2009年2月28日土曜日

溌剌

ふいに空き時間ができて、
それなら「おくりびと」を見に行こうと、
勘を頼りに映画館に飛び込んだら、
そこでは「おくりびと」はやっておらず、
代わりに「少年メリケンサック」を見た。

この映画が監督2作目だという宮藤官九郎という人を、
ぼくは全然といってよいくらい知らず、
カラオケボックスで音を消した画面で見かけた印象は、
何かフニャけた野郎だというものだったが、
実は超有名な脚本家だった。
主演の宮崎あおいがトップランナーに出ていたのを見ていたから、
それなりに期待していた作品だ。



「パンクロック」が全盛だった1980年代に撮られた映像を、
現在進行形だと勘違いした音楽事務所のOLが、
実際には50歳ぐらいになってるおっさん達を連れて全国ツアーするはめに。
「少年メリケンサック」はそのパンクバンドの名前。

登場人物たちの人間関係や筋立てが、
回顧シーンなんかを混ぜて丁寧に描かれているので、
分かりやすいといえばそうなのだけど、
説明臭いという人もいるだろう。
脚本がうまいという言い方もあるけど、
やっぱり要素を詰め込み過ぎたように思える。
というか、
手際がいいから詰め込めちゃったっていう感じ。



たぶん この映画は もう少し スカスカな方が いいと思う。



事故で体がマヒしちゃったボーカルがいつの間にか元気になったり、
切れ痔なはずのドラマーがガタガタ道を走る車の中で平然としていたり、
「何で?」という場面も多かったけど笑って許そう。
ただ、
佐藤浩一が元パンクロッカーというのだけは最後まで無理を感じた。



でもそういうのを全部ひっくるめても、
宮崎あおいの元気が気持ちよい。
ちょうど「篤姫」と撮影時期が重なっていたらしく、
まるでNHKでのうっぷんを晴らしているかのようだ。

アマアマのOLがおっさんの魅力に気づくという、
ありがちな設定ながら、
本当に表情も体も表現力が豊かで、
ほれぼれした125分だった。



あと、
ピエール瀧の存在感が際立っていた。


●元町でペンギンに会い、それからカラオケボックスと映画館と珉珉とドトールをはしごしてから、三宮Midnight Sunで鍋島直昶(vib)星山啓一(p)浦田和史(b)西田あつ子(vo)を堪能。2曲歌わせていただけた。勉強になりました。

2009年2月27日金曜日

信念

「革命」という言葉は日本人には馴染みが薄い。
少なくとも日本史上「革命」と呼べる出来事はない。

しかし世界に目をやれば、
イラン革命が起きたのはたった30年前のこと。
その後の世界情勢をみると、
この革命は現在進行形であることが分かる。

革命が起きる重要なきっかけは圧政だろうが、
成就させるにはなくてはならないものがある。
それは比喩ではない「命がけ」の市民の存在だ。



命は何よりも大切だ。
一人の命は「地球よりも重い」とも言う。
それは限りなく100パーセント正しい。

でも果たしてそれは絶対的真理と言えるだろうか。
1パーセントの例外もないのだろうか。

自殺も他殺も絶対にいけない。
でも、
ある信念が自分の命よりも大切だと思うことは、
実は何よりも人間的なことではないか。



命を紡ぎ守ること。
健康で長生きすること。
どれも本当に大切なことだ。
くどいようだが命は粗末にしてはならない。

しかし「近代資本主義」は、
人の命までをも「価値」に換算し、
流通させようとする。

命を粗末にしてはならないと思うが故に、
一生懸命自分探しをし、
スキルを磨き、
自己の「価値」を高め市場に差し出す。



メタボはダメ。
煙草もだめ。
健康で長生きして働いて、
有意義な老後を暮らし、
いよいよ駄目だとなれば、
死への医療コンベアーに乗せられる。



希望

欲望
不安。。。

あらゆる感情は市場の明るみに並べられ、
文字通り「ゆりかごから墓場まで」
人間が隠れられる闇はもはや焦土と化した。

そんな現代で、
いつものように仕事をし、
流行を追い求め、
物質文明の恩恵を受けながらも、
「ぼくの命はぼくのものだ」という信念は、
手放してはならないと思う。



自戒を込めて。


●参考「衆生の倫理」(石川忠司著、ちくま新書)

2009年2月26日木曜日

克服

名ドラマーのバディ・リッチが来日した時の話だ。

知人が彼の滞在するホテルを訪ねたところ、
部屋からドラムの音が聞こえてきた。

それは弱くてもたもたしていて、
知人はドラムを習い始めた子供の練習だと思った。
ところが部屋に入ってみると、
たたいていたのは紛れもなくバディ・リッチ本人だった!

知人の訪問に気づいたバディ・リッチは、
慌てて演奏をやめ、
気を取り直して再びドラムをたたきだした。

その音はさっきとはまるで別人の、
いつもの演奏だったという。



「超絶技巧」とうたわれたバディ・リッチにして、
苦手な技術があったという話。
彼は世界に名を轟かせながら尚それを克服しようとしていた。

知人のミュージシャンから聞いた話だ。



教訓。



部屋には鍵をかけましょう。



●でYouTubeでバディ・リッチ見ました。自分で書いておいてなんだが、この人に苦手があるんでしょうかねぇ?●先日のNHKプロフェッショナルには71歳の料理人西健一郎という人が出ていて、40年間で達した料理の極意は、「素材の良いところを残す下ごしらえだ」というようなことを言っていた。共通するものがあると思った●インフルエンザのピークは先月下旬だったと発表があったが、そういえば急にマスク姿の人が減ったような気がする。

2009年2月25日水曜日

坩堝

何かと話題の「2ちゃんねる」。
世界最大規模の電子掲示板である。
といっても殺人予告や未成年加害者の写真流出など、
もっぱら悪いイメージしかなく、
この10年「まとも」に利用することはなかった。

「まとも」というのは、
何かを検索すると必ずこの「2ch」の掲示板がヒットして、
つい見てしまうという事でしか知らなかったということだ。



「正面玄関」から入ったのはつい最近のことで、
まったく「遅ればせながら」ということなのだが、
少しコツを飲み込むとなかなかに興味深い。

政治経済から芸能ネタまで、
実に様々な分野で多くの意見が交わされている。
玉石混交
誹謗中傷
意味不明
針小棒大。。。
情報の「九龍城」の趣だ。



足を踏み入れてみたものの、
話半分いやそれ以下と承知で眺めているだけだが、
どこかに驚くような情報がありそうな期待もあって、
つい見入ってしまう。
警察も組織的にこのサイトを監視しているようだが、
それもうなずける。

無数の「名無し」による言葉の濁流。
自己主張のオンパレード。
何でもありでありながら、
話の流れが全くないのかというと、
そうでもないようで、
蛇行しながらも進んでいき、
人々の関心が薄れるのとともに、
蒸発するように自然と消えていく。




言論の坩堝。


●しかし「2ちゃんねる」の語源は関西人には分かりにくい。

2009年2月24日火曜日

検索

部屋の片づけをしていたら、
昔の住所が出てきた。
懐かしい町名だった。



生まれてから15回引っ越した。
うち13回は大学生になってからだ。
ほぼ2年に1回のペースだから、
かなり多い方だと思う。

それぞれ、
部屋の記憶はちゃんとしているんだけど、
案外住所は覚えていないものだ。
何市ぐらいまではさすがに大丈夫でも、
番地までとなるとアウト。
電話番号にいたってはほぼ全滅状態だ。



出てきた住所には番地まで載っていたから、
試しにグーグルアースで検索してみた。
するとストリートビューがあって、
何と自分が住んでいた部屋が映っているではないか!

マウスをグリグリさせて当時通いな慣れた道をたどる。
あの家この店。
良いこと悪いこと。。。
何もかもが一気に蘇って胸にこみ上げ、
戻しそうになった。。。



罪なモノ作るゼ、
グーグル。


●WBC侍ジャパンの28人決まる。和田は怒り心頭だろう●モッくん快挙。ケイト・ウィンスレットも悲願叶う●今日も悲喜こもごも●ただなぁ、短編アニメ賞といい、どうしても麻生君への手土産に思えてしまうのは、ひねくれ根性だろうか?オバマ君とのツーショット代5000億円とか、、、

2009年2月23日月曜日

憧憬

散髪屋や喫茶店や病院の待合室なんかに置いてある漫画には定番がある。
一話完結であることは絶対条件で、
「美味しんぼ」や「ゴルゴ13」はさしずめ横綱。
「人間交差点」や「こちら葛飾区亀有公園前派出所」(こち亀)は大関か?
まぁ「サザエさん」は別格として。。。



MBS「情熱大陸」を見たら、
「こち亀」作者の秋本治だったので非常に興味深く見た。

彼が高卒後一度はアニメーターになったが母親の看病のため退社。
その母親が亡くなった後、
24歳の時「ジャンプ」の新人賞に応募したのが「こち亀」だったことなど、
全然知らなかった。
Wikipediaにだって出ていない。

今や製作は彼を社長とする有限会社「あとりえビー玉」が行っていて、
いわゆるアシスタントが社員。
タイムカードで勤務時間をきっちり管理しながら、
完全分業で「こち亀」が淡々と生み出される様子は、
ギャグ漫画の製作現場として意外といえば意外だが、
あれだけのクオリティーを保ったまま一度も休載がないという事実を考えれば、
「なるほどこれぞプロの仕事」とも思えてくる。



また秋本氏自身のキャラクターが最高だった。
どうやら酒も煙草も賭け事も無縁の様子で、
本当に「こち亀」が好きで好きで作り続けている職人って感じ。

漫画のキャラクターって作者の「あこがれ」であることが多いと思う。
主人公の破天荒巡査「両津勘吉」と秋本氏は外面的には正反対で、
一見あこがれのようでもあるが、
ファミレスに籠ってコーヒー一杯で10時間ほど粘って原案を考える彼を見ていると、
ショボイんだけどカッコよく、
そのカッコよさはダメダメ男の両津が時折見せるカッコよさと重なる。



「ゴルゴ13」と作者「さいとう・たかを」とは別の意味で
強烈なダンディズムを感じた。



●ゴルゴのアニメを先日見たら、ゴルゴの声優を舘ひろしがやっていた。無口なゴルゴだけに、30分間でセリフはたしか二言三言。あとは「うっ」とか「ううぅ」ぐらいで、あれで一体ギャラが発生するのかと、笑えた●難波「YAKATA de Voce」と武庫之荘「Mクアトロ」。初めて昼夜のセッションをはしごした。いい経験になった。昨年6月のライブでご一緒させてもらったパティ(Vo)さんに久しぶりに会えた●後になって気づいたが「美味しんぼ」は一話完結ではなかった。あれを置いている食堂って、考えてみればすごい度胸だと思う。

2009年2月22日日曜日

革命

村上春樹のエルサレム賞受賞スピーチは、
イスラエル批判というより、
「システムの前で人は無力」という嘆きだ。

「卵と壁」という暗喩を使って「普遍的」に嘆くから、
システムに属する人すべてが、
それぞれの立ち場で共感したことだろう。



彼の小説は大抵読んだし好きだ。
きっとそういう嘆きで満ちているから、
暗いんだけど、
ある種「心地よい」のだろう。

だけどそうやって嘆くだけじゃぁ、
「無力」ということが「あきらめ」としてぼくらの中に沈澱するだけだ。



彼は「常に卵の側に立つ」と言った。
擁護するということだろう。
痛み、
苦しみ、
悲しみ、
絶望に沈んだ人々が祈りを捧げる「嘆きの壁」。。。

そうだ。
彼はシステムを「壁」になぞらえたが、
実はそういう彼こそが「壁」なのではないか。

彼は壁として人をシステムから守ろうとするが、
それは同時にシステムを守る行為である。



つまり、
嘆いているだけでは革命は起きない。

2009年2月21日土曜日

競演

ジェフ・ベックのライブを帰宅後見てシビレた。
BShiで夜やっていたのを録画しておいたのだ。

ロンドンのジャズクラブで一昨年行われたライブ。
客席にはジミー・ペイジがいて、
アンコールにはエリック・クラプトン。
「ロック三大ギタリスト」勢ぞろい。
ぼくら「20世紀少年」には懐かしすぎる展開だ。



ベックのギターはもちろん感動的なのだが、
このライブでの最大の驚きはベーシストの若い女性。
オーストラリア出身の「タル・ウィルケンフェルド」といって、
ライブ当時は何と21歳。
還暦を超えたベックからすれば完全に孫の世代である。











ベース歴4年。
出てきた二人の女性ボーカルがどことなく緊張して見えたのと対照的に、
全く物おじすることない彼女。
競演というより驚演。
これはカッコよかった。
どうやら彼女はこのライブあたりから一気に注目を集めたらしい。

もちろん彼女も凄いが、
起用したベックもベラボーに凄い。



●ということで彼女は2年前から超有名だったのだが、ぼくは全然知らなかった●笑ったのは、最前列の客。耳栓をしていた。。。たぶん●午前中から元町に行ったが「ペンギン」は休憩中で見れなかった●午後からは仕事。

2009年2月20日金曜日

明瞭

パソコンの画面の文字が小さい時に重宝しているのが、
EmEditorというフリーソフトだ。
要は簡単なワープロなんだけど、
Wordより起動が圧倒的に早いのが特徴。

ちょっとまとまった文章を読みたいのだけど、
「蟻の行列」を前に「うっ」となった時、
まとめてコピーしてからこのソフトを起動してペーストすれば、
楽に読める大きさの文字に一発変換。
まさに「天眼鏡」代わり。


そして最近お気に入りなのは「メイリオ」というフォント。
欧米で超有名な「ヘルベチカ」に似た、
上品かつ暖かな文字だ。
これに変換すればあら不思議、
難しい文書も優しく語りかけてくれているように感じる。
このブログも最近は、
一度このソフトで打ってからコピペしているのだが、
「メイリオ効果」か、
少し内容が穏やかになっているかもしれない。

弘法は筆を選ばなかったかもしれないけど、
お気に入りの筆記具で書く時のような心地よさがこのフォントにはある。
ソフトの起動時間や変換の速さなんかにしたって、
きっとコンマ何秒の違いしかないんだろうけど、
これが意外に大きいんだナ。


●エルサレム賞授賞式での村上春樹のスピーチ全文があった。長いが引用する。

こんばんは。わたしは今日、小説家として、つまり嘘を紡ぐプロという立場でエルサレムに来ました。
 

 もちろん、小説家だけが嘘をつくわけではありません。よく知られているように政治家も嘘をつきます。車のセールスマン、肉屋、大工のように、外交官や軍幹部らもそれぞれがそれぞれの嘘をつきます。しかし、小説家の嘘は他の人たちの嘘とは違います。小説家が嘘を言っても非道徳的と批判されることはありません。それどころか、その嘘が大きければ大きいほど、うまい嘘であればいっそう、一般市民や批評家からの称賛が大きくなります。なぜ、そうなのでしょうか?


 それに対する私の答えはこうです。すなわち、上手な嘘をつく、いってみれば、作り話を現実にすることによって、小説家は真実を暴き、新たな光でそれを照らすことができるのです。多くの場合、真実の本来の姿を把握し、正確に表現することは事実上不可能です。だからこそ、私たちは真実を隠れた場所からおびき出し、架空の場所へと運び、小説の形に置き換えるのです。しかしながら、これを成功させるには、私たちの中のどこに真実が存在するのかを明確にしなければなりません。このことは、よい嘘をでっち上げるのに必要な資質なのです。


 そうは言いながらも、今日は嘘をつくつもりはありません。できる限り正直になります。嘘をつかない日は年にほんのわずかしかないのですが、今日がちょうどその日に当たったようです。


 真実をお話しします。日本で、かなりの数の人たちから、エルサレム賞授賞式に出席しないように、と言われました。出席すれば、私の本の不買運動(ボイコット)を起こすと警告する人さえいました。これはもちろん、ガザ地区での激しい戦闘のためでした。国連の報告では、封鎖されたガザ市で1000人以上が命を落とし、彼らの大部分は非武装の市民、つまり子どもやお年寄りであったとのことです。


 受賞の知らせを受けた後、私は何度も自問自答しました。このような時期にイスラエルへ来て、文学賞を受けることが果たして正しい行為なのか、授賞式に出席することが戦闘している一方だけを支持しているという印象を与えないか、圧倒的な軍事力の行使を行った国家の政策を是認することにならないか、と。私はもちろん、このような印象を与えたくありません。私は戦争に反対ですし、どの国家も支持しません。もちろん、私の本がボイコットされるのも見たくはありません。


 しかしながら、慎重に考慮した結果、最終的に出席の判断をしました。この判断の理由の一つは、実に多くの人が行かないようにと私にアドバイスをしたことです。おそらく、他の多くの小説家と同じように、私は人に言われたことと正反対のことをする傾向があるのです。「行ってはいけない」「そんなことはやめなさい」と言われると、特に「警告」を受けると、そこに行きたくなるし、やってみたくなるのです。これは小説家としての私の「気質」かもしれません。小説家は特別な集団なのです。私たちは自分自身の目で見たことや、自分の手で触れたことしかすんなりとは信じないのです。


 というわけで、私はここにやって参りました。遠く離れているより、ここに来ることを選びました。自分自身を見つめないことより、見つめることを選びました。皆さんに何も話さないより、話すことを選んだのです。
 ここで、非常に個人的なメッセージをお話しすることをお許しください。それは小説を書いているときにいつも心に留めていることなのです。紙に書いて壁に貼ろうとまで思ったことはないのですが、私の心の壁に刻まれているものなのです。それはこういうことです。


 「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」ということです。


 そうなんです。その壁がいくら正しく、卵が正しくないとしても、私は卵サイドに立ちます。他の誰かが、何が正しく、正しくないかを決めることになるでしょう。おそらく時や歴史というものが。しかし、もしどのような理由であれ、壁側に立って作品を書く小説家がいたら、その作品にいかなる価値を見い出せるのでしょうか?


 この暗喩が何を意味するのでしょうか?いくつかの場合、それはあまりに単純で明白です。爆弾、戦車、ロケット弾、白リン弾は高い壁です。これらによって押しつぶされ、焼かれ、銃撃を受ける非武装の市民たちが卵です。これがこの暗喩の一つの解釈です。

 
 しかし、それだけではありません。もっと深い意味があります。こう考えてください。私たちは皆、多かれ少なかれ、卵なのです。私たちはそれぞれ、壊れやすい殻の中に入った個性的でかけがえのない心を持っているのです。わたしもそうですし、皆さんもそうなのです。そして、私たちは皆、程度の差こそあれ、高く、堅固な壁に直面しています。その壁の名前は「システム」です。「システム」は私たちを守る存在と思われていますが、時に自己増殖し、私たちを殺し、さらに私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させ始めるのです。


 私が小説を書く目的はただ一つです。個々の精神が持つ威厳さを表出し、それに光を当てることです。小説を書く目的は、「システム」の網の目に私たちの魂がからめ捕られ、傷つけられることを防ぐために、「システム」に対する警戒警報を鳴らし、注意を向けさせることです。私は、生死を扱った物語、愛の物語、人を泣かせ、怖がらせ、笑わせる物語などの小説を書くことで、個々の精神の個性を明確にすることが小説家の仕事であると心から信じています。というわけで、私たちは日々、本当に真剣に作り話を紡ぎ上げていくのです。


 私の父は昨年、90歳で亡くなりました。父は元教師で、時折、僧侶をしていました。京都の大学院生だったとき、徴兵され、中国の戦場に送られました。戦後に生まれた私は、父が朝食前に毎日、長く深いお経を上げているのを見るのが日常でした。ある時、私は父になぜそういったことをするのかを尋ねました。父の答えは、戦場に散った人たちのために祈っているとのことでした。父は、敵であろうが味方であろうが区別なく、「すべて」の戦死者のために祈っているとのことでした。父が仏壇の前で正座している輝くような後ろ姿を見たとき、父の周りに死の影を感じたような気がしました。

 
 父は亡くなりました。父は私が決して知り得ない記憶も一緒に持っていってしまいました。しかし、父の周辺に潜んでいた死という存在が記憶に残っています。以上のことは父のことでわずかにお話しできることですが、最も重要なことの一つです。


 今日、皆さんにお話ししたいことは一つだけです。私たちは、国籍、人種を超越した人間であり、個々の存在なのです。「システム」と言われる堅固な壁に直面している壊れやすい卵なのです。どこからみても、勝ち目はみえてきません。壁はあまりに高く、強固で、冷たい存在です。もし、私たちに勝利への希望がみえることがあるとしたら、私たち自身や他者の独自性やかけがえのなさを、さらに魂を互いに交わらせることで得ることのできる温かみを強く信じることから生じるものでなければならないでしょう。

 
 このことを考えてみてください。私たちは皆、実際の、生きた精神を持っているのです。「システム」はそういったものではありません。「システム」がわれわれを食い物にすることを許してはいけません。「システム」に自己増殖を許してはなりません。「システム」が私たちをつくったのではなく、私たちが「組織」をつくったのです。
 これが、私がお話ししたいすべてです。

 
 「エルサレム賞」、本当にありがとうございました。私の本が世界の多くの国々で読まれていることはとてもうれしいことです。イスラエルの読者の方々にお礼申し上げます。私がここに来たもっとも大きな理由は皆さんの存在です。私たちが何か意義のあることを共有できたらと願っています。今日、ここでお話しする機会を与えてくださったことに感謝します。ありがとうございました。

2009年2月19日木曜日

部分

たまたま母が見ている民放をのぞき見したら、
ベースラインだけ流して曲を当てるというゲームをやっていた。
イントロ当ては昔相当自信があったのだけど、
これが思いのほか難しく見入ってしまった。

ドリカムの「LOVE LOVE LOVE」なんて、
よく知っているはずなのにさっぱり分からない。
次もその次も、、、
結局ベースラインだけでは一曲も正解できなかった。

考えてみればベースラインの上にのせることができるメロディーは無限にあるわけだから、
分からなくても仕方ないかも。
ぼくらの人生もメロディーのようなもんだ。



そのメロディーだって一筋縄ではいかない。
母が別の日、
ぼくの鼻歌を聞いていて「ポニョやろ」と言う。

「I'ts Easy To Remember」なんですけど。。。

確かに他人の鼻歌は分かりにくい。
「ほら、こんな曲やん」ってラララーってやっても、
うまく伝わる方が珍しい。
よほど想像力を働かせないと、
無限のメロディーから相手の意図するところを当てられないもんだ。

旋律とベースライン。
いずれにしても、
部分から全体を把握するのは意外に難しい。



そういう意味では、
「テレビでマントリネットやってたから見てた」という母の言葉を、
「あぁマリー・アントワネットね」と即座に正してあげられるぼくは、
ちょっと親孝行だなと思う。


●隣家の女性を強姦目的で襲った挙句殺して、遺体を切り刻んでトイレに棄てた男に「無期懲役」の判決。「死んでおわびがしたい」と言ったことが、結果的に被告を死刑から「救った」のも皮肉な話だ。死刑が無理ならそれもよろしい。ならば男の両手足を切り落とし、街中に放置してやればいい。

2009年2月18日水曜日

執着

先日昼ごろ起きたら家の前を通る電車が止まっている。
母の情報によると人がはねられたらしい。

歩いてすぐのところに踏切がある。
子供の頃から度々自殺があった場所だ。
おそらく今度もそうだろう。

不通がどれくらいの時間続いたのかよく知らない。
ぼくはいつも通り身支度を整え出勤した。
たくさんのカラスがずっと鳴いていた。



翌日の朝日新聞朝刊を探すと、
県版の下の方に事件は載っていた。

はねられたのは近所に住む30歳代の男性。
遮断機の棒をまたいで線路内に入った彼は、
向かってくる電車の方を向いて立っていたそうだ。
運転士の証言だろう。
記事には「自殺」という文字はなかったけど、
この描写で十分だった。

亡くなった男性がどんな人生を生き、
何に悩み絶望して電車と相対したのかなど知るべくもない。
少なくともその瞬間の彼には、
生きるより死ぬ方が楽だったのだろう。

ただ、
彼のその一瞬を誰かが止めていたらと思うと胸が痛い。



TVドラマ「ありふれた奇跡」の初回、
駅のホームから飛び込もうとした中年男を、
主人公の若い男女が力づくで止めるシーンがあった。
もしぼくがあの時踏切の近くを通って亡くなった男性に気づいていたら、
果たしてどう行動しただろうか?

「やめろ」とは言えても踏切にまで入れただろうか?
入ったはいいが相手の方が力が強くて抱きつかれたらどうしよう。。。
突き飛ばすよりは引っ張った方がダメだった時に自分は助かるかも。。。

「ぼくなどもう2度くらい死んだも同然だ」なんていつも言っているのだけど、
こうして具体的に考えてみると、
「命懸け」は理屈じゃないと思い知る。



●そういえば、昨夏のサザンオールスターズ30周年コンサートの最終日、桑田は最後の最後にこう叫んだ。「みんな死ぬなよ」●天満「じゃず家」セッション。この寒さでお客さん比較的少なめ。4曲。常連さんの女の子に「○○さんの歌が聞きたいと思うようになってきましたよ」って言われた。かなり褒められた気分。さらに、ブログの読者が新たに一人いることが判明。嬉しいことが二つもあった。

2009年2月17日火曜日

批判

作家の村上春樹氏がエルサレム賞の授賞式に出席しスピーチした。

イスラエル最高の文学賞、エルサレム賞が15日、作家の村上春樹さん(60)に贈られた。エルサレムで開かれた授賞式の記念講演で、村上さんはイスラエルによるパレスチナ自治区ガザへの攻撃に触れ、人間を壊れやすい卵に例えたうえで「私は卵の側に立つ」と述べ、軍事力に訴えるやり方を批判した。

 ガザ攻撃では1300人以上が死亡し、大半が一般市民で、子どもや女性も多かった。このため日本国内で市民団体などが「イスラエルの政策を擁護することになる」として賞の返上を求めていた。

 村上さんは、授賞式への出席について迷ったと述べ、エルサレムに来たのは「メッセージを伝えるためだ」と説明。体制を壁に、個人を卵に例えて、「高い壁に挟まれ、壁にぶつかって壊れる卵」を思い浮かべた時、「どんなに壁が正しく、どんなに卵が間違っていても、私は卵の側に立つ」と強調した。

 また「壁は私たちを守ってくれると思われるが、私たちを殺し、また他人を冷淡に効率よく殺す理由にもなる」と述べた。イスラエルが進めるパレスチナとの分離壁の建設を意識した発言とみられる。(朝日新聞16日夕刊)


ぼくは彼の作品は好きだけれど、
今回の行動はよくわからない。

賞をもらいに出かけて行って、
その国を批判するというのは何だかなぁ。
それなら受賞を拒否すべきだったのではなかろうか?

あるいは「壁」だの「卵」だのまどろっこしい言い方しないで、
堂々と「パレスチナ政策批判」を展開して、
賞状だか何だかを叩きつければよかった。
日本に帰ってこれないかもしれないけど。



とここまで書いて、
ネット上で彼のスピーチの抄訳を見つけた。

そう、僕はイスラエルにやってきました。小説家として……「嘘」を紡ぐ者として僕はここに来ました。
 
「嘘」をつくのは小説家だけではありません。政治家も(大統領閣下、すいません*2)、外交官もまた、嘘をつきます。
 けれど、小説家と彼ら(政治家や外交官)のつく「嘘」にはいくつかの違いがあります。
 僕たち小説家は嘘をついても訴えられることはないし、その嘘がより大きければ、多くの賞賛を得ることができます。
 
 そしてまた、彼らと僕たちの「嘘」の違いは、僕たち(小説家)の嘘が、時に真実を照らし出す一助になることにもあります。真実をつかみ取ることは非常に困難なことです。ですから僕たちは、その真実を「フィクション」の世界に作り替えるのです。
 
 本日、僕は「真実」を話すつもりです。僕は1年のうち数日だけ、真実を話す日があり、今日はそのうちの1日なのです。
 
 今回のエルサレム賞受賞について打診された時、僕は警戒しました。なぜならガザは紛争の最中にあったからです。「いまイスラエルに行くことは適切なのだろうか?」、「僕はどちらか片方に肩入れするのだろうか?」と自問しました。
 
 僕はそれらを考慮し、その上で、ここに来ることに決めました。多くの小説家がそうであるように、僕は僕が天の邪鬼であることを好んでいますし、それは僕の、小説家としての本質に関わることです。
 小説家は自分の目で見たこと、自分の手で触ったことしか信じることができません。ですから僕は、何も語らないでいるよりも、自分で見て、ここで語ることを選びました。
 
 そしていま、僕はここに来て語っています。
 
 もしその「壁」が――その壁にぶつけられる「卵」が壊れてしまうほど――固く、高いものであるならば、どんなに「壁」が正しくとも、どれほど「卵」が間違えていたとしても、僕は卵のそばに立つでしょう。
 
 なぜか? 僕たちひとりひとりが、その「卵」だから、かけがえのない魂を内包した壊れやすい「卵」だからです。僕たちはいま、それぞれが「壁」に向かい合っています。その高い壁は、「システム」です。*3
 
 僕が小説を書くさい、たったひとつの目的しか持っていません。それは個々人のかけがえのない神性*4を引き出すことです。その個性を満足させるために、そして僕たちが「システム」に巻き込まれることを防ぐために。だからこそ僕は、人々に微笑みと涙を与えるべく、人生と愛の物語を書きつづります。
 
 僕たちはみな、人間であり、個人であり、壊れやすい卵です。
「壁」はあまりに高く、暗く、冷たすぎて、それに立ち向かう僕たちに、望みはありません。(だからこそ)「壁」と戦うために、僕たちの魂は、暖かさと強さを持つべくお互いに手を取り合わなくてはなりません。僕たちは僕たちの作った「システム」に操られてはいけません――そのように僕たちを形作ってはいけません。それはまさに、僕たちが作った「システム」なのですから。
 
 僕の本を読んでくれたイスラエルの人々に感謝します。
 僕たちはいくつかの意義を共有できると願っています。
(そんな「共有できる」)あなたたちこそが、僕がここにいる最大の理由なのです。


エルサレムポストからの抜粋らしいが、
なんでこんなに印象が違うのだ!

これ以上何も言えなくなった。。。


●最初「全訳」と書いたけど、「抄訳」の誤りでした。全文と全訳を探してるんだけど。。。

2009年2月16日月曜日

曖昧

力士にラグビー選手そして大学生。
大麻で逮捕される人が後を絶たない。
今日も京大法学部生が逮捕され実名報道された。

日本では違法行為だから当然といえばそれまでだけど、
マスコミの扱いには正直戸惑う。
大麻ってそんなに「悪いこと」なんだろうか?



自転車の二人乗りや立小便も違法行為だけど、
それで逮捕されることはない。
仮に逮捕されれば「やりすぎ」と当局が非難されるだろう。
覚せい剤と違って、
大麻吸って錯乱して罪を犯したという話をぼくは知らない。

酔っ払って他人を殴ったり、
痴漢したりする方がよほど「悪いこと」に思える。
今すぐ大麻を合法化せよと言いたい訳ではない。
しかし大麻取締法の根拠というのが意外に明確でないことも確かだ。



健康に及ぼす影響については諸説あるようだ。
でも酒や煙草よりひどいとは思えない。
違法性の度合いの判断基準を「他人にどれだけ迷惑をかけるか」だとすれば、
大麻の違法性はきわめて低いだろう。

こうして騒ぎになることだけが「迷惑」といえまいか。
京大生の親は泣くに泣けまい。
喜劇的悲劇だ。
それに、
これだけ騒がれて本人が受ける社会的制裁を考えると、
やっぱり扱いすぎだとぼくには思われる。



ぼくのように考える人がいる限り逮捕者は出続けるだろう。
この問題はいい加減はっきりさせないといけないのではないか?


●昼ごろ起きて仕事して、明日、いや今日も朝から仕事仕事っと。

2009年2月15日日曜日

会得

京都大学で〝英才教育〟を受けているチンパンジーのドキュメンタリーを見た。
仕事の合間のほんの10分間ほどだったけど、
ひどく印象に残った。

それは子供のチンパンジーが小さな穴の向こうにある蜂蜜をとるシーンだった。
子供は大人がやっている姿の見よう見まねで、
穴からゴムチューブを差し込もうとするのだけど、
最初は穴に入れることすらできない。
ようやく入っても、
中でうまい具合にチューブが動いてくれない。

その時の子供チンパンジーが見せる口は、
紛れもなく人間と同じで「イー」ってなってる。
今にも切れそうな必死の表情。
そして、
何とかチューブが蜂蜜にたどり着いた瞬間の、
まるで頭の中に電球が灯ったような、
「ヤッター」という顔。
いや、
こちらの顔もほころんだ。



「できた」のか「できっちゃった」のかはともかく、
悩んだ末に、
ふいに正解が舞い降りてきたみたいな瞬間って、
人間だって誰しも、
子供のころには数限りなく経験しているはずだ。

でもなかなか他人のその場に居合わせることってできない。
そういう意味では、
たとえチンパンジーであっても、
貴重な場面を見せてもらったと思った。

ぼくはこれからも、
あんな表情をできるだろうか。
純粋に何かにぶつかって、
何度跳ね返されても飽くことなく繰り返し、
どこに出口があるかも、
いつ答えが出るのかも、
そして、
そもそも答えと呼べるものがあるのかどうかさえわからぬ不安に耐え、
何かに挑み続けられるだろうか。。。


●一昨年の末に、近所の喫茶店でパズルが完成した時は、たぶんあんな顔だっただろうなぁ●どーしちゃったの?というほど暖かな一日。さすがにダウンは着なかった。

2009年2月14日土曜日

愛着

朝日放送「探偵ナイトスクープ」を、
本当に久しぶりに見たら、
27年来愛用のスウェットが手放せない男が出ていた。
依頼人は彼の家族で、
みっともないから新しいのに変えさせたいのだという。

襟元はだらしなく広がり、
足の方は擦り切れてしまっていて、
本当に「限界」って感じなんだけど、
彼は頑として手放さず、
毎日部屋着として愛用しているという。



その気持ち、
すっごい分かるんだなぁ。
彼はいろいろ理由を説明していたけど、
要は、
他人にどう見えようと、
自分ではその姿が気に入っているんだと思う。
そのスウェット込みで「自分」であって、
別のだったら自分が「他人」になってしまうように感じてるはずだ。

彼の家族は、
妻が買った新品の方がいいと口をそろえるのだが、
ぼくには「ボロ」の方が「彼らしい」と思えた。
こういう「こだわり」は、
きっと男の方が強い。
いいじゃないか、
本人が気に入ってるんだったら(怒)



結局、
取り上げられちゃったんだけど、
相当辛かったろうなぁ。
こっちまで悲しかったよ。。。


●ナイトスクープの「ナイト」も夜ではなく騎士だと、今日初めて知った。映画「ダーク・ナイト」と同じだ●13日付け朝日新聞夕刊で二つ収穫があった。ひとつは巨人の新人大田の記事から岡崎2軍監督の言葉。「基本、基本と簡単に言うが、基本こそがプロにしかできない究極のテクニック。彼は今、一番難しいことに取り組んでいる」。もうひとつは、プロゴルファー石川遼の連載の一文。「あえて遠回りできるのも17歳の特権だろう」●思いがけずクラプトンのライブに行くことになった。至福の2時間。

2009年2月12日木曜日

介入

野球の監督は選手と同じユニホームを着ているが、
サッカーの監督はスーツ姿だ。

ほかにもバスケットやバレーボールはスーツ。
ラグビーに至っては、
グラウンドの外にさえいない(観客席にいる)。

こうしてみると、
監督がユニホームを着ているスポーツは、
野球ぐらいではなかろうか?



同じような疑問を持つ人はいるようだ。
調べた限りでは、
野球はもともと選手と監督の区別が曖昧で、
兼任するケースが多かったかららしい。

今でも選手兼任監督はいるし、
監督といえど、
ユニホームには背番号もついている。
確かに野球は、
その他のスポーツに比べて「高齢」でもできる。
「不惑」を超えて一線でプレーできるプロスポーツはあまりない。



しかも野球は、
静止している時間が極端に長い。
ピッチャーの投げる球種、
バッターが打つか打たないか、
ランナーが走るか走らないか、
さらに野手の守備位置まで、
一球ごとにサインを出すことができる。
投手交代の時とはいえ、
グラウンドに監督が入れるのも珍しい。

それに比べサッカーやラグビーは、
プレーが始まってしまえば、
選手の自己裁量が野球とは比較にならないくらい増える。

要するに、
野球は、
監督(やコーチ、つまり上司)が「いちいち口出ししやすい」。



「野球型」が多い日本の組織。
「サッカー型」や、
いっそ「ラグビー型」が増えるといいんだけどネ。



●そういう意味では、個人主義の国アメリカで野球やアメフトの人気が高い理由は謎だ●知り合いの女性に、いつの間にか「○○ペンギン」というあだ名がついていて笑った。久し振りに小一時間ほど話しができた●元町のJamJamで小一時間。ジャンカラでも小一時間。さらにジュンク堂やユニクロを「巡回」して、三宮の珉珉で夕食。平和な一日。

真相

1984年ロス五輪で、
柔道無差別級の山下泰裕選手は、
右足を痛めながら金メダルをとり、
国民栄誉賞にも輝いた。

あの時、
決勝の相手だったエジプトのラシュワン選手は、
山下の右足を攻めなかった。
抑え込みで敗れたものの、
彼はユネスコ「国際フェアプレー賞」を受賞した。




とここまではよく知られた話。
しかし、
先日のNHK「スポーツ大陸」では、
ラシュワンは「山下の右足を狙っていた」と語っているではないか。

山下は、
その攻撃を反射的にかわし、
間髪入れず、
左足を軸にして相手を倒した。
番組では、
この反応こそ、
山下の鍛練の賜物だみたいに称賛していた。



確かに、
そう言われて映像を見ると、
そのようにも見える。

じゃあ、
あの時の美談は、
「ラシュワンいい人」と思った子供心は、
根本的に間違っていたのか。。。
当時と今と、
どちらの話が本当なのか。




確かに、
どちらの話でも、
そうだと思って映像を見れば、
そのように見える(見えた)。
でも、
あの当時は、
ラシュワンの美談が本当に見えた。

これ、
深入りしないけど、
大事なことだと思う。

いずれにせよ、
はっきりしてるのは、
あの痛々しい山下が、
絶好調だったラシュワンに勝ったのが、
「奇跡」だということ。




1984年当時、
この奇跡をどう説明すれば、
周囲が納得し、
喜んだか。

今と同じ説明では、
当時なら「ラシュワンひどい奴」とならなかったか。
あるいは、
今ならば、
当時の説明は、
フェアプレーというより、
逆に「アンフェア」と評価されるかもしれない。



上書き情報が正しいとは限らないのだ。


●この話は以前にも書いた記憶があるような。。。でもまぁいいか●サッカー日豪戦。0-0の結果に一番ホッとしているのは、2本しかシュートを打たれなかったGK都築では?

2009年2月11日水曜日

稀有

カラオケボックスにいると、
いろいろと「不思議」な歌手を知ることができるが、
最近出色なのは、
なんと言っても、
大江裕「のろま大将」に尽きる。

画面の音を消しているから、
はっきりしなかったので、
ちょっと調べてみた。

「さんまのスーパーからくりTV」の人気コーナー「演歌高校生が行く!」で、その独特の風貌と超真面目&不器用キャラがうけ一躍人気者となった"大江裕(ゆたか)"が遂にデビュー!!なんと 本人の憧れの人である北島三郎が楽曲を提供!


ということらしい。

ちなみにカップリングは、
「なんか一丁やったろかい」

どちらも、
どんな歌か知らないし、
知りたくもないけど、
「インパクト」は相当なものだ。



寄り道が長くなった。

演歌の若手という意味で、
氷川きよしは30歳になった今でも、
ワン&オンリーの独走を続けている。

彼はデビュー丸9年になるが、
いつも、
まるで新人のようなすがすがしさで、
それはかなり凄いことではないか。

芸能界に10年もいりゃあ、
いい意味でも悪い意味でも、
少しは「汚れ」がつきそうなもんだけど、
テレビで見る限り、
彼には、
塵ひとつ付いていないかのようだ。

歌とかルックスとかより、
これこそ彼の天性だろう。
何にも染まらぬ、
最強の個性だ。

追っかけおばあちゃんまでいるようだけど、
なんか一度ぐらいステージを見てみたい気がしてきた。。。



●HPでプロフィールを見ると、彼はデビュー前に3年半も修行していたらしい。なるほど、ぼくなどまだまだ足元にも及ばんわい●「のろま大将」のジャケをアップしようとしたが、うまくいかない。是非探して見られたし。

2009年2月10日火曜日

払拭













なぜ「レボリューショナリー・ロード」が、
作られなければならなかったのか。
昨日からずっと考えた。



ケイト・ウインスレットは、
タイタニック以後、
14作の映画と、
1作のTV作品、
そして4作のアニメ声優の仕事をしている。

そして私生活では、
結婚と離婚を経験し、
その間に2児の母になった。

今33歳。



そんなこと全く知らなかったから驚いた。
ぼくにとって、
この10年ほどは、
ケイト=ローズだった。
最近、
BSで「ホリデイ」(2006年)という作品を見て、
「あれ、彼女は。。。」と思ったぐらいだ。

彼女は確かに演技を磨いてきた。
でもきっと、
「ローズ」のイメージを覆えせず、
悩んだ時期もあったんじゃないかな。



だから、
「レボリューショナリー・ロード」は、
「ローズ」を葬るための作品だったように思える。
つまり、
時代や背景は異なれど、
「タイタニック」の続編なのだ。

サム・メンデス監督は、
彼女の2人目の夫なのだが、
彼の意図も、
その一点ではなかったか。



●録画で見たNスぺ「職業〝振り込め詐欺〟」。力作だった。再放送があれば一見の価値あり。

2009年2月9日月曜日

後味

「レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで」(サム・メンデス監督)を観た。
もちろん、
ディカプリオ&ウィンスレット、
「タイタニック」の二人が主役だからなのだが、
これが何とも、
見事に「やられた」。
一応、
いい意味で。

二人に加え、
キャシー・ベイツも主要な役どころで出演しており、
「タイタニック」を意識していることは明白。
つまり、
あのジャックとローズがもし結婚していたら、、、
という想像を、
観客に意図的にさせる配役だということ。
しかし、
少しでもロマンチックなものを期待すれば、
全く裏切られる。。。



内容と結末は、
観ていない人のためにも一切書かないけど、
後味はチョー「苦い」。

たぶんこの苦さは、
分からない人には全然わからないだろうけど、
分かる人にはあまりにも強烈。
そういう類の苦さだ。

夫婦役の二人の演技、
脚本、
どれもよく出来ていると思う。
「秀作」ということになるのだろう。



しかしぼくは考えてしまった。
これほどに苦い映画を、
1800円払ってまで見る意味は何かと。

別に映画って、
意味があるから見るとか、
見ないとか、
そういうものではないとは思うが、
そもそも、
こんな苦い映画を作った動機は何か?

そして、
この映画からぼくが得たものってなんだろう?
愚かだった我が身を振り返り、
深い悔恨の海に沈めということか?



とぼとぼ帰宅してBSをつけると、
奇遇にもウィンスレット主演の「エターナル・サンシャイン」が始まった。
相方のジム・キャリーは苦手なのだが、
話の内容が面白く満足した。

記憶をテーマにしていて、
なかなか凝った脚本。
こちらも、
どちらかといえば「苦い」映画だけど、
これぐらいなら許せる。



●ここでのディカプリオに、ぼくは三浦友和がダブった●「悼む人」(天童荒太著、文芸春秋)読了。最後まで一気に読ませる力技はすごいと思う。7年がかりで書いたそうで、その労力だけでも頭が下がる●難波「YAKATA de Voce」の昼セッションに行く。ここの雰囲気は好きだ。

2009年2月8日日曜日

容量

PCのCドライブが満杯間近と、
警告が出た。
ちなみに、
ぼくは車と同じくらいに、
PCのことは知らない。

だから、
警告の意味もよく分からなかった。
そして、
分からないから過剰反応し、
慌ててソフトを次々アンインストール、
写真なんかも削除してみたのだが、
一向に「空き容量」が増えてくれない。

もう、
ぼくの頭の容量も限界と、
メーカーに助けを求めた。



担当者とのやり取りでおぼろげに分かったのは、
この「Windows Vista」というやつは、
時々「復元ポイント」なるものを自動作成しているということ。

これは、
PCに何かあった時(それが何かは知らないが)に、
「少なくともその時点までは復旧をお約束します」という、
保険のようなものなのだそうだ。

ところが、
この「保険」は「更新」ではなく「積算」されるらしい。
それが年月とともに、
いまや馬鹿に出来ない容量になっていると推測された。

そこで、
これまでの「復元ポイント」を全削除するという「荒業」で、
とりあえず空き容量は10Gほど増えた。
「荒業」と書いたのは、
これでもう後戻りできないというリスクを背負ったという意味だ。

ところが、
ものの一週間もしないうちに、
空き容量が120MBに逆戻りしている!




再び電話して、
あれこれ質問するのだけど、
今度ばかりは担当者も、
一向に明解な答えを与えてくれない。

買った時の状態にリセットすることは簡単に出来ても、
何年も使ったこのPCの中の具合を知り、
適切に「治療」することは、
専門家でも最早よくできないのだ。

結局、
復元ポイントをもう一度削除して、
さらに、
今後の復元ポイント作製先を、
Dドライブに変更(Dドライブには十分な空きがある)する手で、
とりあえずしのぐこととなった。

いずれは、
データのバックアップをとって、
リセットするしかないという。



これまでPCについて何度か問い合わせをしてきて、
その度に、
「この人は神様じゃ」と、
誇張なく思えるほど、
メーカーの担当者は鮮やかにトラブルを解決してくれてきただけに、
今回はちょっと落胆した。

それと同時に、
これまでただの「機械」としか見なかったPCに、
「謎めいた」部分があることに、
正直驚きもした。


●Amazonで注文した「夜戦と永遠」(佐々木中著、以文社)が届いた。その本を手に持っただけで、少し頭が良くなった気がした。第一、タイトルがカッコイイじゃないか●夕方、住吉でチョコパを食べる。

2009年2月7日土曜日

爆発

新型インフルエンザの「恐怖」が、
一般にも浸透してきた。
なにせ、
あの母でさえ、
「パンデミック」なんて言葉を知っているくらいだ。
本当に分かっているかどうかは別にして。

しかし、
知り合いの医師に言わせると、
「騒ぎ過ぎの印象」に映るらしい。



ぼくの理解ではこういうことだ。
今恐れられている新型ウイルスは、
「強毒性」といって、
潜伏期間が短く、
感染したらあっという間に発症する。

確かにかかったら非常にヤバいのだが、
「他人にうつす」という点に限れば、
潜伏期間の長い「弱毒性」に比べて、
危険度は低いらしい。

だから、
「感染爆発」にはなりにくいのだそうだ。

ちなみに、
1918年から翌年にかけて世界中で流行り、
日本でも5500万人の人口のうち39万人が死亡したという「スペイン風邪」は、
「弱毒性」。



もちろん、
普通の風邪だって、
かからない方が「いいに決まってる」から、
マスクや手洗い、
うがいが「不要」な訳ではもちろんない。
だから、
知人もそういった話を積極的にしている訳ではない。
あくまで「騒ぎ過ぎの印象」と言っているのだ。

そりゃあ、
今の状況で、
「新型インフル、怖がりすぎですよアハハ」とは、
よほど偏屈な医師でない限り言わないだろう。



でも、
そうやって、
どんな権力でも暴力でもなく、
いつの間にか異見が「封殺」される事もまた「怖い」。

「念のため」
「悪い事じゃない」
「大人気ない」
「そうしとけば間違いない」。。。

そういう何気ない「善意」の積み重ねが、
時に思わぬ暴走を生む原因であることも、
忘れちゃいけないと強く思う。


●といいながら、ぼくは毎日、使い捨てマスクをして外出する。マスク屋さんは大儲け。

2009年2月6日金曜日

四葉

昔、
フォーリーブスっていう、
初期ジャニーズの男性4人組がいて、
ぼくは「地球はひとつ」っていう歌が好きだった。

冒頭台詞があって、
それはこんな具合だ。

>ボクから逃げようったって駄目だょ…
>だって逃げれば逃げるほどボクに近づくってわけ…
>だって地球はまるいんだもん!



この後の歌の部分も同じような内容で、
実に他愛ないんだけど、
子供だったぼくは、
この部分になると必ず頭の中で、
地球儀の上を追いかける彼と逃げる彼女を想像して、
「それはそうだ」妙にと納得していた(ような気がする)。

だからといって、
何事にも、
簡単にたどり着ける「裏道」があるなんて、
子供のぼくが思ったわけではないが、
発想の転換というか、
物事を正面からだけ見てはいけないという「教訓」は、
この歌で最初に知ったのではないかと思う。



こんな話を思い出したのは、
もちろんフォーリーブスの一員だった、
青山孝史氏が亡くなったというニュースを知ったからなのだが、
死因は肝臓がん。享年57歳だった。



思えばフォーリーブスって「四葉」という意味で、
改めていい名前だったなって思う。
今のSMAPのように、
4人がそれぞれ個性的で、
当時としては、
本当にかっこよかった。

「地球は」を作詞したメンバーの北公次氏なんか、
今のキムタク並みの人気だったんじゃなかろうか。
まじめな女の子は、
青山氏(ター坊)派だったような気もする。



そういえば中居クンも、
もう36歳とか。
あと20年もしたら、
「元アイドルグループSMAPの誰それが…」なんてニュースが、
流れるのかもしれない。。。


●あとフォーリーブスでは「ブルドック」っていう曲が印象深い。シブがき隊の「スシ食いネェ」もそうだが、意外に当時は「キワモノ」扱いされた作品だが記憶に残っている●元町の居酒屋の店頭に、その店の飼い犬のブルドッグがいる。いかにも「ブルドック」っていう面構えで、たいてい昼寝しているのだが、その寝姿が何ともいえず「癒し系」で、辺りの「名物」になっている。

2009年2月5日木曜日

視線

先日のNHKトップランナーに、
成海璃子という16歳の女優が出ていた。
彼女の作品はひとつも見たことはないし、
トーク番組も初出演そうだ。
HPを見たところ、
年齢にしては大変なキャリアだ。

話はいろいろ興味深かったけど、
ぼいうには彼女の「黒目」と「白目」のコントラストが印象的だった。
いわゆる「目力」というのとは違う、
吸い込まれてしまう感じだ。



話は飛ぶが、
黒目といえば、
動物の中で白目がある(正確には露出している)のは人間だけだそうだ。
人間以外の動物では、
相手に視線を悟られるのは非常に危険なんですね。

弱肉強食の世界では、
どこを見ているか相手にバレないようにするのは、
自己防衛なんですね。
だから弱肉強食を脱した人間だけが白目を堂々とさらして、
さらにそれをコミュニケーションに使うようになったと。


そこで成海さんなんだけど、
演技が天才的ということになっていて、
確かに番組で紹介された映画やCMの一部を見ただけでも、
とっても魅力的な雰囲気をもっていることはわかった。

たださっきの話を援用すれば、
本人の演技力もさることながら、
あの印象的な「黒目」が、
見る者の想像力をかきたてる部分も大きいのではないかと思った。
吸い込まれるようなっていうのかな。
見られるだけで、
みすかされているような気にさせる。
「包容力」のある視線だ。

「この人、何考えてんだか」っていうのと、
紙一重にも思えるけど、、、


そんなことを考えていたら、
今日の「東京カワイイTV」では、
流行りの「ゆるキャラ」について触れていて、
それによると、
人気キャラを生むコツは、
目を真っ黒の丸にする(つまり●)ことだと、
専門家が言っていた。

その方が、
持ち主が感情移入しやすいのだそうだ。



なるほど、
サングラスの人がミステリアスに見えるのも、
白人が日本人の黒目を、
「ミステリアス」と感じるのも、
そういうことなのかと、
一人合点がいった次第。
付け加えれば、
グラサンのヤクザがおっかないのも、
本音が見えない点にあるのだろう。

そういえば、
最近の女の子のメークは、
目に力点を置いているけど、
基本は強調しながら逆にぼかしているということなんだ、
きっと。



成海さんは、
いわゆる芝居するということには抵抗があるような、
そんな口ぶりだったが、
成海さんの今後どう変化していくかには要注目だ。


●最近の映画作りは、ビデオの普及で、制作方法が随分変化しているようだ。魅力的な人を、台本無視で長回しで何十時間も撮って、あとから自然な「いい表情」とつなぎ合わせるみたいな。その方法には従来の演技論を根底から覆す要素がある●今日は珍しく午前中から活動した。よって眠いzzz

2009年2月4日水曜日

上手

正直に話すより、
嘘をつく時の方が、
脳は活性化すると、
「操作される脳」(ジョナサン・D・モレノ著、アスキー・メディアワークス)
に書いてあった。

なるほど、
しょっちゅう嘘をついている詐欺師は、
どんどん賢くなる訳だ。

「オレオレ」とか、
「振り込め」とか、
騙されるのも仕方がない。
だって相手の方が数倍(ズル)賢いんだから、
「善良な市民」が太刀打ちできる訳がない。
手口も日進月歩。
こちらの貧相な想像力を超えて進化しているらしい。



とは言うものの、
くれぐれも注意するようにと、
日ごろ母に口すっぱく言っていたら、
今日、
その母が、
「あんたも気ぃつけぇや」
と言う。

ネット通販を利用した詐欺が、
急増しているのだとか。
「アマゾニア」のぼくとしては、
いささか気になる話ではある。


「あんた、パソコン、考えんとパッパッパと押して、騙されなヤ」


日ごろの意趣返しとばかり、
妙に嬉しそうなのが癪にさわったが、
わが身を振り返ると、
確かに危ない気もするし、
とりあえず、
「そうやな」と答えておいた。



こうなったら、
どっちが先に騙されるか勝負だ。

絶対負けるもんか。

もし負けたら?



モチロン黙ってます、、、


●勢いづいた母は、次に「シンデレラはガラスの靴やなくて手で叩かれて起こされたんやで」と言う。「???、、、って、そりゃあ白雪姫やろ」。こんな母には絶対負けられない●天満「じゃず家」セッション。有名ミュージシャンも来られていて大盛況だった。よっていつもより歌えた数は少なかったけど、多くの人前で歌うのは、やはりそれだけで満足感がある。

2009年2月3日火曜日

瘡蓋

忘れることは難しい。
忘れよう、
忘れようと、
思えば思うほど、
その記憶は強くなるようにすら感じる。

では、
無理やり忘れようなどと思わなければいいのか?



NHK「プロフェッショナル」は、
「どん底の会社よ、よみがえれ~弁護士・村松謙一~」
で、
そんな疑問への答えになりそうな言葉があった。

彼は主に、
倒産寸前の中小企業の再建に取り組んでいるのだが、
彼の原点には二人の「死」がある。

ひとつは、
ある社長の自殺。
もうひとつは、
15歳だった娘の病死。

企業再建は彼にとって、
従業員の命を守ること。
救えなかった二つの命が彼を駆り立てる。



「どうして(どうやって)立ち直られたのですか?」

司会者の問いに彼はこう答えた。

「いや。立ち直ってなんかいませんよ。いまでも」
「でもね、心にはかさぶたができるんですよ」



無理に忘れることはない。
無理に思いだすこともない。
一生懸命生きてさえいれば、
心の傷は消えなくとも、
かさぶたはできる。



「かさぶた」っていう表現がリアルだ。
はがすと痛い。
でも、
無性にはがしたい時もある。

そうか。
ずっと瘡蓋状態か。
「傷痕」ならちょっとは威張れるけど。

「俺の体にゃあなぁ、100個の瘡蓋があるんでぃ」って。

人生辛いなぁ。。。



●梅田・AZULでSteve Evans(Vo&Tp)/多田 恵美子(P)/時安 吉宏(B)/中嶋 俊夫(Drs)を。それから、難波・YAKATA de Voce のボーカルセッション&ボーカル・ライブ・澁澤メルモ(vo)速水佐保(pf) 阪口典右(bs)に●TVをつけっぱなしにしていたら、懐かしき名画「卒業」が始まった。何気に見続けていたら、煙草が切れていることに気づき、買いに行って戻ってきたら、有名な教会のシーンが終わっていた。知ってるからいいんだけど、損した気分。

2009年2月2日月曜日

無茶

大江健三郎1958年の作品に、
「見るまえに跳べ」っていうのがあって、
読んではいないのだけど、
「いかにも」
っていう感じで、
若かった僕は惹きつけられ、
今でもこうやって思い出す。

若者は後先考えず無茶をして、
その「向こう見ずさ」は特権だと、
多くの人は言う。
ぼくもそう思っていた。

でも、
最近、
きっと今の方が無茶ができてると感じる。



若いころのぼくは、
傍目にはかなり「危ない橋」を渡っているように見えたと思うけど、
実際は、
無茶をしているようでいて、
どこかしらセーブしていたと思う。
ブレーキとアクセルを同時に踏んでいるような。。。

それはきっと、
「人生の先」が見えなかったからだ。
普通は先が見えないから無茶できると思うのだろうが、
ぼくは、
不安が拭えず、
無茶しきれていなかった。



あと何十年も社会の一線にいられるわけではないと知った今、
ぼくは逆に無茶ができる。
「分別ついたいい大人」と言われる年になって初めて、
ぼくはぼくの人生を思い残すことなく飛びまわれるような気がする。

誤解されたくないのは、
滅茶苦茶とか、
自爆覚悟とか、
破れかぶれとか、
そんなんじゃないということだ。

「無茶すべき方向」が分かったということだ。
若いころは、
その方向がわからなかった。
だから、
何もかも中途半端だった。

人生が墜落、
すわ激突、
炎上、
もう死ぬ、、、
というその寸前で、
ようやくそれに気づいた。



結局ぼくは、
「見たあとでし跳べなかった」わけだが、
それでも、
跳ばずに終わるより、
ずっとましだろ?




●もっとも、若いころセーブしてなきゃ、すでに絶対この世にいなかっただろうが●業務連絡です。同級生のみんな、ありがとう。本当に貴重な時間でした。(少なくとも)来年2月1日にまた会おう!●朝日新聞朝刊1面に「ドバイ夢の跡」と。金融危機の影響をもろに受けて、ビル工事がとどこをっちゃって、外国人労働者が仕事にあぶれ、スラム化しているのだとか。NHK「沸騰都市」の第一回で「砂漠にわき出た巨大マネー」を見て驚いたのは、昨年の5月。まだ一年もたっていない!●おそらく誰も気づいてないが、今日はぼくなりにひとつ「無茶」をした。ぼくの「無茶」なんて、そんなもんだ。

2009年2月1日日曜日

悪夢

大切な物を失くすことは、
何度経験しても慣れることはない。
そして、
それが戻ってきた時の喜びも。

色々な物を失くしてきたけど、
一番の苦い思い出は、
ジッポーのライターだ。
まだ二十代の時のことで、
7年間ほど使った。

大学時代から社会人にかけて、
暗中模索の日々を一緒に過ごした。
使い過ぎて壊れても、
ジッポー社に送ったら、
完璧に修理してくれた。
コイツとは絶対に一生一緒だと思っていた。

それがある日、
ぼくの元から消えた。



その時の感触は忘れない。
どうせいつものように、
ひょこっと見つかるサと、
最初は気楽に構えていたのだが、
何日たっても出てこない。

すると一気に焦りがこみあげてきて、
考えうる全ての場所を、
あらん限りの熱心さで探した。

あぁもう二度とこの手に戻ってこないのかと、
思えば思うほど募る愛着。
そう遠くない場所に絶対「ある」はずなのに、
どうしても見つけ出せない不条理感は今でも消えない。



あれから20年。
それでもどこかに、
あのジッポーはあるのだから。。。


●この冬2度目、手袋を落した。あわてて来た道を戻ったら、誰かがラーメン屋さんの看板の上に置いておいてくれた。1度目は後ろの人が拾ってくれた。3度目はどうだろう●西宮北口「Corner Pocket」にて大友孝彰(Piano)大野浩司(Guitar)を。この日を待って大友君のCD「NIGHTMARE」を買った。

遺志

30日は親父の13回忌だ。 あーそんなになるのか、 と言うのが率直な感想。 親父が亡くなる直前、 僕は酒を辞めた。 復職して最初のボーナスが出た日、 入院していた病院に行って報告した。 もう親父はかなり弱っていて、 ほとんど喋れなかった。 でも...