く別のものだ。
棋譜は、
ある対局のほんの一部を記録したに過ぎない。
楽譜が、
奏でられる音楽の一部でしかないのと同じように。


たとえ近い将来、
コンピューターが将棋の「解」、
つまり先手必勝か後手必勝かを導きだしたとしても、
将棋の面白みが損なわれるものではない。

コンピューターは、
考えうる駒の動きすべてのパターンを、
網羅的に計算しつくしただけであって、
そこにはルールに基づいた「解」はあっても、
「勝負」はない。


将棋の醍醐味は、
闘う生身の棋士の「あり様」そのものだ。
だから、
その対局の醍醐味を真に理解しうるのは、
対局者同士だけであって、
それ以外の者は傍観者に過ぎない。

音楽の真の醍醐味も、
演奏されたその場にいた者だけが得られる、
ダイナミズムにこそある。

2008年11月15日土曜日

白洲次郎と白洲正子


この二人ほど粋な夫婦は、
めったにいないんじゃないか。

今宵のNHK「ミューズの微笑」は、
昭和を代表するこの夫婦が、
半世紀を過ごした、
東京・町田の家を紹介していた。

古い農家を買い取ったというその家は、
二人の美意識で貫かれ、
特に、
日常生活における美にこだわりぬいている点で、
とても面白かった。

二人は、
人間国宝作の食器でさえ日常使いし、
贋作とわかったとっくりでも、
自分が気に入ってしまった以上、
終世愛したという。


二人の言葉ではないのだけど、
「頭で見るな、目だけで見ろ」というフレーズが、
印象的だった。


「武相荘(ぶあいそう)」と次郎が名づけたその家は、
一般公開されているという。


行ってみたい場所が増えた。


ところで、
ぼくが今住むこの家の主である、
父が死んでもうすぐ1年になる。
明日は早めの一周忌だ。

ぼくは普段、
親父の椅子に座り、
机に向かってこのブログを書いている。

親父はここにはいないけど、
この家の主は、
ずっと親父だと感じる。


●白洲次郎、正子夫婦を知らない方は、お調べください●セッションで知り合ったドラマー渋江光晴さんのお勧めで14日、三宮のHolly’sでYOKO(vo)のライブに行った。王道を行くステージに感じ入り、ついでに厚かましくも1曲歌わせていただいた。貴重な経験でした●そういえば、先日のじゃず家セッションで聞いた岡里美さんの歌もとても素敵だった。ぼくの耳は「もっと聞きたい」と確かに願っていた。で、感想を伝え「ここは初めてですか」と尋ねると、彼女、ぼくを見て「何度も拝見してます」。ってことはぼくも何度か聞いてるはずなのに。。。きっと彼女が進歩したんだ。そうだそうだ●竜王戦、羽生3連勝で永世竜王に王手。強い。渡辺、頑張れ!●忘れてた。クルム伊達、超人。

2008年11月14日金曜日

出会い

イチローが以前、
「仰木監督に出会ってなければ、もっと凄い選手になっていたかもしれない」
という趣旨のことを言っていて、
非常に興味深く思った。

「仰木監督」というのは、
亡くなった仰木彬氏のことで、
オリックス時代に2軍にいた鈴木一朗の才能を見抜き、
「イチロー」と名付けて1軍に抜擢した名伯楽である。

その大恩人に出会ってなかったら「もっと凄い選手になっていたかも」など、
並みの人間には口が裂けても言えまい。


ぼくは何も、
イチローが恩知らずとか、
うぬぼれているなどと言いたいわけではない。
イチローの言葉から、
「出会い」について考えてみたいのだ。


あの人がいなかったら今の自分はない。
それは真実だ。
出会った結果として今のその人がいるのだから。

でも違う人と出会っていれば、
違う自分になっていたはずだ。

こういう考えを広げていくと、
世界中のすべての人がいる(いた)からこそ、
今の自分であるということになり、
結局、
「君がいてぼくがいる」と、
チャーリー浜のギャグになってしまう。


よく、
「出会うべくして出会った」とか、
「運命の出会い」とかいう言い方があるけど、
本当にそんなものはあるのだろうか。

誰かと出会い、
友達になったり、
恋人になったり、
夫婦になったり、
いがみ合ったり、
憎しみ合ったり、
何とも思わずにいたり、
そんな遥かな積み重ねの上に自分がある。

この私は、
過去に出会ったあらゆる人の賜物であって、
後戻りはできない。
もっと前にこの人と出会っていたらとか、
あの人とあの時会わなければよかったとか、
いくら考えても答えはない。

どんなにあがいても、
人は時間のレールを逆行はできない。
人は前しか向けない。


だから、
イチローの言っていることは、
「たら、れば」を言っても仕方がないという、
滅茶苦茶ポジティブな人生観を、
逆説的に言っているわけだ。

イチローが言いたいのは、
仰木監督が「いたからこそ」今の自分がいるんだということを、
「!!!」という感じで表現しているわけだ。

なぁるほど、
そういう感謝の表わし方もあるのか。


●一時帰宅したので、以前に書きかけて保存しておいた文章に手を加えて掲載しました●ここ数日、ほんとにいい天気で、気持ち良くて。。。

2008年11月13日木曜日

進化

近頃、
仕事が少し忙しく、
出勤時の夕食は手早い天下一品が続いた。


「チャーハン定食、ラーメンの出汁はあっさり」


ここでの注文はこれ一本だ。


ある日、
音楽を聴きながら店に入ると、
いつものバイトの女の子が水を手に、
注文をとりにやってきた。




「同じで」



自分でも思わぬ言葉が口をつき、
驚くのもつかの間、
バイトの子は、
「ハイ」と返事。

すました顔で厨房へ戻り、
ちゃんとチャーハン定食あっさりラーメンを持ってきてくれた。



次の日、
今度は女の子が、



「いつものですね」



ぼくはただうなずくだけだった。



その次の日


女の子は、
ぼくが軽くうなずくだけで、
ちゃーんと持ってきてくれた。


交わす言葉は減ったけど、
何か気持ちが通じてる感じがした。



進化は突然、

そして、

一気に進むんだナ。



●いい天気だったので、ノートPCのメモリーを1GBから2GBに増設することに。やや心配だったが、ヨドバシで買ってきて自分でコチョコチョと。早い早い。すっかり気持ち良くなった。人間の頭は、こう簡単にはいかない●テレビ大阪「本当と嘘とテキーラ」。山田太一脚本。「さすが」というか「らしい」というか。それ以上に配役の豪華なこと。佐藤浩市、樋口可南子、柄本明、そして山崎努…。ほれぼれする演技だった。

2008年11月12日水曜日

本音

何書こうかなぁとPCを開いたら、
デスクトップに、
こんなニュースが表示されている。

 「関東大震災が起きれば、(関西経済に)チャンス」。11日、近畿ブロック知事会議でそう発言した兵庫県の井戸敏三知事はその夜、神戸市内で急きょ開いた記者会見で「震災が望ましいとは言っていない。備えが大切だと訴えたつもりだ」と釈明に追われた。発言の撤回や謝罪はなく、防災に携わるボランティアらからは「非常識」「言葉を失う」と、厳しい声が相次いだ。
 「なぜ、こういう質問を受けているのか理解できない」。会見した井戸知事は何度も困惑した表情を浮かべた。 (asahi.com)


そして、
 参院外交防衛委員会は11日、政府見解に反する歴史認識を懸賞論文に投稿して更迭された前航空幕僚長の田母神俊雄氏を参考人として呼んだ。質疑では田母神氏が憲法が禁じた集団的自衛権の行使を訴えるなど持論を展開。文民統制を巡る問題を浮き彫りにした。野党は航空自衛隊トップの資質を疑問視し、政府の任命責任を問う声がくすぶる。幹部教育のあり方なども今後の論点になりそうだ。
 田母神氏は同日の質疑でも集団的自衛権の行使が必要だとしたうえで「(憲法を)改正すべきだ」と強調。「良い国だと言ったら解任された。ちょっと変だ」などと主張した。(NIKKEI NET)


井戸田・兵庫県知事と、
田母神・前航空幕僚長。

普段はいるのかいないのか、
存在そのものがまったく気にならない2人が、
大いに注目を集めている。


失言
「言ってはいけないことを、不注意で言ってしまうこと。言いあやまり。過言」(広辞苑)


これに従えば、
田母神氏は確信犯だから、
失言とは呼べまい。

また、
井戸田知事は今のところ、
意図を誤魔化して逃げ切るつもりのようで、
少なくとも本人は「失言」とは認めていない。

ただ、
お二人に共通しているのは、
「私の発言の何が問題なのか」という態度だ。

世間ではこれを、
「居直り」と呼ぶ。

ところで今日、
とあるピアニストの伴奏で歌っていたら、
彼女の3歳ぐらいの男の子が、
階段をトコトコ降りてきて、
ぼくに、


「ウマいね」


と言ってニコッと笑った。

憎いね、
坊や!


●天満「じゃず家」セッション。3曲。帰りがけに、ホストミュージシャンだったベーシストが、さっと手を差し出して握手してくれた。これも嬉しかったなぁ。そういうのでぼくは生きている。

2008年11月11日火曜日

自覚

ケータイを忘れて出勤した。

母に用事があって、
電話しようとしてフト、
「オレオレ詐欺」のマネをしてみようか、
と思ったけど、
会社の電話だったのでさすがにやめた。

ということを帰宅して話したら、


「あぶないねん」


と神妙な返事。


「きょうな変な電話がかかってきてな」


何それ?


「リゾートの申し込みやねん」


それで?


「つい話してしまうねん」


は?


「切らなあかんって思うやろ、そしたら『私東京からかけてるんです』って」

「そしたら電話代もったいないですやん言うてしもて」

「ほんなら『いえこれは私の仕事ですから』って言うから、大変ですなぁって、また話してしもてん」

「だから心配やねん」


で、
どうやって断ったん?


「どこやらのリゾートやって言うから、そんなん、ウチで十分ですって」


我が家でリゾート気分を味わえる母。


うらやましい限りだが、

ホンマに危ないかも。。。


●母ネタ連発で恐縮●他人のブログを見て、これ知的!と思ったので、レイアウト変えました。いかがでしょう?●巨人、王手から連敗。でも、見ごたえのあるシリーズだった。

2008年11月9日日曜日

直感

ガウディのサグラダ・ファミリアが、
NHKで紹介されていて、
母が画面を食い入るように見ている。











ははーん、
ここも行ったことがあるのね。


するとナレーションが、
「完成までにはまだ100年かかるとも言われています」
と解説した。


母は「エッ、ひゃくねんも」と声を上ずらせた。




「そんなん、地球ないやん」



。。。。。。。。



お年寄りの直観だとしたら恐ろしい。


いつもの言い間違いだろうけど。

2008年11月8日土曜日

TK

TK逮捕。

彼のことは、
特別好きではなかったけど、
90年代といえば、
ぼくが20代後半から30代前半にかけて。
彼の生んだ楽曲がぼくに影響を及ぼさない訳はなく、
正直驚いた。

もはや手元にない著作権を譲ると言って、
5億円をだまし取ったという。
本人も認めているようだし、
絵に描いたような詐欺罪だ。
専門家によると、
5年ほどの実刑判決が下る可能性がある。

連日マスコミをにぎわしていて、
彼のことをよく知らない母でさえ、
「そんなに借金があるのに、家賃280万円のところに住んどったらあかんワ」
と言う。
母に限らず世間一般、
そういう見方が多いのだろう。

見栄を張らず、
コツコツ借金を返していればよかったと。

「落ちた時代の寵児」

そう括るのはたやすいけど、
ぼくは、
それほどに割り切れない。

彼は音楽が好きだった。
そして才能があった。

時代とマッチして、
作った楽曲は売れに売れ、
一時の年収は30億円とか。

アジア進出を目指し香港に会社を設立。
ところが株が暴落して、
一気に数十億円の借金を背負った。。。

大体そういう理解をしているんだけど、
彼が数十億円の負債を抱え込んだということは、
それだけの金が誰かの懐に入ったということだ。

彼はミュージシャンであって、
実業家ではなかった。
その彼を「利用」してひと儲けした者たちがいる。

1年365日、
借金のことが、
彼の頭から離れることはなかっただろう。
家屋敷、
売却可能なものはすべて抵当に取られ、
おまけに前妻への7億円ともいわれる慰謝料の支払いもある。

そんな状況で、
まともな判断などできゃしない。
ましてや、
いい楽曲を作れるはずもない。

数十億円なんて、
ぼくは抱えたことも、
背負ったこともないが、
借金を返すためなら、
嘘でも誤魔化しでも何でもやってしまう、
そういう心持ちは、
ぼくは分かる。

地獄にいる人は、
自分が地獄にいることにさえ気づかない。




彼をそこに突き落としたのは誰か。。。




彼の今の妻は彼を支えると言っているそうだ。
TMネットワークで一緒だった二人も、
彼ともう一度音楽をやりたいと。

彼のことを信じている人がいる限り、
彼は立ち直ると思うし、
ぼくは、
こんな状況でも信じてくれる人がいる彼を、
断固応援する。


●DEPARTURES。好きだ。「どこまでも限りなく 降り積もる雪とあなたへの想い 少しでも 伝えたくて届けたくて そばに居て欲しくて 凍える夜 待ち合わせも出来ないまま 明日を探してる いつだって思い出をつくるときには あなたと二人がいい」●TKと同じように数十億の借金を盟友の裏切りで背負ったYAZAWAは見事完済した。グレイトだ●日経7日夕刊「人間発見」--クライマー山野井泰史さん「ボクとしては70歳、80歳になっても、(妻の)妙子と小さな岩にでも登れれば最高の人生だと思っています。自分にとって山で死ぬことはごく自然なことです。ある日、山で突然、死が訪れても覚悟ができています。どんな悲惨な死に方をしても、悲しんでほしくはありません」

2008年11月7日金曜日

光景

JR甲子園口駅は、
ホームに上がる階段が東の端にしかなくて、
だから、
大阪方面への各駅停車にはは、
自然と先頭車両から乗ることになる。

今日の昼過ぎもそうして、
ぼくは電車に入った。


黄黄黄黄 黄黄黄黄黄黄黄 黄黄黄黄黄黄黄 黄黄黄黄黄黄黄 黄黄黄黄


黄黄黄黄 黄黄黄黄黄黄黄 黄黄黄黄黄黄黄 黄黄黄黄黄黄黄 黄黄黄黄


という光景が目に入った。


黄色い帽子をかぶった幼稚園児が、
みごとに席を埋めていた。


こりゃちょっと苦手だと思い、
二両目に行こうとしたが、





赤赤赤赤 赤赤赤赤赤赤赤 赤赤赤赤赤赤赤 赤赤赤赤赤赤赤 赤赤赤赤


赤赤赤赤 赤赤赤赤赤赤赤 赤赤赤赤赤赤赤 赤赤赤赤赤赤赤 赤赤赤赤




となっていたので、
1両目の一番後ろのドアのところで立つことにした。


園児らは、
行儀よく座っている。



どうせ次で降りるだろう。


そう読んでいたら、
降りない。


その次でも降りない。


大阪駅まではあと2駅だ。




その時。



一人のおばあさんが、
2両目から「避難」してきた。

手には杖を持っている。



おばあさんはしゃれた洋服を着ていて、
杖は持ってはいるもののつかつかと、
意外にしっかりした足取りで前へ歩いて行く。


先頭には優先座席があるが、
もちろんそこも黄色で埋まっていた。

どうなるのかと思って見ていたら、
おばあさんは一番前の手前のドアのところで立ち止まってしまった。

ぼくが行って先生に何か言ってみようかと思ったものの、
いやきっと先生も気がついておばあさんに席を譲らせるだろうと、
そう考え直してしばらく様子を見ていた。

2駅目と3駅目の間、
つまり尼崎と塚本の間で、
ようやく先生が優先座席の園児を全員立たせた、
園児らは運転席のところに駆け寄り、
走る電車の前方を喜んで見始めた。

ところが、
先生はおばあさんに何も声をかけなかった。

だから、
綺麗に黄色で埋まった座席とポッカリ空いた優先座席、
そして、
そのそばに立つおばあさんという、
誠に奇妙な光景ができあがった。

少し立たせるタイミングが遅かったために、
一言「よろしかったらお座りください」と言わなかったばかりに、
おばあさんは座りそびれてしまった。

塚本に着くと、
さらに一人おじいさんが乗ってきて、
また優先座席のそばで立った。

ぼくも含めた皆が、
微妙な心のバランスを保ったまま、
大阪駅に着いてしまった。


大阪駅では流石にたくさんの人が待っていた。
ぼくは降りたが、
園児はまだ先へ行くようだった。


それからのことは、
だからわからない。


●三宮グレート・ブルーのセッション。第1木曜日への参加は初めてだった。自転車乗りは、着実にうまくなっていると思う●17年前にウナギ研究を始めた。当時、ウナギは幼生期には何を食べるのかさえわからない未知の魚だった。「プランクトンや魚粉などを試したが、エサを与えれば死ぬ、の連続だった。失敗するたびに不整脈や目まいに襲われた。4年後、サメの卵を食べることを突き止めた(読売6日夕刊社会面「明日へ 微妙で繊細 ウナギ繁殖」)●「ボストンで勝ったあと、街を堂々と歩いている自分がいたの。ずっとコンプレックスのかたまりだったのに、やせっぽちの体も短い足も、もう気にならない。私は小さいけれど性能は世界一なんだ、と」(朝日6日夕刊「ニッポン人脈記」1974年のボストンマラソン優勝・ゴーマン美智子さん)

2008年11月6日木曜日

新聞

暇な時間に新聞を読み比べていたら、
こんな文章に出会った。(すべて5日夕刊)

まずは朝日新聞。

<ザマみろぃ、人間はね、理屈なんかじゃ動かねえんだよ>

<おう? てめえ、さしずめインテリだな>

<庭一面に咲いたリンドウの花、あかあかと灯りのついた茶の間、にぎやかに食事をする家族たち、それが本当の人間の生活ってもんじゃないか>

(一面「ニッポン人脈記」から寅さんの科白)


 もともと自由奔放な演奏が魅力の山下は最初、「私とやる以上は、崩壊してもらうよ」と念を押した。

(芸能面「山下洋輔NY・トリオ」20年)


 評価されたのは音質の良さ。設計・施工を担当した竹中工務店(大阪市中央区)設計部は残響1.7秒を生みだした。腐心したのが天井の啓上と壁の凹凸。なかでも壁は「棺おけが壁に張り付いているようだ」と批判されたが、反射音がうまく拡散していく形状こそが同社のこだわりだった。

(芸能面「50thありがとう!フェスティバルホール)


 この春、アマゾン日本版で不思議な現象が起きた。ある洗剤の商品名を検索すると、何の関係もなさそうな商品が次々に現れる。薬品、家電製品用のタイマー付きコンセント、ポリ袋、そして「自殺」に関する書籍。タイマー付きコンセントは、自殺した後、扇風機などの電源を入れ、ガスを拡散させて巻き添え被害を防ごうと考えた人が買ったらしい。「おすすめ」が示していたのは、そういうことだった。
 「アマゾンに現れたのは、単なるモノたちの陳列表示。だが、その画面の向こうに、今まさに自殺しようとして苦しんでいる人たちの姿が、浮かんでくるような気がした」

(芸能面「ネットはいま」))


次は読売新聞


 究極といえるのが、今年、東京・上野で開かれた「井上雅彦 最後のマンガ展」だ。漫画家の展覧会=原画展という常識を打ち破り、まだ描かれていない「バガボンド」の最終話を書き下ろして展示した。大小様々なキャンバスに描かれた漫画は、漫画を超え、日本画も超えたと絶賛された。「漫画の空間の中に入って、歩きながら進んでいくような経験をしてもらいたかった」。そういう井上の目には、最終日には入場者10万人の感情が絵に送られ、絵の表面に油膜が張ったように見えたという。

「『ガリガリ君』のプリン味。あれうまいです」

「この前ディズニーランドのパレードで泣きそうになりました。『ウォルト・ディズニーがこれ見たら泣くぞ、きっと』と共感して(笑)」

(popstyle)


「ライブには、精神の美しさのすべてを集結させなければ」

(エンターテイメント面「旬感 瞬間」)


「危険運転致死罪が懲役1年以上20年以下であるのに対し、ひき逃げは10年以下と軽いことが『逃げた方が得』につながる面もある」

(社会面「ひき逃げ事件 10年で2倍」)


 小浜市の農業緩詰行雄さん(74)は「オバマさんの勝利を信じていた。ぜひ小浜に来てほしい」と興奮気味。オバマ氏の出身地・米ハワイ州にちなんで結成されたフラダンスチーム「おばまボーイズ」「おばまガールズ」も、お祝いの踊りを披露した。

(社会面「米大統領にオバマ氏」)



だから新聞は面白い。


●なーんにも考えられない日にはこれがいいと思ったが、自分で考えて書くより疲れた●オバマ氏、小浜に来るまで無事だろうか。心配だ。

2008年11月5日水曜日

信じるⅡ

「信じる」とは「信じる人になる」ということだ。
「なる」というのは「である」のではなく「変わる」ということだ。

でもそれは「清水の舞台から飛び降りる」とか「一世一代の決意」とか大それたことではないだろう。
イスラム教徒が日に何度も祈るように、
母が子の安全を願ってお百度を踏むように、
運動を繰り返すことによって、
ある日「信じる人になっている」。

ぼくの脳だけを取り出して、
生物学的には「生かして」おくことができたとして、
その時「ぼく」はどうなるのか。
恐らくとても短い時間で「ぼく」はフェードアウトしてしまうだろう。
「体」というインプットなしで「ぼく」を維持することはできない。

「ぼく」を作っているのは体の運動にほかならない。
「読む」ことも文字を見るという運動から始まる。
運動と切り離された理屈を頭の中でこねくって分かったつもりにはなれても、
本当に分かったことにはならない。
「ぼく」は脳の中にしかないとしても、
頭蓋をぶち割って脳みそを対象になすりつけるようにしなければ、
本当には分からない。

何を信じ、
何を分かりたいか。
それを決めるのは直観だ。
直感もまた、
運動でしか磨くことはできない。

ぼくは3年前の夏、、
「小説の自由」(保坂和志著、新潮社)を読んだ。
アウグスティヌスのくだりがとても印象的だった。
そこに共鳴できた自分は、
まんざらでもなかった。


●ちょっと別のところに書いた文章をコピペしてます。雰囲気違う、よな●TK逮捕。彼は金持ちではあったが、金持ちには「なれなかった」。時代を踊らせていたはずが、実は踊らされていた?じゃ踊ったぼくはどうなる?●小林秀雄のCDはいい。よく眠れる上、自分が賢くなった気がする。

2008年11月4日火曜日

信じる

ラマチャンドランの幻肢についての本や、
錯視について書かれたものを読むと、
ぼくの脳など、
本当にヤワイものだなと思う。
ほんのちょっと傷ついたり、
わずかな量の薬物を摂ったりしただけで、
人格さえ簡単に変わってしまう。
脳をだますのもたやすい。

脳科学を聞きかじると、
「ぼく」なんてそんなものか、
すべては脳内現象で、
ぼくはその「外」には出られないのかと少し悲しい。
それでも「外」の気配ぐらいは感じてみたいから、
あれこれもがく。

何かを信じる、
信じ切るには、
体を使うしかない。
理屈なんて役立たずだ。
「体中の細胞すべてを信じさせる」ぐらいの情熱と繰り返しで、
自分で自分をねじ伏せるしかない。
説を信じるためには、
本だって体で読まねばならない。

何かを自分から信じていかないと、
「だれかに、いつのまにか信じ込まされたまま」死んでしまう。
それは怖いことだ。


●TKに逮捕状。栄枯盛衰●リビングのTVがいよいよ駄目だ。親父の一周忌が済んだら買うことになりそう。母はすでにパンフレットを取り寄せた。「何型がいい?」と尋ねるので「50肩なんやから50型にしたら」と答えると、意外に受けた●おやすみなさい。

2008年11月3日月曜日

一発屋

平田隆夫とセルスターズ。

ぼくが子どものころ、
このバンドが大好きだった。

特にデビュー曲の「悪魔がにくい」が、
大好きだった。
1971年、
小学2年生の夏の曲。
ぼくはラジオから流れるこの曲に夢中だった。

「ぼくにーわーなーぜかわからない おまえーのーうつりぎーがー」

なんて歌詞、
なぜか分かるはずないのに。

一般には2曲目の「ハチのムサシは死んだのさ」の方が有名かもしれない。
1972年、
彼らはこの曲で紅白歌合戦に出場した。

年末恒例のこの番組、
当時の威光は、
今とは比べモノにならなかった。

ぼくは女性ボーカル二人のうちの、
おさげに丸メガネの方が好きだった。
ウィキペディアで調べてみたら、
「みみんあい」って名前だった。

夢に出てきたほどだから、
好きさ加減は相当なもんだたったと思う。

仮面ライダーも、
ウルトラセブンも、
古代進むも、
ぼくの夢に登場したことはない。

彼らは2曲の大ヒットがあるから、
正確な意味では違うけど、
まぁ「一発屋」と呼んで差支えないだろう。

ほかにも、
「ふられ気分でRock'nRoll」のトムキャット、
「完全無欠のロックンローラー」のアラジン。。。

ネットを見ていたら、
「小柳ゆき」を上げているいるサイトもあった!



ということで、
一発屋の定義はひとそれぞれだけど、
科学者にだって一発屋がいるというのが本題。

キャリー・マリスという生化学者は、
「ポリメラーゼ連鎖反応」という、
DNAの画期的増幅法を考え付いた。

本当に閃き一つ、
分かってみれば(その分野の人には)何てことないらしいが、
彼女とドライブデート中にアイデアを思いついた(らしい)彼は、
それだけで、
1993年のノーベル化学賞を受賞する。

「マリス博士の奇想天外な人生」(キャリー・マリス著、ハヤカワ文庫NF)は、
サーファーで、
4度も結婚して、
LSD体験も隠さない彼が、
半生をつづったものだけど、
抜群に面白かった。


20世紀における科学上のもっとも重要な展開は、科学研究の背後にある動機が、好奇心から経済的なものに変化したことだろう。

アメリカにおけるフロンの生産特許が期限切れになるのと同時に、フロンの使用が禁止されることになった。これは偶然にしては驚くべきタイミングのよさである。世界各国でようやくロイヤリティを払わずにフロンの生産が行えるようになった矢先に、禁止令が出されたのである。そのかわり、新しい代替化合物が登場した。むろんそれは特許で守られている。フロンはこの新製品に置き換えられ、これを生産する企業には再び金が入る仕組みになっているのだ。


ぼくにはこれだけで十分刺激的な話だけど、
占星術についても、


人間を職業別に見てみると、職業によって誕生日に偏りがある。この事実一つとっても、星の運行と人間の器質になんらかの関係があると考えてみたくなる。
(前後するが)
フロイト、ユング、マズロー。確かに彼らの理論は格好いいし、読んでいても楽しい。しかし、われわれはいっこうに良くならないではないか。今もなお、橋から身を投げる人々があとを絶たないではないか。占星術だって人間のかかえる問題すべてに解決をもたらすわけではない。それはアマゾンのまじない師の薬草だって同じことである。しかし現代のまじない師たる科学者は、狭量すぎてそれらを顧みない。占星術のもつ古来からの広範囲な情報が無駄になるのは、まったく残念なことである。


万事こんな調子。
大真面目である。

彼には先入観がない。
世間では「常識」でも、
自分が「科学的に」納得しなければ受け入れない。

彼は山羊座。
ぼくと同じだ。

前に、
ノーベル賞がちょっと変じゃないかという風に書いたけど、
こんな素敵な人にあげたことは、
褒めてあげたいと思った。

ちなみに彼は日本国際賞も受賞していて、
授賞式で両陛下と話をしている。
その時の皇后の素敵な配慮は、
読んでいて微笑ましい。


●時間があると長くなりすぎていけない●しかし、どうしてこの本があまり売れていないのか不思議だ(ぼくが買ったのは2004年の初版だった)●石川遼、プロ初勝利。彼はやはりスターだ●ジュンク堂で小林秀雄のCDを買い、下のドトールでさっきの本を読んだ。それだけの休日●夜、テレビで「余命半年と告げられたら、あなたは何をしますか」と問うている。隣の母は「うーん、何もないわ」。よほど今が幸せなのだろう。

2008年11月2日日曜日

「人は男に生まれるのではない。男になるのだ」

「できそこないの男たち」が言っているのは、
そういうことだ。

人はすべて女に生まれ、
その半分が男に変化する。

ということは、
男の方が進化してるってこと?

違う。
全く違う。

なぜなら、
女だけでも、
生物は命を紡ぐことができる。
男には無理だが。

例えば、
アリマキはメスがメスを生み、
その子供のメスのお腹には、
すでに子供のメスがいる。。。

クローン。

そうだ。
アリマキのメスは、
自分と全く同じ遺伝子の子供を、
オスの力を借りずに生むことができる。
こういう生き物はほかにも沢山いるらしい。

人間だって、
最初は女だけだったという。

じゃ何で男がいるの?

再びアリマキに戻る。

メスがメスを生むアリマキだが、
冬の前の一時期だけ、
メスはオスを生むんだそうだ。
そしてオスは多くのメスと交尾して、
それらのメスは卵を生む。
卵で生むのは越冬させるためらしい。

で面白いのは、
春に卵から孵化したアリマキは、
すべてメス(!)なのだ。

そしてそのメスはまた、
せっせとメスを生む。。。

著者の福岡伸一が言うのは、
アリマキがオスを生むのは、
メス同士の遺伝子のシャフリングのためだという。
そのことでより「進化」したメスが生まれる可能性ができる。

つまりオスは、
メスの遺伝子を混ぜ合わせて進化させるため、
メスが自ら作り出した。
用がなくなればいらない、
「使い捨て」なのである。

生物学的には人間も同じなのだ。

ぼくは先日見た雄ライオンの番組を思い出した。



なるほどなぁ。

ということは、
いずれ、
クローン技術を使って女が女を生むようになり、
男は無用になるのかなぁ。

世界中、
クローンの女ばかりで、
ほんの一部の男だけが、
遺伝子の「かき交ぜ役」として存在を許される世界。







もう11月か。

寒くなってきた。


●この本、面白い。ショウジョウバエの染色体(XY)の話とか、思いだせます●竜王戦第2局。渡辺竜王連敗。ネット中継を見ていて、ド素人ながら興奮した。渡辺頑張れ。奥さんと子供のために●柔道石井、プロ格闘家へ。天皇に嘘はつけないものな。天皇、石井の置かれた状況知ってて尋ねたはず。「せんとくん」の件といい、両陛下なかなかおやりになる。

遺志

30日は親父の13回忌だ。 あーそんなになるのか、 と言うのが率直な感想。 親父が亡くなる直前、 僕は酒を辞めた。 復職して最初のボーナスが出た日、 入院していた病院に行って報告した。 もう親父はかなり弱っていて、 ほとんど喋れなかった。 でも...